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完璧主義を自覚した日

石灰沈着性腱板炎という病気?だったことがわかり、これにより30歳頃から右肩の辺りが痛かった原因であったこともわかり、ひとつの悩みの糸口が見つかった。

右肩の痛みと左脚の痛みも関連性があるようだ。
石灰沈着性腱板炎の原因は不明確で、人それぞれ生活への影響も異なるようだ。

私の場合は右肩の痛みと左脚の痛みが多少あったことから、改善しようとヨガを始めたのだが、石灰が腱に付着して痛みや炎症を引き起こすことから、しばらくどうするか考えた結果、ヨガは中断することにした。

そもそも2024年に入った頃から『なにか新しいことを始めたいな……』という欲望を感じていたことも大きい。

石灰沈着性腱板炎の夜も眠れない痛みによって、やっと新しい道に進むことができたのかもしれない。

子供の頃は飽きたらやめる(そもそもやりたいことは一切やせててもらえなかったけど)という意思がハッキリしていたのだが、親から『長く続けられない=ダメな人間』という刷り込みを受けたことから自分に合わない考え方を持つようになったようである。

親と子供は別の人格だし、遺伝子は受け継ぐかもしれないが基本的には他人なのである。
互いを尊重するには、大人側のある程度の子供への理解の気持ちが必要だが、そんなものを持っていない親もいるだろう。
自分の子供=自分のもの、みたいな考えが少なからずある。

さて、話を戻すとヨガをやめる事にした。
そして、休んだ分を予め連絡しておくと別日に振替することができるため、しばらく休んでいたヨガ教室に参加した。

腕の痛みや違和感があるので、できる範囲での参加であることを伝え、全く無理せずに出来ることしかやらないスタイルで参加した。
にも関わらず、その日の目指す効果は得られてしまった。
すごい。
ものすごくゆるく、できない事はやらなかったのだが。

この日の帰り道、私は自分がいかに完璧主義だったかを思い知った。
いつも休まず教室に参加し、一つ一つできる限りこなしていた(無理はしてないつもりだった)が、それを上回るゆるさでの参加でも効果が出たのだ。

これまでの半生を振り返るレベルでビックリした。

そして、これからの人生が覆るレベルで気持ちが楽になった。

もっと適当でいいのだ。

親や周囲からの言葉を過剰に受け止めて、ひとつひとつ真面目に大切に背負ってきた荷物が一気に塵になって風に吹き飛んだ瞬間だった。

今となっては、なんであんなにいろんなことを重く受け止めてきたのか思い出せなくなってしまった。
大人になる過程で身をもって学んだ経験値なども手伝って、一気に悟ったような感じだ。

大抵の事はどうでもいいんだな……と全身で理解してしまった。
肝心な核の部分さえ押さえておけばどうにでもなるのだ。
100点を取らなくても必要な部分の点数さえ取れればいいのだ。
その意味をやっと理解した。

これからの私に必要なことはきっと
脱力
これに尽きる。

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