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写真とエッセイ | 夢

 三代将軍徳川家光や剣豪宮本武蔵との関わり、更にはお漬けものでも有名な沢庵宗彭和尚の最後の筆は「夢」でした。床に伏した最期に、弟子を布団の横に呼び書の準備をさせ、一つ「夢」とだけ書き綴り、波乱に満ちたその生涯を終えたといいます。この書は今も東京・品川の臨済宗大徳寺派の寺院、東海寺に保管されています。私がこのことを本で読んだのは5年ほど前で、当時従事していた学校カメラマンの修学旅行で座禅体験をしたご縁があって、その後も度々参拝させて頂いている、京都大徳寺大仙院の尾関宗園和尚の伝えるものでした。夢というものを追い続け、また敗れ続けてもいる私にとって、沢庵和尚のこのエピソードは大変インパクトの大きい、考えさせられる言葉でした。

 夢を追い続けて良いのか、それとも諦めるべきか、自問自答の日々の中で、それでも大きさや形を変えながら決して消えてしまうことのない小さなこの炎を、大事に大事に抱えながら、結局投げ捨ててしまう事ができずにいる自分がいる。そんな諦めの悪い自分を嫌いにならないで、笑って許して、のらりくらりと一緒に付き合って生きていく覚悟が出来たのも、最近になってからのことかもしれません。そう覚悟が出来て、やっと、他人の評価という執着から、一歩距離を置く事が出来るようになりました。夢はあくまで自分のためのものなのだ。そう思える様になったのです。良い年して、恥ずかしい事ではありますが。

 写真家を志してきた中で、一つの賞を取るにも至らなかったけれど、大切なのは社会的成功ではなく、自分に嘘を付かず作品と向き合う事ができたという事。その自負心だけはあります。ヒロトさんがかつて歌っていた様に、
 ここから一歩も通さない
 理屈も法律も通さない
 誰の声も届かない
 友達も恋人も入れない
そんな場所まで辿り着けた事が、何よりも幸せな事なのだ。より良い社会とより平和な世界に少しでも貢献することを目指して写真家になる事を決意したのに、いつの間にか、よりお金を稼げるとか、よりフォロワーを多くしたいといった事ばかりに気を取られてしまい、体調まで崩してしまっていた。そんな馬鹿な自分に喝を入れて、これからも本当の「夢」を見ていきたい。


「月の爆撃機」

 カメラを振り回して長時間露光で撮影した、月の光の作品に、ザ・ブルーハーツの楽曲のタイトル「月の爆撃機」を拝借した。来る日も来る日も写真のことばかり考え、足が棒になる程街中を歩き回って撮影をしていた20代。満月だということで、疲れ果てた体に鞭を打って、近所の小学校の校庭まで行きファインダーを覗いた。ブレてしまい、思う様に上手く構図に収まってくれない月に納得が出来ず、一掃のこと自分の思うように動かしてしまえと首を振ってみた。初めはジリジリと折れ曲がった軌道をモニターに写していた月が、激しいヘッドバンキングを繰り返す私の脳裏の音楽に合わせ、美しい直線・曲線となって一画面に定着してくれる様になった。私は夢中になり何回も何十回もその動きを試みて、ついに一枚の作品を完成させた。一瞬を切り抜くのではなく、「長い時間」を静止画に閉じ込めることによって、時間の概念を捻じ曲げて、新しいビジョンを作る事に成功したのだ。ここに、こうして皆様にその作品「月の爆撃機」を発表できる事を、たいへん嬉しく思います。

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