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写真とエッセイ | 阿保ということ

私は統合失調症だ。25歳くらいの時に発症し、現在45歳なのだから、もう20年くらいになる。

病名がついた当初、私は頭が真っ白になった。何が起こったのかわからないくらいだった。

順風満帆に進んでいたはずの人生が、まるで悪夢にでも落ちたかの様なショックだった。

時がたち、就職、フリーランスを経て、今度は大企業の障害者雇用で仕事をすることとなり、はや5年目になる。

一般採用(クローズ)での就業経験から、長時間労働は厳しいが、その他は健常者と同じ仕事ができると自負しているが、一旦障害者雇用枠で採用されると、手厚い配慮のあまり、責任の小さな仕事しか任せて貰えない。

「以前はこんな仕事も自分の裁量でこなしていた」「周りの社員さん達からは味噌っかす扱いされている」と、プライドがせめぎ合う。

そして、そんなジレンマも、ぬるま湯に使っているうちに無くなってしまう。。

しかし、考え過ぎると病気が悪化する。メンターと仰ぐ大徳寺大仙院の尾関宗園和尚からは「スケベな事でも考えていなさい」と言われ、免許皆伝を貰った積もりになって、やっと心が楽になった。

阿保になること。

内田百閒は「阿房列車」のなかで、「人様に合わせて自分のことを阿保と言っているだけで本当に自分のことを阿保だと思ってはいない」と機微に触れているが、自分自身も認める阿保になることが本望だと今は思う。

阿保になって、今に打ち込む。愉快に楽しく。ただそれだけだ。


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