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憧れと欲望と一瞬大事党

先週末は台風一過、初夏の日差しがきれいな日に会えて嬉しかった。
山の上ホテルのパーラーで食べたプリンアラモード、神保町の古本屋たち、そしてカフェ・トロワバグでのミルクラム、完璧な休日をありがとう。

何度見てもときめくわ

ミルクラムを飲みながら話した、「海外に住むという選択」の話。
私も大学生のときや、今よりもっと自由に動きやすかった二十代前半に、言葉も何もわからない土地で暮らしてみたかったなあと思う。私は漠然とした憧れのみで、具体的な目標も何もなかったのだけれど。

「今がいちばん若い」とは言うけれど

海外に住んでみたい、そのふんわりとした小さな憧れは今も残りつつ、少し形を変えた。
「ふらっと思い立って1ヶ月ほど暮らすように旅をする、という選択肢をいつだって取れる経済的・精神的に自立した状態でありたい」という具体的な形に変化した。これはこないだも話したね。

そのとき話した内容を帰ってからも反芻していて、「あのときああすればよかった」という後悔は、後悔のまま終わらせずに形を変えて新たな欲望として残していけばいいんだ、いや残してやるぞと小さく誓いを立てました。
若い頃(若い頃とは!?我々はいつだってピチピチだが!?)に取れなかった選択肢は、精神的に成熟した今こそ叶えられるかもしれないし。
あるいはもっと年齢を重ねたときに想像を超えたドラマチックな展開で叶えられるかも。

私、なにかを叶えられなかったり成し遂げられなかった過去の自分をかわいそうにしたくないんだと思う。大丈夫、今の成熟した私がすべて叶えてあげるからね、なんと自己愛のまっすぐなことよ。

そうして発足した、一瞬大事党

あのとき、今、いつか、すべての世界線はいつも同時に動いているけど、人生はあくまで「今」の連続だから、今の私たちにとってはあのときの後悔もいつかのための貯金も知ったこっちゃないわけだもの。

私たちの私たちによる私たちのための一瞬大事党。精力的に活動しようね。
数年後、数十年後のことはそれなりにケアしつつ、美味しいものを食べ、ときめくものを手に入れ、憧れの場所に足を運ぼう。
「雲丹を思う存分食べたい!」という私の欲望にも付き合ってくれてありがとう。こういう手の届く欲望や憧れはバンバン叶えていくわよ。とても楽しみ。

みなみちゃんの欲望もたくさん聞かせてね、ひとの欲望を聞くことで、自分の欲望にさらに火をつけていきたい所存です。

突然ですが、憧れといえば

私はコラムニスト・ラジオパーソナリティのジェーン・スーさんがとても好きなのだが、さいきん彼女の最新の著書を読んだ。
13人の女性たちへ話を聞いたインタビューエッセイで、その女性たちの情熱やめげず腐らず切り開いていったさまはもちろん、スーさんの丁寧な言葉も美しく、背中を押してくれる一冊だった。

私は彼女のファンで、著書も読むし、ラジオもよく聞いている。まさに私のなりたい大人像そのものなのだ。
年齢を重ねるのが怖い、という感情は、単にこころとからだの老いではなく、「楽しそうに生きている大人」を見つけづらいからだと思う。
私も昔は、会社の先輩たちのようになりたいかと言われてもあまりピンと来ず、仕事のモチベーションを数年後の自分と重ねきれずに苦しんだ。

でもこんなにユーモアがあって博識で、言葉が軽やかで聡明で柔らかく、仕事には積み上げた信頼と実績と誇りがあり、趣味にのめり込んで日々を謳歌している大人がいるなんて!
ああ私もこんな人になりたい。

大人の人生って最高、と思わせてくれたのは、この韓国のエッセイも。
これは共に暮らしている女性ふたりによる共著で、暮らしやら仕事やら家族やら趣味やら様々なトピックが行き交っているんだけど、すべての言葉たちに賢さとユーモアとセンスが詰まっていて最高なの(そう思わせてくれる日本語訳が天才というのもある)。大袈裟ではなく10回くらい読んでいて、今でも常に枕元に置いてある。

私にとって憧れの人間像とは、良妻賢母でもなんでもなく、遊び心とユーモアを忘れずに、驕ることなく学び続ける姿そのものだった。
そして彼女たちも美味しいものを食べ、ときめくものを手に入れ、憧れの場所に足を運んでいるの。積み上げた努力と経験とセンスで、年々魅力が増していく聡明な大人たち。

彼女たちのような素敵な大人に近づくには、本を読み、勉強し、愚直に仕事をし、生活を整え、文化や芸術に触れ、憧れのレストランで食事をし、お洒落をし、ときにはご褒美でケーキを買い、旅をして、友人とおしゃべりし、、
あれ、もしかして一瞬大事党の活動を続けることこそが、そこにつながる道筋だったりして。

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