生きる意味を教えてください 〜命をめぐる対話〜

田口ランディさんが板橋興宗というお坊さんと対談したことがきっかけでつながり、その後家のお墓のことで悩んだ時に興宗さんに相談してお墓を畳み遺骨を興宗さんのお寺で引き取ってもらったという話を読みました。そこから板橋興宗さんの話がもっと知りたくなり、

『生きる意味を教えてください 〜命をめぐる対話〜』田口ランディ著 バジリコ株式会社発行  発売日 ‏ ‎ 2008/3/1

を読みました。

この本は対談形式で、ランディさんが交流がある作家さんや大学教授、映画監督、そしてお坊さんである板橋興宗さんとともに、生きる意味について意見を交わすという内容です。

生きる意味とは、という問いに対して、個人と社会、世界のつながりについて、宗教、政治、生き物として、動物として、時代として、いろいろな切り口からの考えに触れることができ興味深い内容でした。

社会学博士の宮台真司さんとの対話の内容から。
原初の社会ではハレとケとケガレという時間があり、日常のケが枯れてくるとケガレの状態になり、それをもとに引き戻すために祭りなどのハレがある。
日常は繰り返していると頽落してくるから、非日常を体験した後日常に着陸することで「以前と違った仕方で日常を感じ取れるようになる」ことで、精気に満ちた日常が戻る。

これは、私の場合には多分、こうやって本を読んでいること自体もあてはまるし、山に登ったり、歌を歌ったり、いわゆる仕事以外のその人が面白いと思う活動全部だと思うのですが、人はそれを何十万年もやってきたそうです。すごいですね。
つまり遊ぶってことなのかなあ。違うかな。

情報学の東大大学院教授の西垣通さんの言葉より。

情報のはたらきは本来、生命の盲目的衝動がベース。それがだんだん「人間の生きる意味を求めて」のような社会的なものに転化した。それがさらにデジタル情報になり、機械で効率的に伝播するようになる。生命、社会、機械ときて、今は、この機械情報がもういっぺん生命に戻ろうとしているところに、立ち会っている。
それは、あと何年か、何十年か後に私たちの世界で実感として感じるのだろうか、どうだろうか。

板橋興宗さんの言葉より、以下引用
『生きる、生きているということは、結論だけ言うと、からだがこうして生きているんです。頭じゃない、からだが息をしている。からだが感じているのです。これが「生きている」ことの事実です。それを命というんです。』

興宗さんの言葉は新鮮な感じがしつつ、知っていたことを教えてもらったような不思議な感じがしました。
仏教という、長い歴史の中で面々と受け継がれてきた教えに支えられた言葉だからでしょうか。

対話に出てきた方々がそれぞれ魅力的で面白かったです。

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