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3. ウィトゲンシュタインの方法


 以下にあるのは、私が数年前に大学に提出した論文の解題だ。その論文は「20世紀前半の哲学者、ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタインは、青年期と老年期の間になぜその文体を変えたのか?」という問題を扱っていた。後学のため、ここに公開しておく。元の論文は読みにくく、誰の理解も得られなかったため、もう誰にも見せないことにした。

 そのメモの膨大さに比べて、ウィトゲンシュタインが出版を意図して書いた文章は2つだけだった。『論理哲学論考』と『哲学探究』だ。これら2つの著作の文体には似ている点もあったが、異なっている点もあった。『論理哲学論考』では、「世界」、「私」等々、この世界を成り立たせている事柄、すなわち形而上学的な事柄を主題とし、論理学の難解な言葉が整然と並べられていた。それに対して、『哲学探究』では、そうした主題はほとんど扱われず、日常における出来事がまるで独白のような普通の言葉で雑然と書きつけられていた。私はこの文体の移行に着目したのだ。

 先に答えを言ってしまえば、ウィトゲンシュタインがその文体を変えたのは、彼が形而上学的な事柄について説明することを諦め、その代わりに形而上学的な事柄について考えている自らの独白を記述することに専念したからだった。いわば、ウィトゲンシュタインの著作は、筆者から読者に向けて語られた言葉を集めた「説明」から、誰にも向けられていない言葉を集めた「独白」、ないし「対話」へと移行したのだ。

 すると、「ウィトゲンシュタインはなぜ読者への説明ではなく、独白を集めるようになったのか?」。この疑問への回答は「形而上学的な事柄について説明する機会が日常にはなく、この説明が無意味なものなものにならざるを得ないと、彼は思うようになったから」というものだった。この顛末の詳細こそ、私が大学生の頃、皆に語ろうとした事柄だった。

1. 『論理哲学論考』と『哲学探究』の最大の違いは内容ではなく、文体。

 『論理哲学論考』と『哲学探究』を読んだとき、真っ先に目に入ったのはその文体の違いだった。当時の多くの人々が「この2つの著作では主張されている事柄がまるで違う」と言っていた。ところが、私にはそうは思われず、その違いの大半は主張されている事柄ではなく、文体にあると思われたのだ。

 その内容において、ウィトゲンシュタインは一貫して「言葉の意味とは一つの事実である」と主張していた。人々は出来事の連続、パターンのようなものにただ反応して言葉を表出しているだけで、このパターンのようなものが言葉の意味であり、言葉の意味とはいわば自然法則のようなものであると言っていたのだ。この見方は私を驚かせた。というのも、私はそれまで言葉の意味についての当時の通説的な見方を妄信していたからだ。

 言葉の意味についての当時の通説的な見方というのは次のようなものだった。私たちは言葉という「色眼鏡」を通して世界を認識する。世界と言葉は意味するものとされるものとして対応しているのであって、言葉が分かれることと世界が分かれることとは一つなのである、というものだ。ここでは、言葉と世界が一体であるかのように語られており、また、言語の意味が言葉の背後に潜む捉えどころのないものであるかのように語られている。丸山圭三郎や飯田隆をはじめとする多くの著名人がこの見方に賛同していた。

 彼らはその見方をウィトゲンシュタインの見方にも帰そうとしていた。彼らは自らの見方をウィトゲンシュタインも同様に持っているとしていたのだ。彼らが主張していたのは次のようなものだった。「ウィトゲンシュタインは、『論理哲学論考』で、言葉の意味が個人の心の中で決定されるとしていたが、『哲学探究』では、集団の慣習の中で決定されるとした」。ところが、この2つの見方は矛盾するものではなく、明らかに両立するものだ。というのも、ある集団がある慣習を持っていると判断するのは結局、個人だからだ。もちろん言葉の意味が個人によって決定されるとする見方には無理がある。例えば、あるコップを「コップα」と名付けたとしよう。次にコップを見るとき、そのコップが先ほどのコップαと同じものなのかどうか、その判断は決め手を欠いている。だが、同様に、言葉の意味が集団によって決定されるという見方にもまた無理がある。あるコップを集団で「コップα」と名付けようと考え、誰かがコップを指さして、「これがコップαだ」と言ったとしよう。だが、「これ」が何なのかは誰にもわからず、また決め手を欠いているのだ。色なのか、形なのか、大きさなのか、すべてなのか、一部なのか、はたまたコップを指さしたときの指の形なのか、指先の気体なのか、等々。

 以上の論点は大まかなものに過ぎないが、著名人によって挙げられていた他のどの論点を取ってみても、『論理哲学論考』と『哲学探究』で主張されている事柄に大きな違いはないと思った。そして、私がまた思ったのは、この2つの著作の最大の違いは、表現の仕方、ないし文体であるということだった。

2.  『論理哲学論考』における「問題」とその「解決」は、普通の問題や解決ではない。

 ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』において、「すべて語られ得ることは明晰に語られうる。そして、語られ得ないことについて、人々は沈黙しなければならない」と言った。つまり、哲学的問題はそもそも存在しておらず、その解決もまたあり得ないと言ったのだ。だから、私がこの本を一読したとき、「『論理哲学論考』における「哲学的問題」と、その解決としての「沈黙」とは何か?」という疑問が浮かんだ。語ることのできないはずの問題とその解決について、ウィトゲンシュタインは語っていたからだ。これは私にとってパルメニデスの「非存在の存在」にも似た難題だった。

 後に、ウィトゲンシュタインはこの哲学的問題とその解決について「それは世界が存在するということへの驚きだ」と言った。つまり、「うわ!」というような叫び声にも似たものが哲学的問題やその解決であるということだ。ウィトゲンシュタインはまたこのことを「限界づけられた全体として世界を感じること」とも表現していた。私にもこれによく似た体験があって、彼の言っていたことが何となくわかるような気がしていた。私の故郷の言葉で「走馬灯を見る」というような体験、あらゆる記憶が一度に迫ってくるかのような体験だ。私はこの走馬灯を頻繁に見るような気がしていたが、それは本来、死の間際に現れるものであると、故郷の人々はしばしば言っていた。

3.  世界は説明され得ない。

 「だが、その「限界づけられた全体として世界を感じるとき」というのは、一体いつなのだろうか?」。この世界の全体に関わる事柄は概して当たり前の事柄だった。例えば、「世界がある」とか、「私がいる」とか。世界はいつでもどこでもあったし、私はいつでもどこでもいたのだ。当たり前の事柄は日常では説明される必要がなく、説明されえなかった。それどころか、説明してもならなかった。というのも、その説明は実際には驚いたときの叫び声のようなもので、この世界の全体を意味してはおらず、驚きのような別のものを意味しており、ただ混乱を招くだけだったから。つまり、そもそも誰かに何かを説明しようとした時点で、この世界の全体について語ることはできなくなってしまうのだ。実際、ウィトゲンシュタインの主張は同時代の人々にすら理解されず、本人もその苦労を『哲学探究』の序文に書いていた。この周囲の人々の反応が彼を新しい考察へと駆り立てたのだろう。そして、こういうわけで、ウィトゲンシュタインは哲学するとき、何かを説明することができなくなってしまったのだろうと、私は思った。

4. ウィトゲンシュタインの選んだ方法。

 こうなると、少なくとも混乱を避けながら哲学するために残された方法は、この世界の全体について語ることを諦めるか、全く別の方法を探すかの二択にならざるをえない。何かの目的を達成するための道具としての言葉で哲学をするか、あるいは、それ自体で意味を持つ言葉を探し、それで哲学をするかの二択だ。ウィトゲンシュタインが後者の別の方法を最期まで思いつかなかったのかどうか、それはわからなかった。彼の晩年のメモに目を通す限り、その方法を思いついてはいたのだが、その正しさを示すまでに至らなかったのだろうと、私は思った。だが、少なくとも彼がいったん前者のこの世界の全体について語ることを諦める方を選んだことははっきりしていた。というのも、『哲学探究』では、形而上学的な主題は消え去り、文体もまた、説明から独白へと変わっていたからだ。彼はおそらく、この世界に向き合い、言葉を発する自らの姿を見せることを通して、たとえそれが断片的であったとしても、その向こう側にある、まさにこの世界を示したかったのだろうと、私は思ったのだ。

 こういうわけで、ウィトゲンシュタインは説明を捨て、独白を選んだ。いわば、それは、「言葉とは何かの機会に用いられる道具のようなものに違いない」という方針と「哲学ではこの世界全体が表現されなければならない」という方針の二者択一の中で、後者の方針を捨てることによって生まれたものだったのだ。

 この文章で述べられたのは私のウィトゲンシュタインの主張の理解の枢要であるとも言える。「文献学的な根拠を示せ」と言われれば、もちろん示すことができるし、大学にいたころは実際にやっていた。だが、そこに労力を割く意義をもはや私は見出せない。私は文献学者ではなく、哲学者になりたいからだ。

 それにしても、「あらゆる真実は、それの本質的な現存在的な存在様式に応じて、現存在の存在に相関的である」、すなわち「あらゆる真実は人々によって作り出されたものである」と主張したハイデガーと、その後継者たち、いわゆる「現象学者」たちの可知論的な主張を受け入れていた当時の私に、このウィトゲンシュタインの不可知論的な主張は大きな衝撃を与えた。というのも、私はいつでもどこでも当たり前の事柄、真実について語っていると思い込んでいただけで、何一つ語ってはいなかったのだから。このときから、私はこの世界が人々を中心に動いているかのような万能感から解き放たれ、人々についての考察から、この世界についての考察へと主題を移すことになった。





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