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美女たちの国、魅惑のイランを行く!vol.5 ~エスハファーン編1~

 2019年4月28日。シーラーズ観光を終えた私は、夜行バスに乗り込み、次の目的地であるエスハファーンへと向かう。
 旅には多少のトラブルはつきもので、むしろそれも旅の醍醐味なのだが、時間を無駄にするのだけは避けたいところ。このイラン旅行もいくつかのトラブルに見舞われたのだが、この移動で私は最初のトラブルに見舞われた。

夜行バスに乗り込んで

 おさらいとなるが、イランの旅程(4月26日~5月6日)は11日間で、次の通り。

4月26日 昼頃、成田から出発
4月27日 シーラーズ到着(15時半ころ)
      ・周辺町歩き(バザールとか)
4月28日 シーラーズ観光
      ・マスジェデ・ナスィーロル・モスク(通称ピンクモスク)
      ・エラム庭園
      ・ハーフェス廟
      ・バザール    などなど。
4月28日夜 シーラーズ(ディッシュ・バスターミナル)
        → エスファハーンへ(夜行バス)

 これまでいく先々の国で幾度となく夜行バスに乗ってきた。思い出されるNo.1夜行バスは、ミャンマーだったように思う。キャビンアテンダント見たいな人がいてドリンクサービスまであったし、リクライニングシートは快適だった。ワーストは、インドのアウランガーバードからバダミへと向かう時に乗ったバスだ。何がすごいって、大型バスかと思いきやいわゆる公共バスみたいな並びの座席で椅子も硬く、だいぶ身体にこたえた。そして何よりそこに巣食うダニどもが凶悪だった。思い出すと足の甲が痒くなってくるのでこの辺にしておこう。

 さて、イランの夜行バスは如何様であろうか?
 シーラーズのバスターミナルは幾つかあるらしいが、私が使ったのは「カランディッシュ・バスターミナル」だ。ターミナル内にはバス会社の窓口が幾つもあり、そこでエスファハーン行きのバスを探す。どこのバス会社にもエスファハーン行きのバスがあるようで、お好みのバス会社を選び、夜中出発で早朝到着のバスを予約。バスを見てから決める、なんてことはできないので窓口の雰囲気で。普通はお値段で相談するところだけど、イランの通貨レートがとんでもないことことになっているので、最早どうでもいい。

 私はエラム庭園を観光したのち、ハーフェス廟に行く前にバスターミナルに寄り、バスチケットを購入しておいた。価格は43万リヤルだった。その時1ドル13万9000リヤルくらいなので・・・400円程度ということになる。夜行バスでこの値段!
 バスの出発時間までターミナル内をブラブラする。バスターミナルにはバス会社ごとに荷物預り所があるので便利だ。

 出発時間が近づき指定のバス乗り場に行くと、暫くしてバスが到着。大型バスだった。中国旅行あるあるの中型バスに寿司詰めではない。中の広さも、日本のそこそこ良い高速バスと同じで、前の席とも十分な幅があるうえ、リクライニングシートなので快適。ただ、冷房が効きすぎていて、少々寒いのが難点。羽織るものは必須といったところだろうか。そして何よりも驚いたのが、ドリンクとお菓子の詰め合わせが提供されるというサービス精神!
 何これタダですか?タダです。(夜だけど)
 快適なり!いやはや、快適なり!
 この気の緩みがこの後うっかり問題を引き起こすことにながるのだが。

 確か、シーラーズを出発した時間は、22時半頃だったと思う。所要時間は6時間くらいと言っていたと思うので、日が昇る前には到着するはず。

 ・・・・・・。 

 しまった、爆睡してしまった。
 ふと目を覚ますと、窓の外はうっすらと明るくなっていた。朝焼けの空というほどにはまだ時間がありそうだが、空の色が群青に染まってきた頃だった。
 あれ、おかしい。まだ到着しないのだろうか?
 バスはどうやら休憩のために停泊するらしく、それで目を覚ましたようだった。時計を見ると5時だった。もうエスファハーンについても良いはずの時間帯なのに、ここで休憩?
 嫌な予感がした。
 慌ててGoogle Mapを開く。ここはどこだ、エスファハーンまでどのくらいだろうか。
 地図は2度見どころか何度も見返した。

 「エスファハーン通り過ぎてるやん!」(by 東京生まれ東京育ち)

 やらかした・・・。エスファハーンをだいぶ通り過ぎている。このバスは、エスファハーン止まりではなかったのだ。
 慌ててバスを飛び降り、運転手に尋ねる。もしかしたら、スマホのGPUがおかしいだけかもしれないし。そんな一縷の望みをかけて尋ねるが。
「停まったんだけど、君は寝ていたんだね。」

 海外旅行経験は多く、バス移動も数え切れないほど経験している。その経験からくる慢心もあったろう。そして、バスの快適さに気が緩んだのもあった。あーくそっ。
 ここからエスファハーンにはどう戻ったらいい?と尋ねると、わらわら人が集まってきて、何やら話し合い。このバスはテヘラン行きなので引き返せない。なので、反対方向にむかうバスを止めて、乗せてもらうしかないという。
 GWという限られた時間での旅ともなると、時間の無駄には少々神経質になる。夜行バスを使うのも、移動にかける時間を無駄にしないためなのだが、乗り過ごしたとなると本末転倒。どのくらい時間をロスしただろうかと、私は焦りで苛立っていた。
 急いでバックパックをピックして担ぐと、自分も一緒に行こうと、1人の親切な人が名乗りを上げてくれた。話し合いの中にいた人だ。
 バスを乗り過ごした焦りで苛立ってはいたものの、基本「何とかなる」精神の私は、大丈夫ですよ、と辞退したのだが、自分もエスファハーン観光したいのだという。
 彼と一緒に反対側でバスを待つこと30分あまり。バスがやってきた。どのくらい時間を無駄にするのかと不安だったが、よかった・・・ありがたし。
 彼が事情を話すと運転手は快く乗せてくれた。当然お金取られたけど。
 その頃には空はすっかり白くなってきていて、朝日が眩しかった。

世界の半分、エスファハーン

 4月29日 朝9時前。
 エスファハーンのバスターミナル「テルミナーレ・カーヴェ」に到着した。日はすっかり昇っていたが、これから観光するのなら悪くない時間帯だ。思いのほか、時間のロスもさして大きくはなく、ホッとひと安心。
 この日私は、ついてきてくれた保護者的な男性(見ためおっさんだけど、多分若者)と一緒に観光することになった。バックパックはバスターミナルに預けておく。
 彼、バリブルさんはテヘランへ職探しに行く途中だったらしい。同行することについてはじめは警戒したけど、他意がないことはすぐにわかった。バリブルさんは電車の乗り方も教えてくれたし、交通費も観光のチケット代金も負担しくれた。物価がアレなんで、自分で払っても痛くも痒くもないし、職探し中の人に申し訳ない気がしたのだが、ここで断るのもどうかと思い、快くおごってもらう。何より、その心遣いが嬉しい。ちなみに、彼に限らずイランの人たちは皆とても親切だった。

 ここエスファハーンといえば、かつて「世界の半分」と言わしめたほどに繁栄した古都だ。歴史の授業では「イスファハーン」と習ったが、現地で聞くと「エスファハーン」が発音的に正しいように思う。(なのでここではエスファハーン で表記する)
 世界史で大学受験したので歴史は割と明るい方なのだが、やはりエスファハーン は中東、アラビア世界を代表する都市のイメージだ。イランはペルシャ人なので正しくはアラビアではないのだが。

■スィー・オ・セ橋
 私たちが最初に向かったのは、ザーヤンデ川に架けられた「スィー・オ・セ橋」だった。到着してから行き先を考えようと思っていた私は、完全ノーアイディア。完全にバリブルさんに任せっきりだった。唯一知っていて、必ず行こうと思っていたのが、エマーム広場とその周辺のモスク。そこにはこの後行く。
 スィー・オ・セ橋はテルミナーレ・カーヴェ(北バスターミナル)から地下鉄で近くまで行き、そこから少し歩いたところにあった。いや、結構歩いたような。
 天気も良く、朝ということもあってまだ観光客は多くはなく、散歩している人を多く見かけた。売店で朝のコーヒーをいただく。ザーヤンデ川の流れを見ながらコーヒー・・・ネスカフェを味わう朝の時間は気持ちよかった。

▲スィー・オ・セ橋は16世から18世紀前半にかけてこの地域を支配したサファヴィー朝の時代に建設された橋。

 スイー・オ・セ橋でまったりと時間を楽しむと、私たちはいよいよエマーム広場を目指した。

■エマーム広場へ
 このエスファハーン を代表する場所といえば、エマーム広場だ。
 エスファハーンが首都として栄えたのは、サファヴィー朝の時代。16世紀末に東西交易の要でシルクロードのオアシス都市だったエスファハーン に遷都し、最盛期を迎えた。交易都市なので様々な文化が交わり、それはにぎやかだったろう、とエマーム広場に立ち、想いを馳せる。

▲左(東)が「マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー」という王族専用のモスク(マスジェド)、右(西)が「アーリー・ガープー宮殿」、そして正面(南)がエスファハーンを象徴する「マスジェデ・エマーム」。

 写真ではなかなか分からないと思うが、圧巻であった。長方形の広場の真ん中には同じく長方形の大きな池がある。広場の四方は、モスクや宮殿やらがどっしりと構えている。この広場を囲む建物すべてを回るとなると、一苦労だなと思いながら、気持ちが高ぶるのを感じていた。

 噴水の向こうに見えるマスジェデ・エマームは、地球の歩き方によると、1638年に26年もの歳月をかけて完成したそうな。

■ドームが美しい「マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー」
 まず最初に訪れたのは、広場の東側に位置するマスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーだった。
 外側から見て、門の向こう側に見えるドームが印象的な建物だ。

 入り口は荘厳。
 門の前に立った時は思わず感嘆の声をあげそうになった。(あげていたかも)
 このアーチ状になっている門をエイヴァーンというようだ。左右にはバザールに続く入口がある(写真では左側のみ写っている)。
 エイヴァーンはブルーを基調としたイスラム独特の模様、アラベスクで装飾されている。エイヴァーンの天井のいく層にもくぼみがあるが、これはイラン独特の装飾で、ムカルナスというらしい。そういえばシーラーズのモスクにもあったな。
 本当に見ていて飽きない。

 チケット売り場はキャッシュレス。もちろん現金用の窓口もある。バリブルさんがチケットをこの端末で買うときに使ったカードが気になり、「何のカード?」と尋ねると、銀行のカードとのこと。
 この時はチケット代を出してもらうつもりはなかったので、現金を渡してお釣りが欲しいというと、「今現金を持っていないから、全部自分が払うので後で精算しよう」と言われた。なるほど、現金持ってないと。
 やはりイランはだいぶキャッシュレスが進んでいるようだ。
 ちなみにチケットは1人20万リヤル。当時はだいたい1.5USDといったお値段。

 そして入場。ドキドキ。
 薄暗い中を抜けて進むと、すぐにドームの下へと出る。
 おおおおお・・・!
 多分、私は感嘆の声をあげていたと思う。鳥肌が立つのってこういう時。バリブルさんを振り返ると、私と同じような顔をしながら、しきりに舌打ちをしていた。これ、驚きや感動の表現らしい。

 パノラマで撮影したので少々歪んでしまっているが、美しさは伝わるだろうか。

 エイヴァーンがブルーを基調としていたのに対して、ドームは黄色を基調としている。窓の格子から差し込む光が、繊細なアラベスクの模様を際立たせていた。

 女子学生たちが先生の講義を受けているところに出くわした。熱心に聞いているところは優秀な生徒たちなのだと感じさせる。中学の修学旅行で京都・奈良に行った時、薬師寺のお坊さんの話を正座で聞かされたことを思い出した。彼女たちと違って、ほとんど聞いていなかった気がする。

壁際に立つと、模様の規模がわかるのではないだろうか。 

 アーチ型の模様を縁取るのは、「クルアーン(コーラン)」の一節をアラビア文字で記したカリグラフィ。美しい模様として私は見ているが、ムスリムの人はまた見え方が違うのだろう。欧米の人が漢字を装飾あるいはアートのように見るのと一緒かもしれない。

ドームの天井は、孔雀の羽のを思わせる・・・と地球の歩き方に書いてあった。私はダリアの花のようだと思ったのだが。


■エスファハーンの象徴「マスジェデ・エマーム」
 続いて私たちは、マスジェデ・エマームに向かった。ここもチケットは20万リヤル。

 広場に面したエイヴァーンは、両脇に角のようなミナレットが聳え立つ。こちらのえいヴァーンも、マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーと同じく、イラン独特の装飾であるムカルナスが施されている。

 中に入ると、やはり抜かりない。どこもかしこもアラベスクの美しいこと。時々、模様のトーンが違うのはどういう意味があるのだろうか。

 奥へと進むと、中庭が見えてきた。正面には2本のミナレットを従えたエイヴァーンが待ち受けている。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」

 川端康成の「雪国」は有名だが、民俗学では、異界とこちらを隔てる「境界」という概念があり、「橋を渡る」「トンネルを抜ける」というのは、異界へと赴く行為なのだそうな。つまりこれらの「橋」や「トンネル」は異なる世界と此方を隔てる役割がある。で、唐突に話が逸れたのだが、境によって隔てる世界が異なるというならば、越えてしまえば「世界は変わる」ともいえるわけで。
 だからなのか、私はエイヴァーンを抜けて中庭に出た時に、唐突に「あ、世界が変わった」と思ったのだった。
そう、世界が変わったことに単純に驚いた。

 中庭はだだっ広いわけではないけれど、四方を精緻なアラベスク模様で飾られたエイヴァーンに囲まれているものだから、圧倒される。
 400年前にここを訪れた人は、どんな気持ちでこの中庭に入っただろうか。「荘厳華麗」を見せつけるようなこのマスジェデ・エマームがエスファハーンの象徴なのもわかる気がする。
 こういう時、広角レンズが心から欲しくなる。もう買おう。次の旅のために買うしかない。

 すごく分かりづらいけど、スマホでぐるりとパノラマ撮影してみた。四方をエイヴァーンに囲まれていることはお分かりいただけると思う。

 向こう側に見えるのが、エマーム広場に面したエイヴァーン。中庭は門に向かってまっすぐ作られておらず、斜め45度になっていることがわかる。

 入り口から進み、中庭に出た時に正面に見えたのが、こちらのエイヴァーン。南西のメッカの方を向いているそうだ。後ろに見えるドームが「中央礼拝堂」。残念ながら外壁工事中。

 周辺の建物を散策。中は薄暗いが、外が青を基調としていたのに対して、黄色を基調としている。色にはどういう意味が込められているのだろう。

 窓から差し込む明かりが地面を飾っていた。

 礼拝堂の隣には神学校があり、多分この庭は神学校の庭だと思われ。

 結構広くて迷った・・・。ドームが見える。

 ドームはこんな感じ。先に行ったマスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーのドームが凄すぎて、ドームについてはそこまでの感動はなかった。

 バリブルさんと私のエスファハーン 観光は、Vol.6に続く。




未熟ですが書くことは好きです。もっとたくさん書いていけるよう頑張ります。