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一度訪れただけでは何も知れなかったけれど、また行きたくなる場所だった、気仙沼旅行の話

宮城県気仙沼市に、震災復興のボランティアに定期的に通っている友達がいる。その子が春休みを使って、気仙沼に長くいるというので、私も1泊2日で合流して、とっても充実していたし、お腹も満たされたという話。

私は仙台出身だけど、震災にかかわるボランティアや何かに関わったことは今までなくて、海沿いの「被災地」と呼ばれる地域に行くのは初めてだった。

震災当時は、私の住んでいる地域は、山沿いで被害は少なかった。けれど、インフラは全然ダメだし、偶然東京に出張に行っていた父親が仙台まで帰ってこれなくて、家には女だらけだったしで、おうちを守らなきゃ、ママが大変そうだから側にいなきゃという気持ちでいっぱいで、家を離れられなかった。

たまに、チャリで海沿いに行って突撃ボランティアをしたとか、学校に一日中いて地域のボランティアを…という子がいるのを小耳に挟むたび、あー私も元気ならそういうことしなきゃいけないのかな、って思いながら、その時はまず目の前の家族に対してできることをしようと考えていた記憶がある…。

というわけで、ああやっと足を運べている、という感覚だった。

わたしは何も知れない

気仙沼には、たくさんの復興プロジェクトが入っていて、置いてあるポストカードなんかもおしゃれだったし、ゆるキャラのほやぼーやは、想像以上にかわいかったし、復興に向かって行動している人ってたくさんいるんだと気づかされた。

仙台でぼーっとテレビを見ていると、番組の合間の地域のニュースとかで、「南三陸」「気仙沼」などの言葉はよく出てくる。3.11まで1ヶ月をきったタイミングだったからかもしれないけど、忘れない・がんばろう、というメッセージは発信され続けていた。

その一方で、気仙沼の町を歩くとまだしんみりとした町だし、仮設が「本設」に変わるタイミングの建物も多かった。震災遺構にも始めて足を運んで、よくテレビで出てくるような、そのままなものって本当にあるんだ、と思ったし、逆に言えば、足を運んだからといって、その地を肌で感じることは思った以上にできない。

何もできないもやもやと、でもいいからやれよと思う自分と

復興のために、どこにお金を落とせばいいかわからなかった。

まずは足を運ぶところからと思ったけど、足を運んでも、居酒屋のおっちゃんはたらふく飲み食いさせてくれたのに、良心的すぎるお値段だったし、行政の観光にかかわる人が、ご厚意で色々と案内をしてくれたり。

コンビニの募金箱とかは、どこまで被災地に届くか分からないからまずは現地に行ったのに、美味しいお土産をたくさん買うことしか出来なくて、でもサンドイッチマンみたいにごっそり渡せるお金もないし…

また行こうと思えたから、それはそれでいいのかなぁとも思うけど、まあまずは頭でっかちにならないで募金をしろという自分もいるのだけど、また行こうと思ってるから、その心には従ってまた行って、美味しいものを友達に勧めていきたいと思ってる。

おいしいお魚とお酒をまた何度でも食べたい!

時間が短かったのもあり、思った以上に何も知れなかったけど。今まで震災に向き合ってこなかったというか、目を背けるほどのしんどい思いを、していない人間だから、尚更震災のことを考えたり口にしたりしにくかったけど。

純粋に、長く仙台に住んでいた身としては、地元のおいしいお魚やお酒、それを楽しめる場を自分ももっと楽しみたいなと思ったし、わたしの友達のように地元じゃなくても、それがあるから何度も足を運んでるってすごく素敵なことだなぁと思った1日!


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