人生は気づきの連続

今朝ゴミ出しにいった。
近所の奥様とすれ違いおはようございます🌞と挨拶をしたら、私を見て道路スレスレまで離れ、軽く会釈をした。
だいぶ慣れた光景で、人ぞれぞれだと思っている。
ただ、マスクはしたい人がすればいいし、この世の中を見ても効果ないこと、もうみんな気づく時期なはずだが、いろんな考えや心理が働いているのだろうからまだまだこの二極化は続くのだろう。
そう思いながらすれ違い、足取りが重くなった。胸が苦しくなった。
気にしないといいながらも、そういう反応の数々は少なくとも私を悲しくさせる。
馬鹿馬鹿しいと思いながらも、そんな悲しみがちょっとずつちょっとずつこの3年間蓄積されてきたのだろう。
もっと吐き出したい。受け止めてくれなくても、吐き出させてほしいだけだ。
ただ、ふと気づきた。
おかしくないか?
みんななんで変だと思わないんだ、この世の中、この3年間、コロナコロナ、挙句の果てカロナールが効きます、ただの風邪じゃないか、何度言ってきたことか、、
私が味わってきた葛藤と、孤独感と、吐き出せない虚しさと、吐き出しても全く届かない空虚感と、胸が痛くなる悲しみと、この3年間の思いはきっと、今までも、自分の考えや周りとの考えへの不信や孤独感を様々な形で感じてきた全ての人達が、こんな想いだったのか、こんな景色だったのか、そう思った。
コロナやワクチン以外にも、もっともっとずっと以前からメディアの言うことは全く違うのに、周りは気が付かない、そうじゃないと抵抗してもだめ、そういう人を私も今まで変なのと思ってきた側だった。
そうか、私も少数派の意見は鼻から間違ってて自分が正しいって思って、そう、スレスレまで離れて会釈するようなしてなくても、そう同じだな、そんな自分だったんだ。
そうなんだな、だから、今、私は気づいたんだ。胸の痛みの蓄積も、私が今まで無意識に誰かにしてきたことかもしれない。
気づいた分、優しくなりたい。

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