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島暮らし、「うちの猫」

 昔、島に住んだ。

 2年契約の仕事が決まり、私たちは喜び勇んでフェリーに乗った。

 上陸した日は上天気だった。港に着いたフェリーから、家財道具を積んだ車に二人、矢印に従って道路へ出た。
 引っ越し荷物(島なので混載便)の本体はまだ届かない。先に家を観たかったし。何かあったらと心配性が顔を出して、明後日を指定した<混載便だったので大事な茶碗も額も壊れちゃったけど、それは後の話>。車に鍋釜と薄い布団、什器だけは積んでいた。まるでキャンプだ。
 職場に寄って挨拶と諸連絡、鍵をもらう。明日から出勤とのこと。

 あてがわれた住宅は、贅沢にも一軒家だった。
 港から坂道を上がったところに社員住宅の入り口があった。
 社員住宅は1棟・5軒、入り口から延びた道は南に向かってちょっと下る。下り道の途中、左手に入る道があり、住宅が並んでいた。入り口に近いところに独身用の長屋(1棟)、その並びに2軒の住宅。ファミリー用だ。これら2軒の家は南側に広い庭があり、縁側とちょっと突き出た玄関がセット。
 その道の反対側に件と同じような一軒家が3軒分並んでいて、うちは一番最初の家だった。崖の上の建物で、こちら側からは海がみえるという。まぁ台風のときは直接暴風が来るらしいけれど。

 車を玄関わきのスペースに止めて入った。

 玄関は北側でちょっと暗い。両側に大きな樹が植わっていた。後で台風避けと聞いた。そういえば、道路沿いも大きな樹が並んでいた。
 玄関を上がると広い板の間だった。昔ながらの平屋の田の字作りと言ったらいいか。右手にキッチン設備と食事ができるスペース。左側には四角くトイレがあって、奥がガラス戸になっていた。風呂場だろう。洗面所と洗濯スペースも併設されていた。前の人が掃除してくださっていて、古いけれど清潔だった。
 私たちも型どおりに掃除する。ハエがたくさん死んでいた。燻蒸をしてくれたのかもしれない。
 南側にある向こうの座敷と板の間とはガラス障子で仕切られていた。
 座敷は向かって右側が8畳。左が6畳間。トイレやら風呂場がある側だ。こっちを寝室にしたらいいよ、というアドバイスをもらっていたので、車から持ってきた布団や着替えをここに入れる。電気釜と鍋・茶碗。数往復すると車は空っぽになった。
 8畳の座敷には縁側がついていて、南側の庭に降りられる。
 二人して縁側に座って、一息入れた。
 縁側から庭のバナナが見え、その背景は海だった。その景色に二人とも満足して、存分に楽しんだ。海の端っこに港が見えた。フェリーが入港すると波が湧いた。
 この景色の両側はやっぱり大きな樹で、ちょうど額縁になっていた。
 バナナの木の脇に月桃の一群れがあった。この香りは大好き。後でゆっくり嗅ぎに行こう。なんて。

 こうして島の暮らしが始まった。

 とっちゃんの趣味は釣りだった。毎日港に行ってはアジを釣った。釣れたり、釣れなかったり。おれだけじゃないよ、旅館のご主人も毎日来る、という。旅館のご主人の隣には猫が座っていたらしい。

 とっちゃんの釣ったアジはおいしかった。ただ塩焼きしただけで、ほろほろと身がほどけ、いい香りがした。とっちゃんは釣れたときはきっちり二人分持って帰ってきた。最初は物珍しく、三枚におろしたり素揚げにしたりしていたのだが、だんだん扱いが雑になるのは仕方あるまい。ある日。私はバケツを生け簀代りに、買い物に出た。
 帰ってきたら、アジがいない。バケツに島の陽が躍った。
 もともと不器用でさばくのは苦手・・・〔ああ、とっちゃんがやってくれたんだ〕と感謝、縁側から大声で礼を言った。
「なんもしとらんぞ」
 え?
 バケツにはただ海水が揺れ、とっちゃんが知らないのなら、台所にあるはずもない。アジは逃げたのだ。
 その日はそれで終わった。

 次の日もアジは消えた。さすがの二人も異変を感じた。

 3日目。そっと見守ることにした。小一時間待ってもバケツもアジもそのまんま。二人して引っ込むと、しばらくして縁の下でカサカサと小さな音がする。そっと庭に回って縁側の前のバケツを見に行った。
 小さな猫がバケツに顔を突っ込んで大き目のアジを縁の下に引っ張っていく、その一部始終を見ることになった。驚かさないよう隠れてみていたのは言うまでもない。猫が消えてしばらくしてから確認したら、海水しか残っていなかった。
 二人が見たのは2匹目のアジの強奪シーン、ということになる。なんという食欲!驚いた。

 その猫には見覚えがあった。茶トラの子猫。数週間前に姿を現し、遠くにじっとしていた。最初は呼んでもご飯を出しても、無反応。そのうち、ご飯を食べるようにはなったが、私たちの気配を感じるとすぐ逃げた。いつまでもやせたまま。島のそこここにいる太った猫たちとは大違い。鳴いてごらん?と呼びかけたら、
「みゃ、みゃ、みゃ」
と緊張した小さな震え声で応じてきた。みゃーとは鳴けないようだった。
 私たちは当初、その猫を「みゃみゃ」と言っていた。

 逞しい一面を垣間見て二人の会話は盛り上がった。
「言ってくれたら『みゃみゃ』に譲ってあげたのに。他のご飯はあんなに小食なのに、ねぇ」
 島には地域猫の集団がいて、太ったのや、甘え上手、その辺を睥睨する立派な体格のブチもいた。
 みゃみゃとなく猫はどのコと家族なのか。
 決して懐かない猫をいつともなく勝手に『うちの猫』と呼び慣らして暮らすようになった。なんといっても、うちの魚に執着するどら猫だということが判明したのだからね。
 とっちゃんはうちの猫のために2~3匹多く釣ってくるようになった。うちの猫は1・2匹、ちゃんと縁の下に引っ張って消えた。

 自然相手だから、釣れる日もあれば釣れない日もある。いい季節に転勤してきたから、最初のころは手ぶらで帰る、ということもなかったと思う。
 ただ、いつも釣れていたかというとそうでもない。
 とっちゃんは、釣果が無ければ無いで海と対話してそれなりに楽しんでいたという。小さな生き物やイカや亀や、島ならではの楽しみであった。

 みゃみゃみゃみゃみゃ(そのころにはこのくらい多く鳴いてくれた)と緊張しきって鳴くうちの猫は、相変わらずガリガリに痩せていた。

 いや、痩せて見えていただけかもしれない。

 次の夏、お腹が大きくなって、何日か後に子猫と一緒に姿を現した。繁殖できるほど成長していたということになる。子猫を見せてくれたのはその1回だけだったが、こちらの見る目が180度かわったのはたしか。
 二人はじじばばと化して、色めき立つ。猫のご飯の、量も質も変わった。やわらかい贅沢フードを買ってきてテンコ盛りして待った。
 だが、その接待は他の猫が喜んだだけだった。他の猫たちが通うようになるとうちの猫は来なくなった。寄り付くことすらできないらしい。贅沢フードはやめにした。げんきんなもので、他の猫は来なくなった。

 うちの猫は相変わらず黙って魚を引いて行く日々だった。
 ただ。親猫になったら少し大胆にもなったようだった。人の気配がなくなってからひっそりとやっていたものが、バケツを置いたらすぐにやってくる。とっちゃんは扶養家族が増えて気合を入れて釣ってきた。猫たちは一匹も残さずに持って行った。猫たち?そうそう、他の猫も魚を引いて行くのをとっちゃんは見ている。うちの猫が咥えているのを見たのだろう、と言っていた。
 魚がない日も、うちの猫は遊びにきて、カリカリを少し食べた。
 よその家でもご飯をもらっているようだった。
 商店街でその辺で昼寝している猫のことを話題にすると、お店の人はみんなの猫だと言った。「島の人は猫を大切にするのよ」と。
 猫たちは島の用心棒なのだ。

 その年の冬、転勤が決まって二人は島を後にした。後ろ髪惹かれる思いだったが転勤が決まってからあと、うちの猫は姿を現さなかった。
 もしかしたら、私たちに移住を誘われる気配を察知したのかもしれない。
 逞しく用心深いうちの猫のこと、島暮らし、これからもうまくやるにちがいない。

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