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213.一枚の葉で秋の訪れを知る

一葉知秋。
という言葉を知りました。

とてもステキな四字熟語だったので、自分の書く小説にも思わず出してしまうほどでした。

一枚の葉が落ちて、秋の訪れを知る。

わずかな前兆や現象から、事の大勢や本質を捉えること、という意です。

なんでも、急速にわかったり理解したり、本質を捉えたりするわけではありません。

葉が落ちたことに気づくように、何かしらの前兆があり、現象が起こり、そうして物事の核を垣間見ていくのです。
ひいては、人の本質に迫ることもできる。

たくさんの人と会う機会がありますから、そういった人そのものを理解に努めることは、日々取り組んでいるとても大切な取り組みの一つです。

一葉落ちて天下の秋を知る

似たような言葉はいくつかあります。

出典は『淮南子』という紀元前の中国(当時は前漢)で書かれた思想書のようです。

「一葉の落つるを見て、歳の将に暮れんとするを知る」

『淮南子・説山訓』

という一文に基づいているといわれています。

木の葉が落ちる様子を見て、季節の訪れを知るというのはなんとも情緒的な表現だと思います。

ふと見逃してしまいそうなちょっとしたことが、物事の本質を捉えることやこれから起こりうることを思わせるというのは、何も季節だけに限ったことではありません。

僕は、人でも同じことが言えるのではないかと思っています。

人の本質はどこにある?

例えば、その人の価値観。人生観。

今まで生きてきた過去の経験や想い。

半生を通して構築された、揺るぎのない信念。

岐路に立つときの判断基準。

その人の何が、その人たらしめるのでしょう。
何をもってその人である、と言えるのでしょう。

単純な話ではないですし、これだけという限定的なものでもないと思いますが、何かしら今の自分を構成している何かは存在しているのではないかと思います。

仕事柄、いろんな人に会う機会に恵まれています。
その度に、この人は学生時代どんな人間だったのだろう、今は何を考えてこの場にいるんだろう、などと考えることもあります。

見抜こうとしているというより、理解しようとしている、という表現の方が適切でしょうか。

今後のお互いの話をする上で、表面上の言葉だけでなくその思いやその理由にも耳を傾ける必要があると感じています。

一度きりの人であれば、こんなにも考えなくてもいいのですが。

これからどこで仕事が交わったり、コラボレーションしたり、遊んだり、手を組んでいくことになるかわかりません。

何を大事にして、何を求め、何者になりたいのか。

仕事や属性を超えて誰かとそういった話をするのは、とても楽しいものです。

さて、今日出会う人の一葉は何なのでしょう。

そして、それを通して何を知るのでしょう。

違いは価値。十人十色だからこそ面白い。

今日はどんな人と出会うでしょう。

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