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山は登より降りる方が難しい 〜キャリアの頂点と仕舞い方について考える〜

 3日前、プロ経営者として知られる原田泳幸さんが妻を暴行した疑いで逮捕したと報じられ、衝撃が走りました。その報道で、原田さんがいま台湾ティーカフェ「ゴンチャジャパン」の社長だということを初めて知りました。ゴンチャは毎週金曜日に鑑定している柏モディの1階にも出店しているので、馴染みがあります。

 私は原田さんに面識もなく、ご本人が否定されているので、暴行について論評するつもりはありません。ただ、ニュースで驚いたのは、72歳という年齢で社長をされていたことでした。インターネットが普及し、気候変動やコロナ禍など、変化が激しく先を見通せない環境下、雇われ社長が70代で結果を出すのは容易ではないでしょう。

アメリカではゲイツもベゾスも50代で一線を退いている

 アメリカでは、つい最近、アマゾンを立ち上げたジェフ・ベゾス氏が57歳で辞任し、エネルギーや環境問題に取り組むと宣言しました。会社の業績は絶好調なのにもかかわらずです。マイクロソフトの創者ビル・ゲイツ氏も2006年、51歳で自ら第一線から退き、奥さんのメリンダと財団を設立して慈善活動に取り組んでいます。

 創業社長であり、天才経営者であるゲイツ氏やベゾス氏が50代で一線を退いた理由。それは彼らが「山を登るより降りる方が難しい」ことを知っていたからでしょう。グローバル企業となり、組織が巨大化した企業を存続させ、膨大な数の社員を守れるのは、おそらく起業家とは異なる資質をもった経営者なのです。それが自分ではないと的確な判断ができるからこそ、時を誤ることなく、チャンスを逃さずに、次のキャリアへ転身を図ることができたのです。

 キャリアがピークのときに退く。これも天才でなければできません。

 それに比べると、日本の経営者は生涯現役にこだわる人が多い気がします。もちろん、その人がやっているのが商店街にある小さな和菓子屋で、その地域で一番おいしいお饅頭をつくっているとか、葛飾北斎のような天才画家で、死ぬ直前まで高みを目指して描き続けるというのなら、何ら問題はありません。その生き方で迷惑をこうむる人は誰もいないからです。ですが、大きな組織には大勢の社員がいて、舵取りを誤れば振り落とされてしまいます。その後ろには家族がいることを思えば、経営者の社会的な責任は重大です。

原田さんの社長としてのピークは2001年、20年前だった

 原田さんは日本エヌ・シー・アール、横河・ヒューレット・パッカード株を経て、シュルンベルジェグループ取締役、アップルコンピュータ社長、米国のApple Computer, Inc.副社長、そして日本マクドナルド社長、日本マクドナルドホールディングス社長、ベネッセホールディングス社長などを歴任されています。

 世間に最も記憶に残っているのは、日本マクドナルドの社長時代かもしれません。2004年にマクドナルド本社からヘッドハンティングされ、業績が悪化していた同社を短期間で建て直し、プロ経営者として名を馳せたからです。マスコミにも度々登場していました。

 ところが、ヌメロロジストの観点から言わせていただくと、1948年12月3日生まれの原田さんのキャリアの頂点は、2000年から2001年にかけてなんですね。原田さんは1997年4月に経営不振に陥ったアップルコンピュータ日本法人の代表取締役社長に就任し、販売網を見直して卸しを絞り、直販化を進めました。そして、iMac、iPodをヒットさせ、V字回復を実現しています。このアップルコンピュータ時代が経営者として最も冴えていた時期だったように思います。

 奥さんでシンガー・ソングライターの谷村有美さんと結婚したのは2002年。2001年で9年周期のサイクルが終わり、この年に種まきの年である1がスタートしていますから、結婚するには良い時期でした。但し、キャリア的にはこの時、違う分野へ転身した方が良かったと思います。

原田さんは2002年の誕生日で54歳でした。この年、人生を3つの周期に区切るメジャーサイクルが3から4に変わっています。3は創造性を開発し、発揮するナンバーですが、4は安定・安全、持続と倹約のナンバーです。

 また、人生の配分を示すピナクルナンバーもこの年、4の仕事40%、家庭・住居30%から、7のライフワーク65%、仕事10%へと大きく転換しているのです。

 7は哲学、内省、分析で、打ってでるより、自らを省みて、深堀りするバイブレーションを持ったナンバーです。私は学者のナンバーと呼んでいます。ところが、原田さんはIntensity Table(強度表)、つまり性質の中にこのナンバーをお持ちではないんですね。逆に言うと、7が人生の課題というわけです。

 内省より行動に出た方がラクだから、ライフワークに転換できず、「経営=利益の追求」を継続してしまったのだと思います。

キャリアの成否はタイミング。頂点だと思ったときが降りるとき

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 原田さんはライフパスナンバー(人生の行程数)1、ディスタニーナンバー(運命数)1と、リーダーシップの塊のような方です。行程と目的が同じなので、矛盾がなく、悩みもありません。また、パーソナリティ(社会的な性格数)5、ソウルディザイアー(魂の欲求数)5と、非常に行動的で外国や語学にも縁があります。

 1と5だけの方なのですから、自立心が強く、リーダーシップがあり、アイデアがあれば人がついて来ようが来まいが走り出し、実行に移す行動力があるわけです。あまり社長業は天職だったと思います。 

 数秘術的には正しく、ぴったりの人生を歩まれた方のわけですが、人生の成否を左右するのはタイミングです。冬に種を撒いても花は咲きません。

 春に撒いた種が大輪の花を咲かせたので、もしかしたら原田さんは、「俺は花咲じいさんだ。俺が撒けば、どこでもいつでも、花畑ができるだろう」と思っていたかもしれません。ですが、人生には春夏秋冬があります。35度の酷暑だったとしても、お盆にはセミが鳴き始めるのです。

 頂点を極めたときが、降りるときです。 

 誤解して欲しくないのですが、私は生涯現役を否定しているのではありません。降りるといっても、何もするなという意味ではないのです。プロの経営者として培った知識やノウハウを人材育成、あるいは社会貢献活動に振り向けるべきだったと言っているのです。そうすれば、代官山に豪邸は建たなかったかもしれないけれど、家族とともに心穏やかな後半生がおくれたはずなのにと、残念でなりません。

真の成功者はピークも谷も楽しめるマインドをもった人のこと

 例外的に晩年に絶頂期がくる人もいるのですが、通常、サラリーマンのピークは役職、年収ともに45歳です。その前後3年くらいはブレがあるものの、50代は役職定年になったり、子会社に出向したり、早期退職のターゲットにされたりと、生き残るのが大変な方が多いように見受けられます。

 もし30代、いや40代前半であっても、その情報を頭に入れて生きていれば、身の処し方が変わってくるのではないでしょうか。45歳までに出来るだけ貯蓄額が大きくなるよう最大限頑張り、体力が衰えはじめる50代以降は、それを少しずつ切り崩していくイメージで生きるのです。

 私が使っている「OSHO禅タロット」の火のカード、6番の「Success(成功)」で、OSHOは成功についてこう述べています。

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海の波を見てごらんなさい。波が高ければ、それに続くのは中空の軌跡です。どちらかの中毒にならず、両方を楽しみましょう。常にピークになりたいとは言わないでください。それは不可能だから。シンプルに事実を見るのです。それは決して起こらなかったし、決して起こらないでしょう。物事の性質上、常にピークはありえません。ピークを楽しんでください。そして谷が来たら、谷を楽しんでください。谷の何が問題ですか? 低いことの何が問題なのです? 谷はリラクゼーションです。ピークは興奮であり、誰も興奮の中で継続的に存在することはできません。

みなさん、人生の谷を楽しもうではありませんか!!


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