見出し画像

吹奏楽〜吹いて奏でて楽しむ〜

私は、中学高校と吹奏楽部でクラリネットを吹いている。

最初、小学生の時オーケストラの演奏を聴くのにハマり、中学で楽器をやりたいと思って軽い気持ちで入った。

吹奏楽をやっている人ならわかると思うが入ってみると華麗な部活に見えて実は運動部なのでは?!と思うくらいにきつい。

月に何回かレッスンの先生が来て下さり、全体のバランスを見てくださる時、とても緊張する。

また、怒られたらどうしよう。

1人だけミスったらどうしよう。

レッスンの日はそう思う。
正直なところ中学の一時、音楽が嫌いになりかけた。
ストレスになっていた。

けれど、私は部活を辞めなかった。

なぜ辞めなかった。それはお母さんのような優しく支えてくれる顧問の先生が居たからだ。

私が相談しに行く度に笑顔で
どうしたの〜!はるは偉いよ!大丈夫!はるなら。

そう言ってくれる素敵な先生。

顧問の先生の支えほど大きいものはない。

顧問の先生だけではない。

部員もそうだ。

部員もお互い支え合ってきた。

そんな顧問の先生、部員と居たから今も吹奏楽をやっているのだと思う。

高校に入り、中学の時より大幅に人数が減り
今は13人の吹奏楽部である。

正直戸惑いを隠せなかった。
人数少なすぎだろ?!って

しかし、今いる高校の吹奏楽部は部員の絆がほんとに深い。

顧問の先生も陽気で楽しい。
JAZZを好んで居る先生で音楽の堅苦しい概念をいい意味ぶち壊すような顧問の先生だ。

その破壊力が音楽は楽しいんだ!
そう思わせてくれた。

中学では音楽の基礎の繊細さを学び。
高校では音楽の自由気ままな楽しさを学べている。

コンクール。

それは音楽に点数をつけることになる。
形がない、正解がないものに点数をつけることになる。
確実に審査する人の好みもある。

音程。音色。丁寧に!

そう言うけれどそれだけならロボットでも出来る。

その音程、音色、丁寧+αが大切だと思う。

ではその「+α」はなにか。
それは楽しむ心。表現する気持ち。
そう部員同士の心の意思疎通だと私は思う。

普段、部員同士喧嘩しまくり、木管金管の壁は当たり前の部活だったらどうだろうか。

そんな部活はすぐ崩壊する。
よっぽど音程音色がそろっていたとしても心に響かない。「へー。」で終わる。
いい成績取れなくても、「やっぱりね。」で終わると思う。

一方、部員同士仲良くて真面目に練習していて、支え合いながらコツコツ成長し続ける部活はどうだろうか。

音程音色+心の意思疎通それによって表現力豊かな演奏になり観客の心に響く。
たとえ、いい成績が取れなくとも達成感はとてもあると思う。

正直、音楽は上手い下手関係なく楽しむべきだと思う

これは吹奏楽以外でも言えることだと思う。

絵だって、お笑いだって、芸術のひとつ。
何でもかんでも楽しまなくては。

もちろん時には言い合いも必要だ。

言い合いをして、すぐ自分が違うと思ったら
「ごめん!そうだね!」
それでことを済ませればいいと思う。

楽しむ心。
それは1番初心の心。

その心を忘れず成長して行くべきだと思う。

これが高校2年生の子供の私の意見である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?