はるかたいら

巳年蠍座の46才、高校生と小学生の父親でございます。TV-CM制作に従事した後、フリー…

はるかたいら

巳年蠍座の46才、高校生と小学生の父親でございます。TV-CM制作に従事した後、フリーのフォトグラファーを約10年やっておりました。統合失調症を患っており、現在は航空会社の総務部に障害者雇用で働いております。

最近の記事

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写真とエッセイ | 辻褄を合わせるということ

幼い頃、物心がついた頃から「理論的に」生きて来ました。 特に中学校で数学を教わったころからでしょうか、理論的に考え、それを実行することが正しいと信じ込み、ある意味素直にそう有りたいと思いつつ大人になりました。 しかし、先日、京都大徳寺大仙院の尾関宗園和尚の本を読んでいると、「辻褄など合わせなくとも良い」と言った意味の文章がありました。 辻褄を合わせなくても良いとは、どういった事か、今日はその事についてちょっと考えてみたいと思います。 辻褄が合っていない、つまり理論的で

    • レコードが終わった、その空白の時間に。

      彼女とワンルームの部屋に暮らしている。 今日は雨が降っていて寒いから、ベッドに送風ヒーターを入れてぬくぬくしながらレコードを聴いていた。 中学生の頃から好きだった、ボブマーリーの「LIVE」のB面を聞いた後、スティービーワンダーを流しているうちに彼女は寝てしまった。 横浜をインスピレーションしたお香も、ヒーターのタイマーも切れ、レコードは終わった。 チリチリと空回りするかすかな針の音と、外を時折通る車の音だけが部屋に聞こえている。 今日から写真は、スマホで撮ったカラ

      • 写真とエッセイ | 障害者の面談

        昨日、会社で面談があった。 今回はその内容について書きたいと思う。 私はいわゆる「大企業」のグループ会社の障害者雇用で働いている、今年入社5年目の嘱託社員だ。 日頃真面目に取り組んでいるので、実務作業のスピード、正確性、安定感を評価して頂いており、現在6人の障害者チームの中では唯一正社員雇用に向けて準備を進めている。 社内には約40人の精神障害者がいるが、現在正社員になっているのはたったの1人だけなので、大企業のダイバーシティ政策としては遅れをとっている方だと思う。

        • 写真とエッセイ | 睡眠薬強盗

          noteをはじめて、張り切ってシリアスな事ばかり書いてしまったので、今回は笑い話をしてみようと思う。 もう25年も前の事になるが、海外をバックパックで1人旅していた時のことだ。 私は飛行機でフィリピンのマニラ空港に降り立った。 旅の最中、台北から飛んだものだし、日中に到着する便だったので、宿はまだ決めていなかった。 税関を通過し、街中へ出るため、バス乗り場へ移動しようとしていた時だった。 若い女性が「ヘイ、ミスター!」と声をかけて来た。話を聞くと、彼女の家族は宿屋をやっ

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        写真とエッセイ | 辻褄を合わせるということ

          写真とエッセイ | 離婚

          今日は離婚について考えてみる。 私は若い時に統合失調症を発症したが、当時の主治医に「薬を飲んでいれば健常者と同じ社会生活が出来る」と言われていたので、子供を作りたいと思っていた。 そして、29歳の時に男の子、34歳で女の子を授かった。 私は当時、広告制作会社でTV-CMの制作業務に携わっていたが、キャリア志向の妻もフルタイムの仕事を続ける事を希望していたので、労働時間の長かった私がフリーランスに転職し、家事・育児分担を増やすことにした。 何とか、学校写真のカメラマンに

          写真とエッセイ | 離婚

          写真とエッセイ | 阿保ということ

          私は統合失調症だ。25歳くらいの時に発症し、現在45歳なのだから、もう20年くらいになる。 病名がついた当初、私は頭が真っ白になった。何が起こったのかわからないくらいだった。 順風満帆に進んでいたはずの人生が、まるで悪夢にでも落ちたかの様なショックだった。 時がたち、就職、フリーランスを経て、今度は大企業の障害者雇用で仕事をすることとなり、はや5年目になる。 一般採用(クローズ)での就業経験から、長時間労働は厳しいが、その他は健常者と同じ仕事ができると自負しているが、

          写真とエッセイ | 阿保ということ

          写真とエッセイ | 幼な児が次第次第に智慧ついて

          「幼な児が次第次第に知恵ついて佛と遠くなるぞ悲しき」という一休和尚の句があります。 純粋無垢だった幼子が成長するにつれ、段々と知恵がつき、世間一般の常識と言う垢がついて、仏心から遠ざかってしまう事を憂いだ詩です。 私も高校生と小学生の子を持つ父親として、この句にしみじみと共感を覚えます。 受験勉強、特に偏差値教育への盲信を中心とした、競争社会への従属。子供が成功し、成績が上がれば上がるほど傲慢になっていくのが手に取るようによく分かる。 そして、それをやめさせるどころか

          写真とエッセイ | 幼な児が次第次第に智慧ついて

          写真とエッセイ | 想像した未来に向かうために

          世界は自分が生まれる前から存在していた。それは、紛れもない事実だ。 父と母が仲良くなって私たちが生まれ(笑)、その後、自我ができた。いや、受精をしたその瞬間から、DNAに組み込まれた自我がもう出来上がっていたのかも知れない。 兎に角、何もない「無」から私たちが誕生したのであるが、両親は私たちの誕生前から存在して、私たちという人間を産み届けた証人であるから、彼らが嘘をついていない限り(笑)、私たちはこの世界に後から降り立った者である。 であるならば、私たちは謙虚に今までの

          写真とエッセイ | 想像した未来に向かうために

          写真とエッセイ | 何もかもがアート、誰もがアーティスト。

          私は2003年に東京綜合写真専門学校を卒業したのだが、その時の卒業論文はマルセル・デュシャン(Marcel Duchamp、1887年7月28日 - 1968年10月2日)とアンディ・ウォーホール(Andy Warhol 、1928年8月6日 - 1987年2月22日)だった。 マルセル・デュシャンは、フランス生まれの美術家で、20世紀以降の美術界に大きな影響を残した人物だが、一般の日本人にはあまり知られていないと思う。 一方、アンディ・ウォーホルは、アメリカの画家・版画

          写真とエッセイ | 何もかもがアート、誰もがアーティスト。

          写真とエッセイ | 夢

           三代将軍徳川家光や剣豪宮本武蔵との関わり、更にはお漬けものでも有名な沢庵宗彭和尚の最後の筆は「夢」でした。床に伏した最期に、弟子を布団の横に呼び書の準備をさせ、一つ「夢」とだけ書き綴り、波乱に満ちたその生涯を終えたといいます。この書は今も東京・品川の臨済宗大徳寺派の寺院、東海寺に保管されています。私がこのことを本で読んだのは5年ほど前で、当時従事していた学校カメラマンの修学旅行で座禅体験をしたご縁があって、その後も度々参拝させて頂いている、京都大徳寺大仙院の尾関宗園和尚の伝

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