ALSのこと。おばのこと。
私にはALSについて書く資格など全くないのだ、そういう思いを抱きながらこれを書いています。
渡辺松男さんという「かりん」に所属しておられる歌人をご存じでしょうか。2010年よりALSで闘病をされています。
「短歌」6月号に以下のような歌があります。(p.36)
みえざれば帰雁はなんらかのひかり照りてきえたるみづたまりかも
ベッドに横たわる作者からは帰雁の鳴き声しか聴こえないのかもしれません。音でしか聴こえない。姿は見ることがない。だから雁は何かの光を写して消える水たまりのような、そういうかすかだけれど、確かな存在として感じられているのだと思います。
二羽三羽落花に跳ぬるすずめの子ひなたからかげかげからひなた
これも窓外の風景でしょうか。鳥はよく動くので、目に触れるのかもしれません。渡辺さんの歌歴を説明する、上記にリンクを貼ったWikiでは、人間が生き物一般と等価に立つような、独特の自然観の短歌を詠まれるとあります。闘病生活をされながらその自然観が一層強くなったのではないかと推測しています。
母の姉、自分にとってのおばは、ALSでした。その上パーキンソン病も併発しておりましたので、看病をしていた娘である私の従妹はどれだけ大変だったことだろうと思います。
本当に偉い人とか優しい人というのはいないものだと、ぼんやりと思う時、いやこの従妹だけは例外だと感じることが、良くあります。従妹が優しいから神様が、あんな試練を与えられたのか、試練を与えられたから優しくなったのか、そのどちらなのかは分かりません。多分その両方なのでしょう。
自分は仕事が忙しくてストレスを抱えていた時に、この従妹に決定的に失礼なことを言ったことが一度ならずあります。そのいずれも彼女は許してくれているように見えます。自分でもこんな形で試してしまうのなら、どこかに彼女のような人を試してしまう存在があってもおかしくないのではないか、と勝手に思ってしまいます。
さてALSを患っていたおばですが、私が滞米生活から一時帰国して山口県に会いに行った時に、もう口をきけず、紙に言葉を書いてくれました。おばは書道家でしたので、その最期の方まで字を書いていたそうです。そんなおばに私が大きな声で話しかけると従妹が、五感や知性は病気の影響を受けていないので、普通にしゃべっていいのよ、と笑って説明してくれました。
今でも忘れませんが、叔母は
香月泰男、見て欲しい
と書いてくれたのです。ちょうどその時、山口県立美術館で山口県の生んだ洋画家香月泰男の展覧会を開催していました。シベリア抑留中に苦労に苦労を重ねたこの洋画家の作品を、苦しみの中にあったおばは、見て欲しいと言ってくれたのです。
従妹の計らいでその展覧会を見ることができました。デフォルメされた鉄条網や、牢の窓を通して見える月などの絵を憶えています。それは暗くそして極めて根源的な風景でした。
またその時おばは
鳥
とも書いてくれました。従妹が窓の外を、次にいつ鳥が通るのかを楽しみにしているのだと説明してくれました。デイケアだったか病院だったかで持たれる、定期的な行事もとても楽しみにしていると説明していました。
歌人の母がそのALSの姉について作った歌です。
こゑうしなふ姉がいまはに乱れつつ書きにけりありがたうありがたうの字
口語訳:声を失ってしまった姉が乱れた字で、亡くなる直前に書きました。ありがとうありがとうと。
(21世紀歌人シリーズ 岸上展「秋の響灘」角川書店収録)