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公認心理師・臨床心理士です。これまで教師や子どもの福祉に携わったりもしました。お仕事で…

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公認心理師・臨床心理士です。これまで教師や子どもの福祉に携わったりもしました。お仕事で文章を書くことはありますが、当noteは気の向くままに趣味で書いています。

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カウンセラーの心の自己管理

「医者の不養生」のような・・・ 昔ながら「医者の不養生」といった言葉がある。忙しく患者ばかり気遣い、自分はそっちのけで不摂生している医者の姿が表されている。自分のことを置き去りにするのは何も医者だけでない。接客業・教育者・対人援助職の仕事では起こりがちなことだ。 心理カウンセラーだって、そうなる可能性はあるんじゃないだろうか。それはつまり、人の問題にばかり耳を傾けて自分の心の声に気づかず、心の自己管理を怠っている状態だ。 ケアする人が自分を置き去りにするのはなぜ? 「人の為

    • 宮﨑駿『君たちはどう生きるか』の心理士的考察(感想)※ネタバレ

       私にとって、ジブリの中で一番良かった作品かもしれない。登場人物の人柄や関係性についての精巧な描写・表現に、改めて感銘を受けるとともに、精神分析やユング心理学をはじめ心理学的な構成要素が観て取れて、とても味わい深かった。個人的に、心に深く響くものがあり、スクリーンの中の世界に没入し、終わった後も、涙が込み上げてくるほどだった。そういった私の個人的な思い入れが、noteを書かせるに至り、思いや考えをしたためたものとなっている。解釈であり、自身の投影を含めた感想の要素もあるところ

      • カウンセラー、カウンセリングを受ける。【第三幕】

        再開(再会)教育分析を再開した。 これまで、カウンセラーが受けるカウンセリングである教育分析を受けており、その考察をしたためてプロセスごとにnoteにまとめていた。鮮烈な出会いの第一幕、煮え切らない別れの第二幕、そして再開と再会(自分自身とそしてもちろん担当カウンセラーと)の今回は第三幕だ。 中断して初めてカウンセリングを受ける意味を見失ったことに気付き、中断していても”続いている”ようだった。中断してふりかえる時間が持てたことにより、カウンセラー任せだったところが自分自身

        • オンラインカウンセリングの世界

          禍が起こるとき心のサービスが発展する 少し前に、withコロナの時代にオンラインカウンセリングをお母さん世代に勧めるファッション誌の取材を受けた。ほんの数カ月前までの世界では、カウンセリングについてファッション誌に特集が組まれるなんて誰も予想しなかったことだろう。コロナはよくも悪くも世界をがらっと変えた。  コロナは急な感じもするけれども、実は、禍が起きてメンタルヘルスサービスにスポットライトが当たるのは繰り返す歴史のパターンだ。古くはベトナム戦争まで遡り、退役兵の奇異な行

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        カウンセラーの心の自己管理

          カウンセラー、カウンセリングを受ける。【第二幕】

          カウンセリングと意味について 「なんのためにカウンセリング受けてるんだっけ?」「カウンセリングがなんのためになってるんだろう?」カウンセリングを始めたからには一回は誰もが体験するんじゃないだろうか。  そうすると、「カウンセリング受けた意味がなかった」となりがちだけれども、当初受けた目的があるのだから、「意味がなかった」というより「意味を見失った」のかもしれない。  人生がそうであるように、意味なんて予め存在したりなんてしない。意味とは、見出すものであり、与えるものと言っても

          カウンセラー、カウンセリングを受ける。【第二幕】

          心の仕事のアイデンティティを考える

          心の仕事に就くこと「どうしてこの仕事に就こうと思ったんですか?」とは、心の仕事に就く人が聞かれるあるあるの問いだ。 自分の場合はと言うと、生産的でいられなかったときの意味を見い出せるのが心理の道へ進むことと思ったからだった。生き方としてその道を選んだと言える。そして、意味を見出せることでそれを生業にしようと思うようになった。 心の仕事に携わることは生き方の一つと言え、心の仕事に携わる方法はいろいろあるが、当時の私は”臨床心理士”しか知らず、愚直に大学院に入って受験資格を獲得し

          心の仕事のアイデンティティを考える

          カウンセラー、カウンセリングを受ける。

          カウセラーがカウセリングを受ける意味お金を頂いて人の話を聴くカウンセラーがお金を払い話を聞いてもらうのにはどんな意味があるのだろう。 人それぞれに受ける理由は違うだろうが、主には、人の話を偏りなく共感して伺えるよう自分の課題に向き合うため、一人の人としての苦悩をケアしてもらうためといったことがある。 前者について、例えば年配の同性に苦手意識があったとして、クライエントさんがそうであったとき、若い異性のクライエントさんのときよりも決めつけが入るなどして共感的理解が難しくなる

          カウンセラー、カウンセリングを受ける。

          台風と怒り

          雨風が吹き荒れ、テレビのアナウンサーは「命を守るために・・」と言い続けている。スマホからけたたましい警報音が唐突に鳴り響く。そんな時でも、いやそんな時だからこそ、私は通常通りカウンセリングをしていた。オンラインならでは成せることだ。天候に影響され気分が沈むと話すクライエントさんと一緒にこの状況と気持ちを共有するときを大切にした。 嵐に紛れてやってきたものいつものことだが、インターンフォンと共にスマホの電源を切り、PCの前にスタンバイすれば、そこには内面の世界だけが存在する。

          台風と怒り

          カウンセラーの心の自己管理~方法論~

          『方法』を論じる。記念すべき初ノート投稿として、カウンセラーはじめ対人援助職にとって自身の心のメンテナンスが大事だと考えた理論編的なnoteをしたためた。 では実際にはどうすればいいのか。 今回は方法論的なものを書こうと思う。より多くの人に感心を持っていただける内容なのではないだろうか。心の管理に悩むのは、ケアする人・される人、その両方である人、全ての人びとに関わりのあるテーマだろうから。 “ケア“よりも“メンテナンス“で。セルフケアという言葉をよく耳にするが、私はより”予

          カウンセラーの心の自己管理~方法論~