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誰も幸せにならない争いは嫌 〜今「ひまわり」を観ることの意味はあると思う

初めてみた「ひまわり」は、救いようのない悲しいラブストーリーだった。
最後は幸せになってるはずなのに、ちっとも幸せな気分を感じなかった。
全て戦争が引き起こした悲哀だということがとても辛かった。

私が生まれる前に作られていたこの作品。
当時の人々は二度と無意味な戦争をしてはならないと感じていたに違いない。
今でももちろん、ほとんどの人が戦争に反対していることだろう。
先の大戦の悲惨さ、今もどこかで起きている戦争の惨状は、映像が鮮明に残される現代、十分すぎるほど目の当たりにできる。

巻き込まれている人は、誰も悪くないのだ。
悪くないのに1番辛い思いをしているのは、巻き込まれている人たち。

一般市民、徴兵された人々。
今また同じ土地で同じ事が起きている現実。

この作品の中でも、爆弾を落とされ逃げるシーン
があった。
幸せなカップルを襲う、生々しい爆音。
辛くて辛くて、恐ろしくて辛くて胸が"ギュッ"となる。
極寒の中、身も心も限界になりバタバタ倒れていく兵士。
パラシュートで降りてきたロシア軍の兵士は、その土地にいた人々を標的にするため雪の中を進む。
ドキュメンタリーなのかフィクションなのか。
モノクロ映像ににロシアの赤い国旗がはためく映像は背筋が凍るほどに、冷たく強烈だった。

過酷な環境ゆえ、ともに闘った大切な仲間も助けてあげられず、結果置き去りにしてしまわなければならなくなる。
辛すぎる。
命は助かっても、置き去りにしたという罪の意識は一生消えないのだから。
関わってしまった全ての人にとって、マイナスにしかならない記憶。

ウクライナのひまわり畑の下にあるものは、多くの罪のない人びとの失われた命だった。

★☆

平和な世界だと信じている今もなお、また同じ過ちを繰り返すのはなぜなのだろうか。
私達、普通の一般人は争いごとなどしたくないに決まっているのに。あってはならないことだと、わかっていたはずなのに。

☆★

今朝のニュースで谷川俊太郎さんの
「へいわとせんそう」
という絵本が紹介されていた。
へいわの楽しい僕や私とせんそうの悲しい僕や私がシンプルな絵で描かれている。
そして
へいわの赤ちゃんとせんそうの赤ちゃん。
そこには全く同じ絵が描かれていた。

様々なところで産まれた赤ちゃんも、皆幸せに満ちた穏やかな顔をしている。
純真無垢な赤ちゃんに、地域の違いなどない。

☆★

世界的に不安な情勢は、またまだ収まる気配はないけれど、どうか先の大戦の悲劇をを思い出し、亡くなった人を思い出し、純真無垢な赤ちゃんの顔を思い浮かべ、反戦の意識が高まって欲しいと願うばかりだ。








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