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『太陽の子』鑑賞

絶対に泣くとわかっていた。

春馬さんのこと。
戦争というテーマについて。

すでにドラマがあったから予習はしている。でも、舞台挨拶などで春馬さんを語ってくださっていたから、それはもう、行く前から涙がそこまで込み上げていて、裕之が遠くから歩いてくるのがスクリーンに現れた途端に溢れてきた。もう駄目。修と肩をたたき合ったときの顔。世津を、母をみて「ただいま」といったときの目。私の知ってる、いつもの優しい穏やかな春馬さんだ。お酒を酌み交わし、お寿司を食べ「こういうのが食べたかったんや」と目を細める裕之。

駄目だ。また、涙がでてきている…

修は研究者なのだけど、柳楽さんのお芝居には狂気を感じた。目が完全に狂気じみている。なんと素晴らしいお芝居をされるのか。科学について話している修は非凡人的なお芝居をされてる。「トモ」や「ラスコリニコフ」の春馬さんのような。
たらればになってしまうけど、春馬さんと柳楽さんはこれからもっともっと高め合い、いい関係性を築けていけたんじゃないかなと思うと、残念で堪らなくなった。

修の部屋で世津に科学の素晴らしさについて語るところ。世津は、「うん、うん」と楽しそうに聞いてあげていて、修も得意げに語っている幸せなひと時の間、母と食料調達に行き母との束の間の安らぎを過ごす裕之。二人が帰ってきて、世津も下に降りるのだが、この時の修は、2階から3人を見てとても寂しそうな顔をしていた。腹違いの兄弟という、種明かしを聞いていたからすごく納得してしまい、とても切なかった。

若もの3人で、海に行くところ。柳楽さんの葛藤、裕之の葛藤。波も消して穏やかではない海で、大変だっただろうな。そして、世津の二人を思う胸のうち。有村さんの平和への願いが強く伝わる。予習していても、辛いシーンだった。

母が裕之を散髪しているところ。「痛ない?」「うん」幼い子に言うような母の愛を感じ、子供に戻る裕之を感じ、また涙涙。

その夜、縁側で3人が語るのだけど「未来の話しよう」と話してくれてる春馬さんがいない事がとてつもなく悲しくて、ここからはタオルが手放せなくなった。有村さんのアドリブで二人の手を握るところはやはりグッとくる。

出征の日。
食べるのに困るご時世に白米でのおむすび。無償の母の愛。
そして旅立つ時のあの田中さんのお芝居。言葉なく愛おしそうに母は耳たぶを触り、裕之も何も語らず。でも、目が。裕之の春馬さんの目が、全てを語っていた。

程なくして、裕之の手紙が届く。春馬さんの声だ。隣で友人が嗚咽をもらしている為、私は嗚咽を堪えるのに必死だった。

広島に原爆が落とされた。
次は京都かもしれないから、研究者として山の上から見届けるという修。
母は、研究者の母として逃げないときっぱりと言い、やっぱり白米の大きなおむすびを修にもたせてくれた。修の考えに賛同はできないが、それでも修にも裕之にも同じ様に愛情をもっていたのだろうと思った。だからおむすびを食べたときに、修も感じて自分の考えが間違いだったと気づいたのではないか。

最後の海での三人のシーン、本当に救われた。微笑むことができた場面だった。

綺麗だった。
春馬さんが愛しい。

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戦争なんか、絶対しちゃ駄目だ…
誰も幸せにならない。
改めて思う。

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帰りに、影絵作家の藤城清治さんの作品展に行った。導かれるようにこの作品の前で足をとめた。
原爆ドーム。藤城さんの同級生は、特攻隊員としてで亡くなったとのこと。その友人への想いを手書きでしたためてあった。平和への想いの作品はいくつかあったが、私が平和への祈りを強く感じた作品。今日この日にこの作品出会えたことは、運命的なものを感じてしまった。

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私は「火垂るの墓」と「この世界の片隅で」が大好きでこの時期には必ず観るのだけど、この「太陽の子」も平凡な日常がどんなに素晴らしく有り難いことかを伝える大切な大事な作品として、語り継がれていってほしいなと願う。

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