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#06 無人島脱出!

渡りに船

ここまで、わたしがどんな内容の仕事をしていたか書いてこなかったが、もともとはWebサイトの立ち上げ屋だった。Webサイトといっても情報発信を中心としたコーポレイトサイトやメディアサイトではなく、双方向性をもってユーザー同士がやりとりするコミュニティサイト(*)だ。企業の依頼を受け、Q&Aやレビュー、掲示板(フォーラム)などコミュニケーション機能をもったサイトをコンセプトやコミュニケーション設計から企画し、顧客サービス、顧客コミュニケーション(プロモーション、リサーチ)の場として立ち上げていた。(*)まだSNSのない時代、企業はそれぞれ消費者や顧客とのコミュニケーションのプラットフォームに困っていたのだ。

フリーランスになりたてのころは、これを一人でやっていたので立ち上げては去るを繰り返すようなやり方だった。ところがSNS時代が到来し、『箱』(サイトのユニークネス)よりも、『中身』(どんな会話が繰り広げられ、それがいかに活性しているか)が問われることとなり、運営やPDCAを継続的に行いボトムアップで改善していくことが重視され始めた。その時流がわたしがチームを組もうと思ったタイミングとぴったりだった。運営の仕事は一人ではなくチームである必要がある。まさに「渡りに船」である。

信頼が先、得意が後

仕事が増えチームらしくなっていくと様々な発見があった。最初はわたしの得意で仕事をとってそれをシェアしている状況だったか、次第にチームメンバーの得意によって仕事の内容が変わり始めた。できる業務の幅も量も広がっていった。何が起きていたのかというと、一人の信用貯金(最初はわたし)からチャンスをもらったプロジェクトで、別のメンバーの信頼が獲得されると、そのメンバーの得意で更に仕事が増えるということ。通常フリーランスが単体で行うような、得意なことを営業し信頼ができてまた次の自分の仕事を取るのではなく、誰かの信頼をベースに次の人の得意なことが売れるという面白い流れが出来上がった。徐々にやり方が見えてきた。

楽しいは最大の武器

船を見つけ、漕ぐ仲間ができ、無人島を脱出しながら、わたしはつねに「悲壮感は敵」を合言葉にしていた。本当に大変なことだらけで、この頃のことは恥ずかしくて書かない、もしくは大変すぎて記憶がなくて書けないことがいっぱいだ。でも、そもそもわたしはこのストーリーを思う存分味わっていたし、毎日発見が絶えないワークスタイルをむしろ楽しんでいた。だから、その工程を一緒に楽しみ、ともに語り、共有できる人と仕事をしていこうと心に誓った。これはワークシェアリングなんかじゃない、全く新しいワークスタイルを作る超楽しい冒険なんだと。

わたしはこのころ、たくさんのコミュニティサイトを企画運営することで、また、チーム(=コミュニティ)で仕事をすることで、直感的に人が働くのではなく、コミュニティが働く時代がくるなと思っていた。共感者はまだまだ少なかったけど、わたしが仕事のハブになっていることもあり、法人化を決めた。

つづく

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