焦りやすいひと
わたしはたぶん焦りやすい。自分のリズムが世界のリズムという言葉があるが、まだ自分の中に深く落ちてないのを感じる。
今、わたしはハピコレの会場であるセルリアンホテルのラウンジにいる。体調が良ければ、「ヘルツ爆上げ!!!」みたいな感じで、コミュニティーの方々との交流を深めたかった。
異変は渋谷駅に近づいてきた代官山駅あたりから起きた。なんか、頭が痛い・・・。それはショックな出来事だった。お茶会に笑顔で参加したかったし、楽しくニコニコとおしゃべりできたら嬉しいなと思っていたので、頭痛が起きたときに、これはもう最短距離で会場入りした方が良いと判断した。
11時に渋谷駅に着いた。開場は13時であり、俄然時間がある。ラウンジに行き、お茶を飲んで、頭が楽になるのを待った。しかし、待てど、暮らせど、全く楽になる様子などはない。気を紛らわすために、またちょうどよく書きたいことが溢れていたタイミングだったので、エッセイを書き始めることにした。頭が痛いことをおさまるのを待つよりも、気を紛らわすことをした方が幾分か楽になった。
わたしがエッセイを書こうと気持ちを新たに思った理由は、先日、TSUTAYA家電に行った際に、何気なくオードリーの若林さんのエッセイをペラペラてめくったからだった。わたしは最近、電子書籍ばかりを読んでいたので、本をめくる動作をとんとしてこなかった。しかし、ペラペラと本をめくったとき、涙が出るくらいに感動してしまった。細胞が歓喜で満ち溢れたのだ。理由はおそらく小学生・中学生のときの記憶に起因する。わたしは漫画を買ってもらえる家ではなかった。物をあまり買い与えられた記憶はない。決して貧乏ではなく、裕福な家なはずだったが、嗜好品を買い与えられた記憶がなかった。なので、わたしの娯楽は図書館で大量に本を借りてきて、猛烈に読むことが最高に幸せな時間だった。特に好きだったのが、エッセイを読むことだった。パリやイタリアでの旅行記やその土地に移住したひとの話は、田舎に住むわたしにとっては夢のような世界を垣間見る機会だった。また、さくらももこさんのように、変わった視点での日常エッセイも非常に面白く笑えた。偏った人間の視点を追体験できることがとても面白い。わたしの学生時代は本を読むことが一番の娯楽で、楽しい記憶だった。
その記憶が若林さんのエッセイをペラペラとめくったときに、ぶわぁーー!!!とあふれてきたのである。うっかりおしゃれなジャジーな雰囲気のTSUTAYA家電でポロリと涙をこぼすところだった。
また、若林さんのエッセイをちらりと読んで、気が楽になったのも、わたしがエッセイを書こうと思ったきっかけだった。
わたしは今、本の執筆をしているが、遅々として進んでいない。3年前の記憶を遡って書いているのと時系列を意識して書いてるのと、編集者から『一文は長めにお願いします』と言われたからだった。つまり、気にかけることが多すぎて全然執筆ができてないでいた。
しかし、若林さんのエッセイを見ると、短文であり、話口調に近く、改行も多数使われていた。
これを見て、本当に気楽になったし、「これでいいんだ!」と思えた(もしかしたら、涙が出そうになったのは、この影響かもしれない)。
わたしは若林さんに勇気をもらい、エッセイを書くことにした。わたしは出版する機会がないのに、原稿なんて書いても意味がないと過去は思っていた。しかし、もはやそんなことはもう思わない。やはり、わたしはエッセイを読むのも書くのも好きだと自覚したからだった。自分を枠にはめたときに苦しくなり、好きなものも嫌いになってしまうのだ。わたしは出版しなくても、エッセイを書くし、売りたければ、noteで販売すればいい(若林さんも売ってることだし真似をしよう)。
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