散文と韻文を行ったり来たりして育まれる文体があるみたいだ

言葉との関わりと文体

散文と韻文、その中での定型と自由詩はそれぞれ見た目はもちろん違うし言葉の手触りもかなり違うものですが、自分がどちらの世界で文字を連ねるか、といったことはどうやら僕の文筆のスタイルに少なからず影響を与えているみたいです。

僕は歌人だった祖母の影響で元々は短歌が好きで、短歌を読むことから韻文の世界に入っていったわけですが、そこで初めて定型の力というものを実感することで言葉の奥深さに少しづつ気づいていったような気がします。

そして短歌をはじめた頃から、散文にも影響が現れはじめました。当時は中学生だったのだけれど、学校の作文が終わった後に時々、国語科の先生やなぜか家庭科、英語科の先生に呼び出されて、声をかけてもらったりして、コンクールに推して貰ったり、校内掲示に標語を載せて貰ったり、英語のスピーチコンクールにも出場させてもらったりしました。(ジョン・レノンの言葉「war is over. (If you want it.)」を引いてピースサインについて話した記憶がある)

中学二年の夏休みの朝に、毎日自転車でまだひっそりとした学校に行き、ALTのジェイクと英語の発声の練習をしたのはとても良い思い出だったし、英語の先生と僕の日本語的な言葉の響きを英語の形でどのようにその言葉の襞を残しつつ、伝えるために表現するか推敲するのも今思えば良い経験だったと思います。

なぜほんの少しでも、先生の目に止まるような文章を僕が書いたのか、それは短歌が持つ定型の言葉が僕を少しだけ背中を押してくれたということ関係していたのではないかなと今振り返れば思うわけです。

散文と韻文

少し散文と韻文のお話をしましょう。
散文は僕が今書いているような、人に伝えることを主な目的とした平易な文章です。散文の始祖といえば、『枕草子』の清少納言、『源氏物語』の紫式部がそうでしょう。

一方で韻文とは、定型や韻律の制限のある文章の一つの形式です。
例えば、短歌なら5・7・5・7・7の音に乗せて31字の型に言葉を込めるわけです。これも一つの定型です。口に出されて紡がれることをルーツとする口語詩は定型でつくられることが多いです。
日本なら短歌、俳句、川柳。中国なら律詩、絶句。欧米ではソネットやバラードがそうですね。
日本では押韻(韻をふむと言いますよね)はあまり育まれず、音の数を定型の基準とする形式が主流です。川柳も俳諧も和歌も音の数で定型を定めます。一方で中国では押韻が強いですね。形式の典型として五言絶句、七言律詩とありますが、どこで韻を踏むか決められています。


定型にはどのような力があるのか

別の文章でも書いたことがあるのですが、定型にはルールがあるが故の自由が存在するということがそのうちの一つでしょう。レゴブロックと砂場との違いのようなものでしょうか。言葉同士のルールがある定型詩と、言葉の形式も扱い方も広く自由な散文や自由詩。

詩人の谷川俊太郎さんと歌人の俵万智さんの対談で谷川俊太郎さんが俵万智さんに対して「定型はいいなあ」と羨ましがっている場面がありました。

どういうことか。それは自由詩や散文詩で書くことは定型的に韻律を伴って書くことよりもある意味で難しいということです。ここでいう難しさとは、そのプロセスに詩を詩たらしめる働きがあるかということです。難しいからいい、易しいからいい、というわけではありません。

ルールがあるからこその自由ということですね。例えばサッカーボールが一つグラウンドにおいてあって、「あとはお好きにどうぞ」と言われても困ってしまうのであって、ルールがあるからこそ(例えば手を使わないとか)それを基盤としてゲームができたり、戦略やスタイルが生まれたり、巧拙が生まれてきたりするわけです。

一方で僕たちが日常で使う言葉、散文を自由律詩にするためには、それは詩情を目指した働きかけによって作者の側から100導き出さなければなりません。詩を書くということは、どのような言葉がどのような情景を導くのか、ある時には経験を伴った勘を働かせる必要があるし、何がそれを構築するかの指針は少なくとも持っている必要がある。無作為に言葉を並べたとして、そこに何が見えるのか、枠組みがない中で、自分なりに向き合っていかなければならない。グラウンドにサッカーボールがあったとして、上に乗って見たり、他のボールと比べて見たり、香りを嗅いだりする必要性がどうしても出てくる。


定型・クリティカルヒット

では短歌はどうでしょうか。短歌を作るときに、題詠という形でテーマが設けられていたり、31字の型に当てはめるべく試行錯誤をすること、そのプロセス自体が、定型というものを目指すという働きであるのです。
歌会のようにそのプロセスを共有して、批評し合うということや、平安の時代には歌合(5人2チームで詠み合う団体戦みたいなもの)でまさに競技的に詠むということを研鑽していました。

テーマが設けられたり音の制約があるからこそ、一つそこに向かって言葉を高めていくことができる。
そして自分の気づいたらそこに自分の思いもよらなかったような、空気感がもたらされていることがある。そして作者も気づかないような景色が広がっていたりするのです。

文芸誌『ダ・ヴィンチ』で穂村弘さんが『短歌ください』のコーナーをされていますが、その中には10代の学生がはっとさせられるような、鮮やかな切れ味と新しい香りを持つ作品を投稿がされていたりします。

それは熟練から生まれたのではなく、みずみずしい感性が産んだ『クリティカルヒット』であり、圧倒的な輝きを放っていることがあるんです。きっと本人は、そのような短歌を何度も繰り返し作ることはできないかもしれないけれどその31字が圧倒的である、ということが短歌にはあり得るのです。

それは、彼、彼女が感じた一つの情景を散文ではなく31字の中に表そうとしているその過程がもたらしたものなのです。技巧や熟達がなくとも、時には本人を超えた力をもたらしてくれることがある。定型にはそんな力があると思っています。


独自のスタイルをもつ作家たち

詩人の谷川俊太郎さんは、20歳頃、最初期の作品作成の時の動機を「どうしたらかっこいい言葉の並びを生み出せるか」という風に語られていたのを覚えています。
また、現代になって出てきた詩人では、最果タヒさんが、意味は分からないけど、そこに生まれる「意味のわからなさ」が面白い。とも言っていました。

どうやら詩というものはまず、そこから始まるらしいのです。当たり前ですが、あらゆる作家にも言葉を作品にするシステムが最初からプリインストールされているわけではありません。あるのはそこまで言葉に触れてきた記憶、思い出だけなのです。

そこを介して、自分なりに、何か試行錯誤を繰り返すことで自分なりのシステムを構築する、ということが自分の文体を作るということなのでしょう。

文体、自分なりのシステムを作るということは相当に大きなエネルギーが必要で、幾つの作品を作ったから生まれる、と言ったものでもないですし、作品を一生涯作り続けても、それが生まれる人もなければ、最初の作品で圧倒的な文体を持っている人もいますし、必ずしも作品を作ることでそれを構築する人だけでもないようです。

例えば、村上春樹は30歳の時に書いた1作目の『風の歌を聴け』で既に独自の文体を確立していた作家ですが、彼は作品を書くことを通してシステムを構築したのではなく、自分の文章を英語にして、もう一度日本語に直す、ということの繰り返しで、独自のシステム、村上春樹なりのスタイルを確立したようです。彼曰く、戦争世代の重厚な文体は自身には合わないので、自分なりの新たなスタイルをこさえる必要があった。大仰なエンジンを積んでいるわけでもない、しかし身体にフィットする小さなヴィークルをこさえること、が必要だったため、その文体が生まれたとのことでした。

また歌人ですと、俵万智が歌壇の生まれから鮮烈な独自の文体を持っていましたし、海外では、詩人で始まり、短編作家になったグレイス・ペイリーも独自の文体を持っていました。話し声の溢れる街の中で暮れて、言葉に浸る中で、独自の世界観を作り上げてきた人です。


僕らも文体を構築しているところなのかもしれない

僕は最初は短歌で始まって、31字の定型の中の世界で、中学生までの限られた語彙で言葉をこねることに言葉を紡ぐ喜びを知りました。
そして並行して散文を書く中で、未熟で文体ともいえない、けれど少し僕なりの文章を探し始めることになりました。口語にしたり、英語にしたり、縮めたり伸ばしたりしてみました。

一旦短歌を作ることから離れて散文の時期が長く続きましたが、少しづつ自由律詩の世界に挑戦するようになってきました。最初はソネットなどの定型詩を作りつつ、徐々に詩を探してきました。僕の中に確固たるシステムはまだ生まれていないようですし、生まれていたとしてもそれはまだ輪郭のぼんやりとして、ゆるゆるとした柔らかいもののようです。

最近また短歌を作るようになって、前に作っていた短歌をもう一度構築し直して、比べてみたりします。新旧どっちが良いか、まだそれは分からないですが、少し進んでいる気配がしなくもないです。

僕は圧倒的に独自のスタイルを持った作家が好きですし、願わくば、僕もそうなりたいと思っています。

作家になるということは僕個人の定義でいうと、そういうことだと思うのです。食える食えないの定義ではなく、独立した作家としてのスタイル、自我が芽生えること、それが僕なりの作家であることだと考えています。クリティカルヒットを生む、そのブラックボックスの中身を解き明かし続け、自分の中に統合していく必要があるのです。


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