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"かなしみ"は、愛の発見

かなし・い【悲しい/▽哀しい/▽愛しい】 
1. 心が痛んで泣けてくるような気持ち・その様。
2.(愛しい)心に染みて愛おしい。かわいくてならない。
3. 癪に触る様。悔しい。

[補足]古くは、いとしい、かわいい、すばらしい、嘆かわしい、心が痛むなど、物事に感じて切に心の動くさまに広く使われたが、近代では、主に心の痛む意に用いられるようになった。

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「かなしみ」とは、「愛するものが失われた」時に感じるもの。

「かなしみ」とは、「愛の発見」。

ここに、"私の大切な心"の、
かなしみの記憶を辿った、
「愛の発見」を記そうと思う。


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【事象】

・他の人が「〜できた!」と嬉しがる姿を見て、一緒の温度感で喜べない。
(見下すような、冷めているような、感情を動かさまいとする自分がいる。)

・作品の選出時、大した努力もしていないのに、「私が選ばれるかも」という欲深い思いが出る。

・「私を見て」
と訴えかけている自分を感じる。
それに気づく度に、嫌悪感を示し、考えないようにしてきた。

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【感覚】

斑の茶色(濃い茶色、茶色🟤)

少しヒヤッとする温度、ゆっくりした動き

腰回り

胸がザラザラ、ざわつく



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【感覚の個性】

①名前
【ベトベトちゃん】

②感情
【かなしみ(私を見て)】


そう、「ベトベトちゃん 」 は

「かなしんでいる」。


そうだった……。
私は、私の感情を"表現しない"と決めたんだ。自分で。そして、自分にも共感しないように、感情に蓋をして。

だから、
「他の人がどう思ってる?」
「こんな時どう言えばいい?」
がわからなかった。

必死にテンプレートをかき集め、知識を詰め込んだ。
「こんな時はこういえばいい」のテンプレートが出来上がった。
しかし、それはハリボテだった。

表面上でうまく反応できているようでも、
自分の中では、
「本当はそう思っていないくせに」
「それっぽい言葉で取り繕っている」
そんな言葉がコダマしていた。



③なぜその感情を持っているの──?

「なんで私を見てくれないの」

私だってがんばってるよ。一緒に喜んでよ。大好きって言ってよ。いつも、そればっかり(日常のやることの声かけ、注意ばかり)

私だって、いいところもあるんだよ。
私だって、私だって、みんなと心から笑いたい。

でも、もう悲しみたくないから、それは諦めちゃった、やめちゃった。
私がいなくても、みんなは楽しめる。
私がいたら、じゃまになる。
感情でじゃまはしない。
もう、いいんだ。見てもらえなくても。
もう、傷つきたくないんだ。
感情がありすぎると、大変になる。もうやめよう。外に出さないで、自分の中で楽しもう。

"私の家族"にも、
"私自身"にも、
もっと、「私自身」を見て欲しかったんだ──。

そうだね、「ベトベトちゃん 」 は
「かなしんでいる」。

なぜなら、「自分の感情が溢れて、つらくなるのが嫌だ」 から。


私はもう、私だけが感情を感じていたらいいんだ。表現なんて、しなくていいんだ。
分かってもらえないんだから、どうせ。見てくれないんだから。
私のこと大切じゃないんでしょ?私だって、みんなと同じように笑いたいよ。でも、一緒に感じてはだめ。私の感情は汚いもの。もっと求めてしまう。誰かに認めてもらいたいなんて思ったって、どうせ無理。

でも、見てよ、なんで見てくれないの?
私が表現できないから、つまらないやつって思うの?魅力がないの?心って何?ずっとコントロールしないと駄目なの?怒っちゃだめなの?

だれか、私を解放して。受けとめて。出せる人がいないの。いいママで、いい人でいるのが望まれているの。

解放の仕方を教えて。どうすれば、はっちゃけられるの?そんなに馬鹿になれるの?冗談が言えるの?



④過去にも同じような感情を感じた経験がありそう──?小さな頃の思い出は──?

尾瀬の道。長い長い道のりを、つらいことを口に出さずに歩いた。それを、お母さんから褒められた。嬉しかった、誇らしかった。お母さんが認めてくれた、私の良いところは我慢強さだ、と思えた。

小さい頃から、姉が自分勝手に、奔放に、わがままをいったり、行動する姿を見て、どこか冷めた目線で、(私は違う)と思っていた。

特別でありたいと思っていた。人と違うことを、わざとしていた。できもしないのに、ちょっとやったことがあることを、さもできるかのように「誇張」し、注目を引きたかった。

常に人と比較し、優越感と劣等感の狭間を生きていた。

自分が何かで表彰されたら、表情に出さなくとも「ほら、すごいでしょ。見て」と思っていた。

他の人が表彰されたら、「へぇ」と、心が動かない。特に喜びもない。祝福できない。

仲良くなった友達、彼氏、にわがままを言って、困らせていた。そんな自分を認めてくれるか試していたのかも。

お母さんには……
小学生低学年の時、
「3人姉妹の中で、誰が一番好き?かわいい?誰にも言わないから」
と言って、聞いたことがある。

「私」と言って貰えると思っていた。

だけど──
お母さんには、答えて貰えなかった。

それが心に、引っかかっている。



「 ベトベトちゃん  」 は

「 かなしんでいる 」

なぜなら 「 お母さんに、自分を好きと言ってもらえなかった 」 から



「私だけ」の特別感がほしい。私だけを見てほしい。可愛いって言ってほしい。

私だけの使命がほしい。私だけをみて、「〜ちゃん、大好き」って言って抱きしめて欲しい。表現しない私も、表現する私も、全部認めてほしいよ。我慢しないで、出させてよ。

子どもみたいに。




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【理解】


①その感情は、どんな性格・姿で、どんな様子?

引っ込み思案だけど、本当は見てほしいし、言葉をかけてほしい。
貧乏神のびんちゃんみたい。
ため息、遠くを見てる。無表情。



②何を欲しがっている──? 

ベトベトちゃんは、
気付いてほしい。

家族からの、
『貴方なら、大丈夫!』
『笑顔がめちゃくちゃ素敵だね!』
『元気をもらえたよ』
と声をかけてもらいたい。

自分も、【役に立てた】という経験がほしい!

私も、人の喜びを共に感じられた!と感じたい。 


③ベトベトちゃんへ、声をかける。
欲しがってるエネルギーや言葉を、今、渡すよ──。

【あなたはあなたのままでいいんだよ。いっぱい表現してね】

【「感情はだしたら駄目」ではなく、人への罵倒などは出さなくてもいいし、ポジティブな喜びは出していっていい。それで、相手も喜びが倍増する!】

我が子がそうでしょ☆



④ベトベトちゃんは、どんな様子?
「そうなんだ!そう、人を傷付けたくなくて"罵倒"はできなくて。人に、"馬鹿"と言えない自分がもどかしく感じた事もあった。自分は表現できないと思っていたけれど、違う。喜びは体全体で表現していいし、そっちのほうがみんな喜ぶんだ!」

ハッと気づき、嬉しそう。



⑤姿や様子の変化
小学校3年生くらいの姿の私になった。
とってもにこやかで、ショートカットの活発な女の子って感じ。
キラキラしている。

名前は、「キラキラちゃん」に変わった!



⑥キラキラちゃんの大事にしている考え方やエネルギー、純粋な欲求

【自分を表現すること!】
【喜びを表現することっていいことなんだ!】


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【本来の姿の居場所】

私は、キラキラちゃんに、
自分の心の中の居場所「席」を示そうと思った。

だけど、そんな事をするより先に、
心のど真ん中、黄色と白のマーブルカラーな、ふわふわトランポリンで
ピョンピョン飛び跳ね始めたキラキラちゃん。

そっか。
落ち着いて座ってる、我慢してる、
そうじゃないところを思いっきり感じたいもんね。
いいね、いいね!

身体いっぱい、心いっぱい、
いっぱい感じて!


【喜びは、倍増する】

【私の笑顔や喜びは、人を幸せにする】

【私の幸せは、多くの人を幸せにする】

私の喜びは、人の幸せ。

人の幸せは、私の幸せ。



あの時は、

そう……
特に、お母さんが般若の面で私達を怒りの目で見ていたとき。

その感情を、お母さんの感情を

自分に取り込みたくなくて、取り込まれたくなくて、


離れた場所から見る、


をしてた。


だから、誰かの感情に

一緒に共感しないで、

斜めからみるクセがついていたのかも。


でも、大丈夫。


もう、取り込まれないから。


一緒に感じたいと思ったら、感じれるから。

喜べるから。


大丈夫だよ。


そして、

「お母さん」がどうこう……よりも、

今までずっと、
「私自身の感情」を、見ないで

汚いって

思っちゃっていて、ごめんなさい。

あなたの
「見てほしい」
って欲求も、とっても可愛いよ。

その「愛らしさ」を、
「かなしみ」に変えてしまっていたのは、

ほかでもない、
私自身だったのかもしれないね。

私自身が、私の「感情」を 

ないものにして、

それで、他の人から褒めて認めて貰おうだなんて。

自分で認めていないのに、

他の人に認めてほしいだなんて。


きっと……

信じたかったんだよね。

その証が欲しかったんだよね。

「あなたは、ありのままでいいんだよ。」

それを、
自分が信じたかったんだ。

だから、
その言葉を、
家族や、友達や、彼氏や、先生や……

色んな人から貰いたかった。

でも、もし、

他の人から
たっぷりその言葉を、もらえていたとしても──?

本当に自分を
認められたかな?

どうだろう。


やっぱり、

自分で、
「昨日の自分と、今日の自分」を比べて

「頑張れた」

っていうのが必要なのかもしれない。


本気で自分と向き合って、

自分の弱さも強さも

全てを曝け出して、

「やりきった!」

「生ききった!」

そんな一日、一日を

送れたら。

他の人の幸せを、わが幸せと

自分に実ったたわわな果実を

誰かに差し出し、見返りを求めず

差し出したことも忘れ、

笑顔で、自然体で過ごせたら。



きっと、そんな未来は、

──きっと来る。


大丈夫、大丈夫。



『きっと、自分なら、それができる』

この信じる想いこそが、

自分への、愛だ。

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