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物語は進んでいる、着実に。


私には憧れの人がいる。目標とする人、いつか一緒に肩を並べたい人。
そんな人たちに追いつきたい。一緒にやりたい。


そんな人たちを見ていると、眩しくて、「こうなれるのかな」と知らずのうちに焦ってしまうことも。……というか、そんなことばっかりかもしれない。
そんなときに最所さんのこのnoteを読んだ。


彼らの話はあまりに美しすぎて、目標として高すぎて、ふと自分の足元を見つめると自分の人生は何も進んでいないんじゃないかと必要以上に焦燥感にかられてしまうのだ。

あぁ、まさにこれだなぁとウンウンうなづきながら読み進める。そして、どうしてこんなことが起きるのかというと、

どんな人の物語も、本人以外から見れば悩んだり焦ったり不安になったり、格好悪いところはすべて『省略』されているのだと。

これまで私が憧れてきた偉人たちにも日常はあって、いい歳してお母さんに怒られて凹んだ日もあるだろうし、酔っ払って後悔した日だってあるだろう。

でもその物語が私たちに届く時には、そういう格好悪い部分はバッサリとカットされているのだ。


そうだ、これだ。いつもどうしても「いいところ」にばっかり目がいってしまう。他のところは全部省略されてしまうのだ。すごい人たちは、あたかも最初からすごい人だったかのように。


でも、そんな人たちと直接話をしたり、思いを聞いたりした時にそうではないことに気づかれた。同じように悩み、積み重ねて、今があるんだなって。
いや、当たり前なんだけどそれがどうしても見えなくなっちゃって。


自分に置き換えてみると、例えば写真。
1年前の写真と今の写真は、違う。
去年は知らなかったこと、今は知ることができたり、できなかったことができるようになったり、見えなかった景色が見えるようになったりしている。私なりに進んできたから、思うこと。


実は長い目で見れば自分の物語はちゃんと少しずつ前に進んでいる。自分の物語は、他人の物語よりも少しばかり長編で、描写が細かいだけなのだ。

この文章がとても好きで。心が少し軽くなった気がしたんだよなぁ。自分の人生を、物語を、こんな風に考えたことはなかった。


『憧れの物語は、いつだって省略されている』
その点、自分の物語はどうしたって省略することができない。だからこその楽しみ方がきっとあるはずだ。


悩みなんかきっとなくならないし、もがきながらこれからも進んで行くんだろう。それでもいいか。盛り上がりのない物語なんてきっとおもしろくない。


『憧れの物語は、いつだって省略されている』
読んでいて、すっと落ちてくるお話でした。





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