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しがない社会人バックパッカー(女)が、GWや夏休み、年末年始の休みで自由気ままにひとり旅をする模様を記しただけの旅日記。
ただ、思ったことを綴る。それだけ。
バリブルさんというイラン人の同行人を得た私は、世界の半分と言われたエスファハーンをハイピッチで巡った。テヘランに職探しに行かなくてはならないバリブルさんは、この日夕方近くまで私の観光に付き合ってくれた。そして別れの時間が近づいていた。 2019年ゴールデンウィークにおける旅程は4月26日~5月6日の11日間で、ここまでは次の通り。 4月26日 昼頃、成田から出発 4月27日 シーラーズ到着(15時半ころ) ・周辺町歩き(バザールとか) 4月28日 シーラー
2019年4月28日。シーラーズ観光を終えた私は、夜行バスに乗り込み、次の目的地であるエスハファーンへと向かう。 旅には多少のトラブルはつきもので、むしろそれも旅の醍醐味なのだが、時間を無駄にするのだけは避けたいところ。このイラン旅行もいくつかのトラブルに見舞われたのだが、この移動で私は最初のトラブルに見舞われた。 夜行バスに乗り込んで おさらいとなるが、イランの旅程(4月26日~5月6日)は11日間で、次の通り。 4月26日 昼頃、成田から出発 4月27日 シー
新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るう昨今、旅どころではなくなってしまい寂しい限りです。ですが、命があり、仕事があり、マトモに働けるのだからありがたいことです(社畜ですが)。 前回の記事からだいぶ日が経ってしまいましたが、その間に新型コロナウイルスによって、旅日記更新中のイランでは何万もの人達が感染し、数千人が命を落としているそうです。日本はまだそこまでの様相ではないとはいえ、全国に緊急事態宣言が発布され、不要不急の外出の自粛が求められています。訪日観光客の入国規制はもち
イランの公共バスデビュー さて、どこへ行こう。 地球の歩き方から候補地をピックアップ。エラム庭園とハーフェズ廟を行き先を定めた。なんといっても世界遺産。 エラム庭園には、宿の近くの公共バスのターミナルからバスに乗って行ける。どのバスに乗ればいいのかわからず、公共バスターミナルのチケットカウンターの人に聞くと、乗り場を教えてくれた。そこで待っている人にも念のため、このバスがエラム庭園に行くかを尋ねておく。 イランの交通バスはというと、意外とキャッシュレスだった。チャージ式
私のイラン旅行はシーラーズからスタートした。 シーラーズをスタート地点に選んだ目的は、通称ピンクモスクで知られるマスジェデ・ナスィーロル・モスクにある。これを見るために地方都市のシーラーズを旅程に組み込んだのだ。 イランの旅程(4月26日~5月6日)は11日間で、次の通り。 道中のトラブルで当初の予定と異なり、テヘランはほとんど観光せず、またテヘランからタブリーズまでは列車を使うつもりだったけど、それも叶わなかった。詳しくは後述する。 4月26日 昼頃、成田から出発 4
GWは快適!イランの女性の服装2019年4月も末の末の春、日本はそこそこ暖かい頃。イランの気候はというと、それほど暑くもな長袖を着ていてちょうど良い気候だった。うん、快適。 といってもイランでの服装は、気候を問わず女性の場合は絶対長袖だ。外国人間であろうとも。 ご存知のとおりイスラム教を国教とするイランでは、女性の肌や体のラインの露出は禁止されている。長袖でお尻がすっぽり隠れる丈の長い上着を着なくてはならない。イランではそういう服が「コート」と呼ばれて売られている。これらは
これを書いている私は今、空港にいる。 旅に出ていて、帰途に就くところだ。 まだ書きかけの旅行記があるけれど、これについては今でなくては書けないので、したためておこうと思う。 旅の終わりはいつもあっさりしたものだった。うっかりするとそのまま日常に突入しかねない。 空港で出会った人たちの顔を思い返す。わざわざ感傷に浸りたい訳ではないのだけど、このままするっと日本に帰ってしまうと、旅が終わった気がしないのだ。 要するに、「仕舞い(終い)」の「まとめ」が必要なのだ。 そこで、
ちょっと足を伸ばしてイランへ行こうか。そう思ったのは、今年のGWが10日間だったからだ。たぶん今年の2月頃のこと。 GWが10連休だということに思い至ると、旅行先の射程範囲が拡大し、何処へ行こうかと心が沸き立った。たぶんこの時から私の旅は始まっていたのだろう。これを現実逃避とも言う。 行きたいと思ったところはリストアップしているのだが、そのうちの一つ「イラン」に行き先を定めたのは、この休暇の射程範囲で今一番行きたいところだったからだ。ただ、行こうと決めると10日では足りない
さて、連載中の旅日記があるにもかかわらず、新鮮なうちに書き留めようと思い、いつの間にか旅から2ヶ月も経ってしまった。 2019年ゴールデンウィーク、旅に出た。新天皇の誕生、そして新元号「令和」の話題に日本中が沸き立つ中、私はというと1日早くお休みをいただき、4月26日から5月6日まで旅に出た。行き先は、西アジアの大国、イラン。 イランといえば、今まさにアメリカが拳を振りかぶってみせるなど一触即発な状況だが、この時も今ほどではないがアメリカのと関係はすこぶる悪い。 頼むから
宗教とは、元々人々が群れとなり生きていくためにすり合わせてきた価値観、倫理、道徳観とも言う「オキテ」「ルール」なんじゃないだろうか。なんてことをふと思い、時々考える。 あらかじめ断っておくが、大学まで学んだ一般的な歴史の知識しか持たない、凡人の妄想である。つまりなんのエビデンスもない。 そんな心もとない知識しかない私の浅い考えだが、人は生きるために集団を作り、それを機能させていくために「ルール」を作り、それ守らせ従わせるものこそ神だったんじゃないかなと。それはルールそのも
カシミヤのセーターの「カシミール」カシミヤのセーターやマフラーとか、高級品だけど、そのカシミヤ(カシミア)繊維はカシミア山羊の毛で、元々はカシミールと呼ばれる地域に生息している山羊のことだ。そして、カシミールとは、インド北部とパキスタン北東部にわたる山岳地帯のことだ。 恥ずかしながら、行こうと思うまで知らなかった。 インド側ならジャンムー・カシミール州にあたり、ここはインドだけどイスラム教徒の方が多い。2016年のゴールデンウィークに訪れたラダックはこの地域の東側を指すが、
ここは中国。でもチベット。 2015年夏、東チベットのラルンガルゴンパを目指す旅で、まだ知らなかった中国に出会った。 旅の続きを話そう。 康定で一夜を明かし、早朝からバスに揺られること、10時間・・・もかからかったと思うが、ひと眠りかふた眠りすると、窓から見える景色は山岳の草原になっていた。チベットの風景だ。 時折草原が広がり、臙脂の屋根の住居が密集している。 ここに来て、旅に来たワクワク感が高まる。見たことのない風景に心が躍るんだ。 そして昼をだいぶ過ぎた頃にようや
簡単にたどり着かない。だから旅は楽しいんだ 2015年夏、東チベットのラルンガルゴンパを目指す旅で、私は旅の洗礼を受けた。 旅の続きを話そう。 成都に到着したのは、8月8日、土曜日の夜遅い時間だった。カウンターに誰もいなくて呼んでも出てこず、結局泊まれないパターンは、安宿あるあるだと思う。たとえ予約していても。 だけどその心配は杞憂だった。パンダゲストハウスに入ると、宿の従業員もいたし、おまけに旅行代理店のTさんも私の到着を待ってくれていた。ありがたし。 その夜はビール
「たどり着けばどうにかなる!」2015年夏、東チベットのラルンガルゴンパを旅の目的地に定めた私の続きを話そう。 ラルンガルゴンパを目指すこの旅においては、第一歩、つまり初動が旅の成否を決める。私は先に宿と目的地へのバスをあらかじめ手配しておくことにした。 これまでの旅からすると、宿や交通手段などを予約するのは私の「旅の心得」に反することで、それは初日といえどもあり得ないことだっだ。だけどこの旅のために与えられた時間は9日間。 たった9日。 秘境のラルンガルゴンパへ行くには
旅をしていると色々な乗り物に乗る。バスはどこの国にもある。そのバスには快適な国もあれば、ひどく苦痛な国もある。 それとは別に、独自の乗り物がある。 キルギス国内の移動は、「マルシュルートカ」なるものがある。 ▼マルシュートカ 似たようなもので、チュニジアでは「ルアージュ」、パキスタンなら「スズキ」。 ▼ルアージュ ▼スズキ(多くはもっと凄まじく派手) その他国によってさまざま、東南アジアで代表的な「トゥクトゥク」や、インドの「リキシャ」「オートリキシャ」。 ▼リ
2015年の夏、9日間の夏休みを余すことなく活用して、中国は成都から康定を経由して、甘孜(ガンゼ)、色达(セルタ)、そして喇荣五明佛学院(ラルンガルゴンパ)なる僧侶だけの奇怪な街に行ってきた。 この辺りには観光客はまだ多くはなく、特に外国人はあまり見かけない。しかし、急速に観光地化が進みこれからどんどん増えていくと思われる場所だった。 中国の悪いところは、観光地化すると、その地に元よりある素晴らしい文化財や暮らしなどを根こそぎぶち壊し、それっぽい偽物を作ってハリボテ化してし