354.目に見えるものぐらい信じたらいいのに
情報過多の世の中。
真実、虚偽、意見、それぞれどれがどれかを見極めることが非常に困難な世界になってきました。
どれが本当かなんていうことは、人によるし状況にもよります。
正解なんてない世界。
選ぶ基準は、「何を信じて生きるか」。
結局はそれだけな気がします。
「信じること=選ぶこと」とは?
信じるなんて大袈裟な、と思うかもしれませんが、実は選択というのはいろんな要素を含んでいます。
正しいから選択したのでしょうか?
良いと思ったから選択したのでしょうか?
それは自分にとって正しい、良いというだけであって、他の人には当てはまらないかもしれません。
そんな答えのない世界でも、確かにあなたは選択しています。
この働き方を、この生き方を、この考え方を、選んでいます。
「何かを選ぶ」ということは、「信じるということ」だという記事を昔書きました。
良い悪い正解不正解ではなく。
今のあなたは、何かを選んだか何かを選んでいないかの行く末に、今のあなたになっているのです。
情報を見極め人生を選択する
さて、今の自分の成り立ちは、それはそれでいいとして。
そこから我々はさらに成長し、変化していきます。
新しい人、ツール、会社など自分以外の何かを通して、死ぬまで何かしらは変わり続けるのです。
都度選択の瞬間がくるでしょう。
その度に、あなたは何を信じて選ぶでしょうか?
道を選択するということは、その道を信じること。
何が真実で虚偽なのか、誰にもわかりません。
それぞれが信じた道を進むしかないのです。
スナフキンの名言に以下のような言葉があります。
結果や実体、見えるものがあります。
その結果は本当かな、と思うのもわかります。
これは信じていいのか、進んでいいのか、選択の度にいろんな想いがよぎるでしょう。
だからこそ、自分の目で見たものを大事にしたい。
目で見たものすらも信じなければ、虚構な自分の身を守るための情報だけに囲まれて、何を信じているのかわからない状態になりかねません。
馬鹿げたものや、意味のわからないもの、理解できない領域、今の自分では腑に落ちない点にたくさんぶつかることもあるでしょう。
そのときに大事にしたいのは、自分の目で確かめること。
信じるな、疑うな、確かめろ。
そう言われてきました。
自分の目ぐらいは信じましょう。
それを疑いだしたら、もうこの世界に真実は存在しないことになってしまいます。
一歩一歩、進みながら、自分の目で見たものを信じて生きる。
情報に踊らされず、鵜呑みにせず、この世界の真実を掴む努力を共にできればと思います。
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