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写真とエッセイ | 幼な児が次第次第に智慧ついて

「幼な児が次第次第に知恵ついて佛と遠くなるぞ悲しき」という一休和尚の句があります。

純粋無垢だった幼子が成長するにつれ、段々と知恵がつき、世間一般の常識と言う垢がついて、仏心から遠ざかってしまう事を憂いだ詩です。

私も高校生と小学生の子を持つ父親として、この句にしみじみと共感を覚えます。

受験勉強、特に偏差値教育への盲信を中心とした、競争社会への従属。子供が成功し、成績が上がれば上がるほど傲慢になっていくのが手に取るようによく分かる。

そして、それをやめさせるどころか助長させてしまうことしか出来ない自分。

何かに集中して頑張った経験は、きっと将来的に役に立つからと自らに言い聞かせて。。

しかし、そんなものは社会に出たら屁の役にも立たないことに最近やっと気づいた。学歴を看板に抱えて外を歩くわけでもあるまいし、もしそんなものを鼻にかけている様なら、了見の狭い友人にしか囲まれないだろう。

重要なのは、我慢してる努力する事ではなく、今、好きな事に集中する事。遊びを通して、その好きな事に熱中し、時間など忘れてしまう事。

嫌な事を頑張った経験は、将来嫌な事を我慢してやる時間を正当化し増やすだけになる。

それが分かっていても、世間に合わせて、垢を溜める作業につい勤しんでしまうのが、いかにも日本人的かも知れないが、気づいたらすぐに修正する癖をつけたい。

辻褄なんて合わせなくても良い、常に「今ここ」を楽しんで過ごせて行ければ良い。

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