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生活をするということ、あるいは食洗機とドラ洗を買ったという話

仮住まいの感覚が抜けない。

僕は独居なのだが、誰かと同居の予定もなし、今この単身の生活が人生の大半を占め、ずっと続いていくのが現実的な予定だ。
しかし、どこかで「今の生活は別に長く続けるつもりはないし」という気持ちがあった。

家族が欲しい。有り体に言えばそういった願望がある。

その願望がどこか現実的な予定を遠くに押しやりたがっていたのだろうし、それはもしかしたら願望ですらなくて僕を支配している価値観だったのかもしれない。
いつかは家族を持つのだから、そうなるべき、そうなるのが当然であるべきなのだから、今の生活は長く続けてはいけないもので、だから今の生活を充実させてはいけないのだ、と。

あるいは、僕がまだ為せていない何者かになるという夢が現実から目をそらす役割を勝手に担っていたのかもしれない。
そういえば僕はずっと、何者かになるためにはまず"普通の人"にならなければいけないという価値観にもずっと苦しめられてきた。
何かを為し得る何者かになる前に、まず普通の人として生活できなければならない。普通の人として生活するということは、普通の人ができることはすべてできなければいけなくて、楽をしてはいけない、と。

普通の人とは誰だろうか。

僕は発達障害で、二次障害の適応障害を抱えていて気象条件や季節の変わり目に毎回体調を崩して寝込んでいて、やってみたら思ったよりは物になったという理由でプログラミングにしがみついて生活のために仕方なく、必死で会社勤めをしている作家志望だ。

"普通の人"にはなれないし、なる理由も多分ないし、本質的になりたくもないと思っている。

僕がやるべきことは、食うための仕事を続けながら何者かになるための努力の余地を残した生活基盤を築くことだ。
生活基盤。そうだ、基盤がなければ機械は動かないし家は建てられない。
この町に根を下ろし、暮らすということを続けるのだ。

そういうことなのだと気付いた時、僕は1Kの中に書斎と言い張るスペースを作り、食洗機とドラム式洗濯乾燥機を買った。

僕はここで仕事をし、生活の手間と時間を極力自動化することで心身の健康を維持するゆとりを作るのだ。
ここから始まるのだ。すべてが。

何者でもない僕の今の在りようを認め、そしてもう一度エンジンをかけてアクセルを踏み、ハンドルを切りなおす。僕の中の生活をするということのイメージはそれだ。それになった。
何度でも、何度でもきっと同じことをする。
それをやり続けられる人間しか、何者かになることはできないのだから。


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