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しんどくても、自分で考えねばならんのだ

2ヶ月ほど前に読んだ上記のnoteが、強く印象に残っている。
私の場合は、cotreeさんのカウンセリングを受けているのだが、noteに書かれたある一文が脳内にこびりついている。

(前略)コーチングは答えをもらえる場所じゃなくって、自分で答えにたどり着くためにアシストしてくれる場所だということだ。

「コーチング」は「カウンセリング」と置き換えることもできる。
どちらにしろ「自分で答えを出す」のが最終的なゴールなのだ。

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筆者のひさとみさんの、以下の一文も印象に残っている。

コーチングを通して気が付いたのは、「誰かに答えを教えて欲しいと思っている自分」だった。

私も全く同じことを考えていたのだ。
カウンセリングに限らず、誰かしらに相談する時は明確な答えを知っている人がどこかにいる。
そう思っていたのだ。現実にはひとりもいないにも関わらず。
いや、正確には一人だけいた。ただし、その人の言葉は、私を救う魔法の一言ではなかった。どちらかと言えば、滅びの呪文だった。
地獄への道は善意で舗装されている」とはよく言ったものだ。
滅びの呪文を唱えた当人は、私を地獄へ突き落としたかったわけではないと思う。
だが、自分の中で納得度の低かった「その人の提示した答え」は、数年間、恨みの核となっていた。
雑な言い方をすれば、誰かの出した答えを受け入れても、ロクな結果にならないということだ。
ちなみに、事実だけを述べれば、


・「○○さん(本名)は工場系の仕事が合ってるよね」と言われた
・アドバイスどおりに工場に就職したが、毎日5時間の残業&オールナイト(夜勤がある職場ではない)が当たり前の環境で心身共にやられた
・就職後、5ヶ月で退職
・働くこと自体が怖くなり、退職後、1年半のニート生活を送る

ということになる。

話がだいぶ逸れた。

カウンセリングを何度か受けて、分かったことは、ひさとみさんが感じたことと同じ。
自分で考えなければ、自分の人生は動かない。
カウンセリングやコーチングに限らず、相談する人はあくまでも「自分で答えにたどり着くための手助けをしてくれる人」なのだ。

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カウンセリングとコーチングは対象者が明確に違う。
前者は「心が疲れている人向け」、後者は「心が元気な人向け」だ。
実は以前cotreeさんのコーチングも受けたことがあるのだが、現在の担当カウンセラーさんからはこう言われた。

「Harukaさんが(コーチングを)受けるには早すぎますね」

私自身が「心が疲れている人」に当たるのが理由とのこと。
それに関してはその通りで、フルタイムで働きながら、1日平均1〜2時間のプログミング学習をしていたら、数日前に心が折れてしまったのだ。
その前から、離婚だったり、カツカツの一人暮らしだったり、転職活動だったりを2年弱の間に経験して、だいぶ疲れてはいたのだが。
2年弱「休みたい」と心が叫んでいたのに、無視し続けたツケが回ってきたのだ。
プログラミングしている時より、文章を書いている時のほうが楽しいと気づいてしまった。
私としては、文章書くのは小学生の頃からやっているので、当たり前だろうという話なのだが。

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なかなか文章がまとまらないので、無理やりまとめると。
自分で答えを探そうとしない限り、人生は良い方向に進まない。
カウンセラーさんやコーチは答えを教えてくれない。
その代わり、答えにたどり着くまで伴奏してくれる。

ということだ。

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以下、cotreeさんの素晴らしいサービスの一部である、カウンセリングとコーチング。

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ひさとみさんのnoteについての感想を書くつもりだったのに、読んだのをきっかけに自分が考えたことを書くことになってしまった。
すみません、ひさとみさん。
でも、モヤモヤは少し晴れた、気がします。

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