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国土もキャリアもゼロになった10年前

 東日本大震災から今日で10年。10年前の3月11日、私は自宅のリビングで真昼間からホームショッピング業界を舞台にした韓国ドラマ「タルジャの春」を見ている最中に大きな揺れに見舞われました。

 怖がる猫を膝に抱き上げ、様子を見ているうちに、目の前の画面に信じがたい光景が広がったのを今でもはっきり覚えています。

東日本大震災が起きたとき、キャリアも体調もどん底だった

 当時の私はキャリアも体調もどん底でした。2008年のリーマンショックを契機に一部上場企業との業務委託契約が切れてしまいましたが、2年くらいはそれまでの人脈から仕事の依頼があって、収入は激減したものの、何かしら仕事がありました。それが2011年に入って、人生で初めて「依頼ゼロ」の状態になったのです。

 大学を出てからずっと、ピンチがあってもぎりぎり乗り越え、フリーランスになっても業務委託という形で平均的なサラリーマンよりも稼ぐことができていました。けれど、その運もいよいよ尽きたうえ、4年近く、厳しい環境で神経を張り詰めて仕事をしてきた反動が一気にでたのか、寝ても寝ても眠い状態に陥り、どうしても気力が湧かなくて、毎日ボーッと韓国ドラマを見ていました。

 睡眠時間をしっかりとっても、お腹から手がでてきて眠りの沼に引きずり込まれるような眠さに襲われるのです。今振り返ると、あの異常な眠さは神経症というか、一種のうつ状態だったのかもしれません。

被災地の光景が再スタートの後押しをしてくれた

 それまでの運の良さから、私は「どこかから大きなプロジェクトを依頼されたら、細かい仕事を入れていると引き受けられない」とか、「今の状態は一時的なもので、もう少ししたら新しい仕事の誘いがあるのではないか」と考えて、身動きがとれなくなっていました。

 でも、本当は知識もスキルも人脈も、それまで蓄えたものは全て使い果たし、職業人としての自分はゼロになっていたのだと今ならわかります。それなのに、プライドや年齢や世間体や、色々なものにとらわれて、再びゼロからスタートしなければならない「現実」を認めることが出来なかったのです。

 そして、東日本大震災が起こりました。巨大津波は無情にも何もかもを押し流していきました。被災地の方たちの受けた衝撃と復興の困難さを思うと、私の個人的なキャリアの中断や体調不良など、語るに値することではありません。ただ、人間がそれまで蓄積し、大切にしてきた資産や日常や文化、そして命さえもゼロになっていく光景を目にして、無意識のうちに何かが変わっていった気がします。

 タイムラグはありましたが、それから1年後、私は自ら売り込みをして、新しい仕事をスタートしました。フィーは安く、手間隙かかり、楽な仕事ではありませんが、縁あって今でも続けています。

 人生には受け入れ難いことが起こります。日本は地震大国です。祖父は関東大震災を経験したので、「今年ですね。今年だ」と毎年言いながら、90歳で世を去りました。

受け入れ難くてもゼロスタートを切らねばならぬときがある

 私たちは今この瞬間にも関東直下型地震や南海トラフが起きてもおかしくない国に住んでいます。巨大地震が来たら、私のように物を書いたり、占いをしたりという、いわば生きることに直結しない職業に就いている人間は、また仕事ゼロの状態に陥るかもしれません。

 ですが、その事態に直面する覚悟はうっすらと出来ているように思います。それは東日本大震災を経験し、地球の表面にへばりついて生きる我々人類の儚さと無力を痛感したからです。

 どんなに受け入れ難くとも、私たちはゼロベースで再スタートを切らなければならない時があります。80歳でも90歳でも、たとえ100歳であっても。そして人間ができることは、祈ることと受け入れること。この二つだけなのです。


 

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