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#05 無人島サバイバル2

無人島のこっち側

かくしてわたしは、とある無人島のこっち側に着いた。もしかしたら無人島と思っていた島の向こう側には同じような人たちがいたかもしれないし、はたまた別の海にも同じような島があったかもしれない。ただ、言えることはわたしはわたしの流れ着いた場所で良くも悪くも独自にやっていたということだ。ときどき「こっちに来てみない?」と人を誘っていっしょに働いた。仲間には、なるべく勇気と好奇心のありそうな人を選んだ。

隊長!電気がつきません!!

それでも中には、無人島に向かない人もいて、「話が違う」とか「何をどうやったらいいのかわからない」と言われることもあった。そもそもまだこの時点では、私がおっかなびっくりこのくらいの金額でうければ仲間も含めいけるだろう!と受けた仕事を業務委託し、月末に「えっと、今月これをこの人にお願いして…」とかやりながら、支払いをしていた。そのため、わたし自身が目まぐるしく動いているといつの間にか月末日が過ぎてしまい1日遅れる…なんてこともあって(汗)「こういうことキチンとしないなんて常識的に考えられないし、やる気を失いました。」なんて言って去っていった人もいた。すみません、、、もちろんそうなのですが、こっちとしてはもう無人島で「電気が一瞬途切れませんでした??都会ではありえません。」と言われているようなものだったので、気にしていたらキリがなかったのも事実だ。(※あくまで初期の出来事で、お金のことはきっちりやれるようになりました!)

「悲壮感」は敵。

そうこうしている間にわたしはふたり目を授かり、壮絶なつわりと戦ったのち、無事に二児の母となった。のだが、、、二人の育児と無人島生活のようなワイルドな仕事、そして度々仲間にブチ切れられつつやっていくというかなりハードな状況で、ときどき悲壮感にくれていた。疲れ果て、泣きながら、旦那さんに辛さを吐露したこともあったが、そのとき言われた今でも強く印象に残っている言葉がある。

「楽しそうやなかったら、誰もお前についていこうと思わへんやろ。」

本当にハッとした。疲れ果て、悲壮感が漂いまくっていた自分に気づき、なんだかんだ言いながらも、こんなに子育ても仕事も好きなようにやってて楽しいのに、なぜそれを周りに伝えられてないんだろうと思った。

よく「笑顔」が味方みたいな言い方があるけど、「ママが笑顔だったら何もかもうまくいく」みたいな明るい響きではその時の気持ちは表現できない。私には「悲壮感」は敵の方がピッタリ来た。

つづく

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