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「異常者に人権は要らない」

ある事件に寄せられたコメントである。
背筋が寒くなった。

前提として、この事件の犯人について一切の擁護を僕はしない。

この世界では手を変え品を変え、時代とともにそれぞれマイノリティ(本来の意味通りの少数派)を異常者と呼んできた歴史がある。だから、無差別殺傷事件を起こした人を異常者と呼ぶことに理屈の上で疑問はない。

それはそうと、僕は現在の自分が”異常者”でないのは偶然の産物だと思っている。
今のところ世間は僕の存在を許している。それでも自分のことを善良な人間だとは到底思えない。降って湧いたラッキーの連続で人並みの学歴と職を手に入れて、なんとか生き延びているだけだ。その仕事だって去年の冬から行かれなくなって「この先どうするつもりなの?」って人事から電話がかかってきたりした。

まともに働けないということは自尊心を破壊する。
朝起きて自分の仕事机についている人たちの日常ツイートが、なんだか偉そうに見える。他の人たちが毎日こなしていることができないなんて本物のクズなんじゃないか、そういう風に思われてるんじゃないか。
ここにお金の話が絡んでくれば、話はもっと深刻だ。

仕事やお金がないことは、しばしば歪んだ人間関係を築いたり、あるいは人間を遠ざけたりする。
だから、「異常者に人権は要らない」と言われて「その通りだ」と僕は思えない。

異常者から人権が剥奪される世界は、きっと異常者予備軍を監視する世界だ。そして異常者予備軍が監視される世界は、それ以前に市民が相互監視する世界だ。
そして、それは既に歴史上存在したことのある世界だ。

それは震災のあとの井戸端のことであり、流れてきたラジオを聞いたある日のことであり、路上に散らばったショーウィンドウの硝子が月明りに輝いた夜のことである。

人間は放っておくと他人の人権を剥奪してしまう。
そうして虐殺を生んできた過去があり、そしてそれはまったく知性的でもなければモダンな考え方でもない。

誰かが他人の人権を奪ったとしても、誰もその人の人権を奪ってはいけない。奪えるようなものであってはいけない。
それはラストストローで、我々の矜持であるべきだ。

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