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写真とエッセイ | 離婚

今日は離婚について考えてみる。

私は若い時に統合失調症を発症したが、当時の主治医に「薬を飲んでいれば健常者と同じ社会生活が出来る」と言われていたので、子供を作りたいと思っていた。

そして、29歳の時に男の子、34歳で女の子を授かった。

私は当時、広告制作会社でTV-CMの制作業務に携わっていたが、キャリア志向の妻もフルタイムの仕事を続ける事を希望していたので、労働時間の長かった私がフリーランスに転職し、家事・育児分担を増やすことにした。

何とか、学校写真のカメラマンに職を得ることができた。若かりし頃、スナップフォトの写真家を目指していた時期もあったし、写真の専門学校を卒業していたので仕事は毎日の様にあった。撮影時間も学校の授業のタイムスケジュールに沿っており、規則正しい生活をするには好都合だった。

毎朝、子供達を保育園に送り、写真撮影の仕事をし、帰りにまた保育園へ迎えに行き、ご飯とお風呂を済ませて妻の帰りを待つ。出張(修学旅行等)の際は、おばあちゃんに送り迎えをお願いする。そんな生活で10年過ごした。

しかし、収入は充分あったが、共働きの生活はギスギスとしてしまい、離婚。その後、私は病気を悪化させてしまい入院した。

子供達は元妻と共に引っ越すこととなり、とてもショックだっただろうと思う。

学校や習い事の友達と離れ離れになり、見知らぬ土地で、不安な生活を始めなければならなかったのだと責任を感じる。

退院、就労支援、障害者雇用での再就職と時が経ち、調停も経て、子供達と面会ができるようになり、今となっては笑って会話もできる様になったが、元妻との確執は取れない。子供達は複雑な思いだろうとも思う。

離婚はやむを得なかった。そう思う自分がいる一方、離婚はただの私の我儘だったのかも知れないと思うこともある。

多くの親が、自分の希望とは別に、子供のために結婚生活を続けている場合もあるだろう。

でも、私は離婚を選んだ。勇気ある一歩として。

喧嘩ばかりして歪みあっている両親の姿を子供達に見せたくなかったし、むしろ失敗から積極的に学んで、人生をより楽しむことを教えたかった。

幸い、子供達は2人とも、自ら進んで勉強をし、社会の役に立つ大人になりたいと頑張る、健康な子供に成長している。こんな父親であっても、しっかりと育つ2人には尊敬の念を隠せない。

子供の情操教育上、離婚はやはり良くないのではないかと心配もしていた。しかし、子供は子供の人生を行く。心配は無用だ。親の離婚から何かを考え、自分たちも大人へなる。

親の都合通りに考えてくれる訳では無いが、彼らなりの答えを持って成長していく。

それをリスペクト出来るようになれば、親という仕事も板についてきたのでは無いかと、自負している。


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