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自宅で迎える死 その癒しの力

カレン ナニ アパナ博士 Karen Nani Apana Ph.D. 著

父が亡くなったのは私が16歳のときで、1962年のことでした。そのときの経験から、自宅で家族が人生を終えることについていろいろ考えるようになりました。お棺に横たわっている父の遺体を見て、私は、
「これはお父さんではないわ。」
と思いました。彼の精神と魂はそこにはなく、防腐処理された体だけが横たわっていました。それはそれは驚きました。この経験が、死という謎を探る道、へと私を導いていったのです。
父、ハーバート ラウ アパナは42歳という若さで突然亡くなりました。16歳、7歳、3歳の3人の子どもを36歳の妻に残して。遺族は、あわてて葬式の手配をすることになりましたが、それはあまり満足できるものではありませんでした。なぜかというと、人間が地球上で経験する最も重要な経験の1つである「死」を、私たち家族がきちんと見守ることができなかったからです。今日では葬儀業界が「死」を管理するようになりました。それは、出産のプロセスが病院に管理されているのと同じです。結局、父の死は葬儀会社に「おまかせ」でした。悲しんでいる家族を、助け、支えてあげることができるんだ、という仮定のもとに、家族が手出しできないようになっていました。母は、完全に当惑してしまい、この状況を受け入れました。多くの人々と同様に、母自身も死をとても恐れていたのです。
このころ、カリフォルニア州バークレーの活動家ジェシカ ミットフォードが、『アメリカ式の死』( “The American Way of Death”, 1963)を出版しました。この本は葬儀業界にたいしての痛烈な告発でした。家族を見送るという遺族にとってとても脆く繊細な時間に、葬儀業界が遺族を感情的に操作して葬儀費用を出させる方法を、ミットフォードは詳しく説明しました。たくさん葬儀のお金を出せば、あたかもそれが亡くなった人への愛情を証明するかのように遺族に思わせる仕組みになっていたのです。この本のおかげで、米国議会が葬儀業界を調査することになりました。そして、不当な請求が起きないように公的な管理と法律が導入されることになりました。それ以来、葬儀業界には変化があり、自宅で迎える死を援助する、倫理的な葬儀の責任者も現れました。
歴史的に見ても世界のどの地域でも、人々は、自宅で出産したのと同じように自宅で家族を看取りました。米国では自宅出産の運動によって誕生という人生の大切な儀式を自分の手に取り戻そうとする人々が増えました。いっぽう自宅で終末を迎えようとする運動は少しゆるやかに進んでいます。家庭で死を迎えることには癒しの力があります。自宅で死ぬことはとても大切なことなのです
私はルドルフ シュタイナーが提唱したアントロポゾフィー(人智学)を長年研究してきました。その観点を中心にお伝えしたいと思います。人智学とは、かんたんに言うと「人間の精神が宇宙の精神に出会うとき」と定義できます。ルドルフ シュタイナーは、オーストリア出身の哲学者で、ウォルドルフ教育(日本ではシュタイナー教育)、バイオダイナミック農法、クリスチャンコミュニティ、キャンプヒル運動、アントロポゾフィー医学、治癒的なものと芸術的なオイリュトミーの創始者でもありました。シュタイナーはこの世界に多くの贈り物をもたらしたユニークな人間でした。その教えの多くはまだ完全に理解され実現されていないと言われてます。
シュタイナーとアントロポゾフィーの教えから、私は死ぬことがどんなプロセスをたどるのかを理解しました。父の死後しばらくして、実はもう亡くなったのに、父がそこにいるという具体的な経験をしました。当時の私にはよく理解できませんでした。その経験がいったいなんだったのかわかるようになったのは、シュタイナーの著書『いかにして高次の世界を認識するか』(”Knowledge of the Higher Worlds”)を初めて読んだときのことでした。この本に書かれていることと同じことを私も経験したので、本の内容が本当のことだとわかりました。死のプロセスと死と再生のあいだにどんなことが起きるかについて、シュタイナーは現代の知識人のあいだでだれよりも多く書いています。長年にわたってアントロポゾフィーを研究してきて、死についての教えを理解したので、私は家族や友人が心から満足できる終末を家庭で迎えられるようにお手伝いするようになりました。死は私たちが地上にいる間に起きる大きな謎です。私は、死を癒しをもたらすもの、と新しくとらえなおすことができるのではないかと思っています。死をなにかうまくいかなかった出来事のように思ったり、ただ怖がるだけではなくて、よい死が迎えられるように心構えを変えませんか?

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死ぬことについての会話を始めるには

大切な人が死に臨んでいるとき、私たちにどんなことができるでしょうか?かたわらに寄り添い、シンプルに起こっていることを受け入れるだけで、美しく愛情のこもったやり方で、死の旅路に同行することができます。終末を迎えつつある人には、
「死んだら、どんなことが起きると思いますか?」
と尋ねます。本人が死んだときにどんなことが起こると信じているかを尋ねて会話を始めます。こう尋ねると、その人が今どのあたりにいるのか、私からどの程度のことを聞きたいのが、そして彼らが何を恐れているのかがだいたいわかります。あるとき、とても親しかった94歳の祖母にこの質問をしました。1900年代の初めに生まれた祖母は、私にこう言いました。
「もし私が良い人だったら、死んだら天国に行くのだろうね。」
私は祖母が良い人間で、きっと天国に行くでしょう、と強調しました。それが祖母との死に関する会話のすべてでした。祖母は、眠っているあいだに亡くなったので、「良い死」だったと思います。毎晩眠りにつくとき私たちは小さな死を体験しています。肉体とエーテル体はベッドにとどまり、アストラル体とハイヤーセルフ(本当の自分、真我)はスピリチュアルな領域に行き、日常の仕事と人生のための知恵と理解をもらってきます。眠っているあいだに、私たちは過去の人生の要約も体験します。眠りにつくことと死ぬことの違いは、死の場合、私たちの肉体とエーテル体を繋いでいるエーテルコードが肉体から切り離される、ということです。死は「離肉」(”excarnating”、受肉”incanating”の反対)のプロセスです。死ぬまでにかかる時間は人によってさまざまです。しばしば、長いこと待たなければなりません。
死の境界線にいる人々がよく、遠くの友人や家族が来てくれないかと望んでいることがあります。または、この世を去る前に未解決な感情的な問題が解消されたらいいと、望んでいることがあります。または、本人がもう行く準備ができた、と言っても、無意識に怖くなってしまうこともあります。ときには、一番親しかった人たちとあまりにも強い絆で結ばれているので、その人たちが部屋を離れなければ、本人が自由に死を迎えられないということもあります。家庭でお看取りする家族や友人は、死の旅路の場面場面を自分たちで舵を取る必要があります。残る者が瞑想し、旅立つ人に、
「どうぞ病気の体から自由になって魂を解き放ってください、私たちはあなたにしがみつかないようにしますよ。」
と、伝えるといいでしょう。
死の境界線に近づくと、彼らは食べ物と飲み物のある現世から背を向け始めます。なので本人が欲しがらないかぎり、栄養を摂ることを強要しないほうがいいでしょう。これは、「離肉」のしるしです。魂と精神が現世の肉体的な執着から離れていくことをしめしています。本人が意識不明の状態になるかもしれません。しかし、意識不明の状態でも本人は周りの人の考えていることを聞くことができます。私たちはまだ本人と話しをすることもできます。このことを覚えておいてください。このときに、スピリチュアルな読み物を読むといいでしょう。聖書やそのほかのインスピレーションを与える本、おとぎ話、詩などいろいろあります。地上から離れるとき、私たちは空想と絵画の世界に今までよりもっと心を開くものです。楽器が弾ける場合、ライヤー、ハープ、ギター、笛などを演奏して、柔らかく長い音を鳴らすと落ち着きます。私の住むサンフランシスコのベイエリアには、死を迎える人の枕元に来て歌うボランティアグループがあります(“Threshold Singing”)。もちろん自分で歌ってもいいのです。曲はシンプルで、即興で、光に向かって小径を歩く、というようなテーマで、楽器伴奏なしで歌うといいでしょう。
私はお看取りをする家庭を訪ね、臨終の瞬間を何回か目撃しました。ときには、死にゆく人が直前に突然目を開けて、しっかり意識をとりもどし、あなたを見つめたり、起き上がることがあります。これは非常に強力な体験です。子どもの誕生に居合わせるのと同じように、臨終に立ち会うことも贈り物です。死のプロセスは、誕生のプロセスの逆に過ぎません。なぜなら、死を迎える人は、スピリチュアルな世界に生まれ戻っているのですから。そこでは、あの世での新しい誕生を祝う歓喜に満ち溢れています。

臨終後の実際的な手順

医師MDによる死亡の検証と証明書。 および州の提出書類
死後の移行時期
遺体の洗浄と塗油
ドライアイス

臨終を迎えたのち、亡くなった人とゆっくりと質の高い時間を過ごすことができると、深い治癒が起こります。この時間が、生き残った人と亡くなった人両方に重要な転換をもたらします。どこで亡くなったかに応じて、こうした時間が過ごせるように工夫しましょう。医師またはホスピスの看護師に死亡を確認してもらい、各州の規定に従って必要な書類に記入します。確認が終わると、家族または友人は故人の体を自由に洗うことができます。水を張ったボウルに、ラベンダー、ローズマリー、ローズ、レモンなどのエッセンシャルオイルを数滴落とし、いい香りのする水でお清めするといいでしょう。ウォッシュクロスを、ボウルの水に浸し、遺体を優しく洗ってから乾かします。その後、ミルラやまたはラベンダー、ローズマリー、手持ちの香油で遺体を清めます。こうすることで、故人の生涯にわたってその精神の器を勤めた身体を祝福し、感謝します。遺体のお清めは何世紀にもわたって多くの文化で行われてきました。
事前に、ドライアイスを購入できるお店を調べておきましょう。ドライアイスは溶け始める前に、茶紙の袋に入れてからビニール袋に入れ二重に包みます。ドライアイスは、遺体の中心にある内臓付近の下部に入れます。私は通常、中型のドライアイスを3枚使用します。体の大きさにもよりますが、1日あたり15〜25ポンド(7〜11キロ)は必要です。遺体を安置する場所の表面にドライアイスを置き、タオルとシーツで覆います。つぎに、遺体をドライアイスで覆われた表面に安置します。目と口が開いている場合は、そっと閉じてあげましょう。あごの周りにシルクスカーフを結んで口を閉じた状態にしてあげることもあります。死後硬直がおよそ1時間ほどで始まります。また、自宅に安置する日数に応じて、鼻腔と耳に綿を入れて、体液が流れ出ないように予防できます。下半身に布や大人用のおむつ、防水パッドなどを付ける人もいますが、必ずしもいつも必要とはかぎりません。
亡くなった人のお通夜に3日間かけられると理想的です。肉体の解放は死のプロセスのほんの一部分なのです。私たちは、肉体のほかにアストラル体とエーテル体(または生命体)、そして高次の霊的自己「ハイヤーセルフ」という四つの鞘に包まれて生きているのです。いったん死の瞬間を迎えたら、つづく離肉のプロセスにおよそ3日間かかります。この間に肉体以外の体(鞘)を手放すのです。臨終を見届けてから枕元にいる人が、亡くなった人がまだそこに居るかのように感じることがよくあります。この四つのエネルギーの鞘を感じとれるとその理由がわかります。遺体から体液が排泄されるのは、エーテル体が離れていることの外的な現れです。

お通夜

各家庭でどのくらいの期間、遺体を家に置いておくのか、3日間のお通夜をするのかどうかを決めましょう。1〜2日でも十分です。または数時間だけでもいいのです。お通夜の時間を短縮する場合でも、葬儀会社の人に少なくとも3日間は遺体を火葬しないように願い出ることを強くお勧めします。遺体に防腐処理を施すことは絶対にやめましょう。防腐処理は死後に起こるエーテル的なプロセスを妨害するのです。昔は遺体には防腐処理が必要だという気持ちにさせられましたが、それは事実ではありません。
遺体を安置した部屋を美しく整えましょう。医療機器類はすべて取り除いたほうがいいです。花を飾り、そばの蝋燭に火を灯しておきます。遺体を美しい布で包みましょう。とくにシルクがいいでしょう。訪れる人に座ってもらうよう、かたわらに椅子やベンチを置きます。ここで人々は亡くなった人に敬意を払い、お別れを言ったり、歌ったり、音楽を演奏したり、詩や神聖なインスピレーションをうながす本を読んだり、または、ただじっと静かに座ったりすることができます。家族はコミュニティの人々が訪れるための時間を作るとよいでしょう。そうすることで人々はプライベートな時間を故人と過ごすことができます。実際にどのような構成にするかは、各家庭次第です。
お通夜の期間には、亡くなった人の精神と魂が徐々に肉体から離れていくので、驚くようなことを目撃するかもしれません。美しい光とエネルギーが空間を満たし、このプロセスを通して癒しの力を体験できます。
お通夜の終わりになんらかの儀式を行うことができます。家族友人たちが自分たちの手で創り上げてもいいし、このプロセスを手伝ってくれる人に来てもらってもいいです。それが終わったら、遺体は葬儀責任者によって運ばれ、次の段階は火葬または埋葬です。

終わりに

ここでご紹介したのは、だれにでもできるシンプルなプロセスだと思います。特別なトレーニングは必要ありません。数人の家族や友人があなたをサポートしてくれると力強いでしょう。自宅で迎える死について私と話をしたい場合は喜んで対応できますが、私はプロの「死の助産師」としてお手伝いしているわけではありません。 友人に呼ばれたときに、地域での奉仕として、あるいは自分自身の業(カルマ)、スピリチュアルな実践としてお手伝いしてきました。この記事を読んだ人が、意識的にスピリチュアルな死のプロセスが大切だと気づき、実行する気持ちになることを願っております。記事の引用はご自由ですが、著作権で保護されています。

追記

コロナウイルスの感染拡大が始まったので、自宅で迎える終末のプロセスを新しい規制のために変えなければならないかもしれません。COVID 19の患者を病院から解放することは感染予防のためにほぼ不可能でしょう。しかし、誰かが家で亡くなった場合、一般的な安全対策を施し参列人数を10人以下に制限すれば、家での看取りは可能だと私は信じています。遺体を清めるときは、手袋とマスクを着用して細心の注意を払ってください。この件に関する米国の最新情報については、全国家庭葬儀同盟(NHFA)にアクセスしてください。 自宅での死亡や法的必要事項などの情報が閲覧できます。

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境界線を超えた人々のための句
「心の愛が魂の愛に届きますように、
霊の光よ 愛の暖かさがあなたに向かって輝きますように。
それでも私たちはあなたに近づいていくでしょうか、
霊の思考よ あなたと一緒に考えています
世界の愛よ あなたの中にいると感じています
静かなる存在の意思よ しっかりと意識をもって わたしはあなたと一体になります。 」

(ルドルフ シュタイナー)

資料
Life Between Death and Rebirth, Rudolf Steiner, Steiner Press
Staying Connected How to Continue Your Relationship with Those Who Have Died, Rudolf Steiner, Steiner Press
Living Into Dying Nancy Jewel Poer, order book via email: whitefeather@directcon.net or call 530–622–9302
Funeral Consumer Alliance (FCA) funerals.org
Funeral Services supportive of Home Deaths
Colma Cremation Funeral Services
Joseph Stinson, Funeral Director, Phone: 650–757–1300
Final Passages Jerri Lyons in Sebastopol, California. Trainings and Home Death resources www.finalpassages.org

この記事の原文

訳者註
カレン アパナ氏はサンフランシスコでシュタイナーの提唱するバイオグラフィーワークを教えています。そのほかにも、シュタイナー教育の教員養成や、シュタイナー教育機関の顧問をやりつつ、アーティストとして作品の制作も行っている素敵な女性です。私はカレンにバイオグラフィーワークを指導していただいています。カレンのバイオグラフィーワークショップでは新しい発見と笑いが絶えません。カレンから支持を受け、この記事の全訳を日本の読者に公開できることに感謝しています。田中晴子

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