【恋愛小説】 恋しい彼の忘れ方② 【創作大賞2024・応募作】
「恋しい彼の忘れ方」 第2話 -色情-
胸の内を文字にしたため、ブログを投稿し終えた私は、スマホを手にとり、昨日大輝が送ってくれた漫画のリンクを開く。
主人公の心の内面が描かれていて、露骨ではないそれは、上品な揺らぎが垣間見えた。
これを大輝がねぇ……。そのギャップに痺れた。
早速感想を送ってみる。
「素敵な漫画。大輝が、こんなにキレイな絵と言葉の調べを表現してるなんて…。
ため息しかでない。素敵すぎて。
主人公の、最初は自分でも気づかないようにしてた感情が、どんどん高ぶっていって溢れちゃいそうになるの…わかるなーって思いながら読んだよ。」
「ありがとう!俺、なんかよくわからないけど、女の子みたいな感情があるんだよね。
昨日は、俺の根っこにある信条をなぞったような、特別な夜になってしまった。
これからも、創作頑張るわ!」
大輝からメッセージが返ってきて、心臓が高鳴った。
もっと……大輝の世界を感じたい。
そう思って、更に作品を見せてくれるようおねだりする。
メッセージは即座に返ってきて、私は心が躍った。送られてきた作品は、どれも登場人物の心情がこちらに訴えかけてくるような、繊細な描写。物語のはじめと終わりで、その子達の心の距離が近づき、関係性が変わっていくことにときめいた。みぞおちがキュンとなる感じ、これが自分の胸に戻って来る。
堪らず、私の友達が漫画を描いていてね、と誰かに話したくなった。
そこに、私の旦那さん、神崎賢人が、着替えを取りにいく途中なのか、上半身裸で側を通った。筋トレが趣味で、マッチョな身体付きだ。
「ねぇねぇ、同級生がさ、漫画家になってたんだよ?すごいでしょ?作品送ってくれたんだけど、見てみる?」
矢継ぎ早な私の問いかけに、賢人は「いや、いい。」とだけ答え、すぐその場をあとにする。
なにそれー。もっと、「え!すごいね!見たい見たい!」みたいな反応が来るかと思ってたのに。つれないなぁ……。本当に私のこと、興味ないんだね。と、がっかりする。
もうその点、大輝は私のことを見て、綺麗って言って、抱きしめてくれたんだよね。嬉しかったなぁ……。
賢人も昔は、もっと私のことを見つめてくれて、優しい言葉もかけてくれて、大事にしてくれたのにな。
結婚して7年。やっぱり一緒にいる時間が長すぎて、私のこと飽きちゃったのかな……。
昔、仲良くデートをした記憶や、嬉しかった思い出が、劣等感を生み出し、容赦なく突き刺してくる。昔の私は愛されていたのに……。どうしてこうなったんだろう……。
いいもんね、私には昨日の素敵な思い出がある。
そう開き直って、昨日の甘い一時……大輝の言葉や仕草を、脳内で再生する。
まだ昨日の余韻が冷めきらず、自分がヒロインになったような、夢みたいにふわふわした感覚だった。
枕を抱きしめて、キャーってやりたい。この感情の行き場を探してあげたい。でも駄目、誰にも知られちゃいけないのよ、葵。
でも、不思議。
昨日のことを思い出すと、それだけで別世界に行けるみたい。賢人にも子どもたちにも、優しくできそう。
そういえば、大輝、私に「恋しい」って言ってたな。
今まで言われたことなかったから意味も知らなかった。検索検索、っと……。
「人や物事に、強く惹かれる様……か。」
大輝はこんな感情を抱いていたのね、となんとなくわかった気がした。
*
それからの私は、毎日のように甘い時間を思い返し、痺れるような感覚を味わった。仕事中も、育児中も、お風呂の時も、夜眠るときも。
自分が、この感情を楽しめる時間が幸せだった。いつでもあの瞬間に戻れたみたいだった──。
そして、次はいつ会えるんだろう?と期待を胸に、メイクやファッションの動画を貪るように見た。素敵になる方法を知りたい。私に合うものを知りたい。少しでも、"綺麗"って思われたい。また、"綺麗"って言われたい。
毎日毎日、「ママ」や、「教員」としての役割を求め続けられている私にとっては、こんなふうに、刺激的な過去と妄想の未来を行き来するのが、唯一のご褒美でもあった。
夕飯の後、子どもたちにテレビを見させておきながら、自分はスマホを手に、大輝とのメッセージのやりとりを見返したり、漫画家さんのSNSを見たり、動画を見たりしていた。
子どもたちだって好きなことをしているんだもん、私だってそのくらいいいよね?と、誰に言うでもなく、頭で言い訳をしていた。
1日に1回か2回、返信が返ってくるが、その時間はまばらで、例えば、夜中の3時頃の時もあるし、お昼の12時頃の時もある。
もっともっと、大輝のこと知りたいのになー、と、自然と口が尖る。
1週間ほどすると、もどかしさが募り、また会いたいという欲がしびれを切らして私を動かした。
大輝にメッセージを送る。
「大輝、忙しいと思うけれど、次、返ってくるのはいつ?」
「ごめんね、ちょっと先のことが読めなくて。けど、無理矢理に理由つけて帰りたいなー。」
この返信で、私の中に寂しさと嬉しさが渦巻いた。
忙しいんだもん、すぐには会えないよね──。
でも大丈夫、私は、大輝に求められている──。
「そうだよね、忙しいもんね。お仕事、がんばってね!」…と。
頭の中で、聞き分けのいい自分を演じ、これが正解だな、と考えた理想の応えを打ち込む。
いつ会えるかわからないけれど、その日まで、自分を磨いておこうと、ストレッチの動画を見ながら身体を動かし始めた。
大輝に見てもらえる自分であるために──。
*
ついに、5ヶ月後の夏──。
大輝から「今週帰ろうと思うんだけど、会える日ある?その日に合わせようと思う!」
とメッセージが来た。
顔が熱くなる。
また、会える──。
「うん!嬉しい!土曜日はどう?!」
この日は、大輝が昔よく言ってたという、居酒屋さんに行った。半個室で、カレーが有名らしい。
私は体調が悪く、あまり食が進まなかったが、大輝の注文したカレーを少し分けてもらった。
気持ち悪さと、胃が食べ物を受け付けない中、カレーや油物はキツイ……。
そんな私にとって、酸味の効いたグレープフルーツジュースが救世主だった。
「大輝、最近忙しかったよね?」
「忙しいっていうか……。忙しく見せてるって感じ?」
──その言葉が、チクン、と胸をさす。
忙しくないのに、なかなか帰ってこないってことは、あっちの生活が充実してて、私のことも優先順位は低いってことだよね……?
私は、今日会うために都合をつけてくれた大輝の姿をかき消した。
メッセージのやりとりが、スムーズに出来ないことも思い出して、聞いてみる。
「大輝、朝は早いの?」
「ん?あー、自分の作品をやるときはね。」
「そっかぁ……。」
もっともっと、離れてる時もやりとりしたいな。心で繋がりたいな。その言葉は、大輝を縛るとわかっていたから、言えなかった。
そこから、漫画の創作の話で盛り上がった。私は、大輝と出会ってから、「漫画家が新人を育てる」という内容の本を買って読んだこと、映画を観るようになったことを話した。
恋愛の映画を観る時は、大輝と私、に置き換えて観ていることは、言えなかったけれど……。
話しながら、「好きな人の、"好きなもの"を好きになる」これは本当だと思った。
大輝は、漫画を描く上で大切にしていることを熱く語った。
「あのね、実際そうなってるってのを、現さなきゃいけないの。よくある食べるシーン。これ箸がさ、こんな風に全員分キレイに並んでたらおかしいって思わないと。男性と女性でも違うし、どんな食べ方をしてるのか、どのくらい食べ進めたかとかも描く。例えばさ……"静電気"も描くんだよ。」
「え?!"静電気"?」
「そう!ほら、この胡椒とかも、振った時に全部下に溜まるわけじゃないでしょ?」
「へぇー!ほんとだ!"静電気"も描けるんだね。」
「そう、想像力なんだよ。どこまで考えられるか、ってさ。それができてないアシスタントの人に、俺、つい怒っちゃうんだよなー。」
頭をかきながら苦笑いする大輝。
この人は、こんな風に感じているんだ。仕事のこと、漫画のことに、こんなに、真剣に向き合って、情熱を注いでいるなんて。
カッコイイ。素敵すぎる。大輝がとても魅力的に映り、私は片時も視線を離せなかった。
もっと話を聞きたくて、釣りの話を振ってみる。
大輝は、海だけでなく、近くの池でも釣っていたようだ。
「子供の頃、あの池でよく釣りしてたなー。そこで会った子たちの名前は知ってるんだけど、連絡先も知らないし、家もわからないし。でも池に行くとなぜか会えるんだよね。それがまた面白かった。」
「うんうん。」
「その中で、"こいつには勝てねえなー"って思う奴がいたんだよ。そいつは、絶対そこでは釣れない、って場所で必ず釣り上げる。」
「へえ。なんで釣れるんだろね?」
「何でだろうね。神がかってるんだよな。真似したくても真似できない。まぁ、真似したくはないんだけど。」
大輝は、残ったビールを飲み干した。
「何か頼む?」
「生1つ。すみませーん!」
即、自分で頼むとこ、好きだ。
「釣りって、どんなところが面白いの?」
「え?──そうだなぁ。例えばね、これが魚だとするじゃん。」
箸置きを掴み、テーブルの真ん中に置く。
「ここに糸を垂らしてさ。こう……釣れると思うじゃん?」
「うん。」
「でもそれじゃ駄目なのよ。そのまま釣ったら面白くない。ここから、こういう風に釣ったら、もう最高なんだよ!」
そう広くない半個室の片側──大輝の左側は、木の壁で、大輝はそこに何度も腕をぶつけながらも、釣り上げる再現をしていた。ちっともそれを気にせず、繰り返している様が可愛すぎる。
本当に夢中な姿、あの頃のままだ。大輝が気持ちよさそうに話している姿を見られるだけで嬉しかった。自然と笑みが溢れる。
「ん?」と大輝が視線を上げ、目と目が合う。
私は頬杖をつきながら、大輝を見て「ん?」と首を傾げた。
大輝が、「ちょっと吸ってくる。」と外に向かう。
黒の半袖Tシャツに、チノパン。Tシャツの後ろに、星が描かれている。自然に目がいく。
大輝が戻ってきて、
私は「そのTシャツ可愛いね!」と伝えた。照れくさそうに前髪をクシャッとかき上げ、笑う大輝。
「髪切ったの?」
「ん?そうだね。2ヶ月くらい前かな?結構短くしてたんだけど、伸びてきたね。」
「そっかあ。」
会ってない時の、大輝が知れて嬉しい。
私も、髪を切ったり、トリートメントしたりして、会える日を楽しみにしてたよ?
「ちょっと、お手洗い行ってくるね。」
「はいよー。」
トイレが混んでいて、スマホを弄りながら順番待ちをする。
鏡を見ながらリップを引く。私の肌色に合ったピンク。顔色がよく見えた。
よし、と吐息に言葉を混じらせ、トイレのドアを開けて席に戻る。
靴を脱ぎ、一段上がって、
あぐらをかいている大輝の横を通ろうとした時、
大輝がスマホに落としていた視線をあげた。
「おかえり。」
と優しい声が耳に届く。
お……おかえり???
「──あ……うん、ただいま。」
柔らかなその音の返し方を、一瞬忘れてしまった。
こんな風に出迎えられるなんて。嬉しいし、ちょっと気恥ずかしい。
大輝、あなたはいつも、他の子にも、そうやって優しい言葉をかけるの?
胸の鼓動が煩い。
汗をかいたグラスをテーブルの端に置き、最後の飲み物を注文した。
「大輝、こんなに漫画や釣りのことを語れるなんて素敵だね。」
私には語れるものってあるのだろうか?──いや、ない。
大輝への言葉と同時に、その疑問文と答えが、瞬時に出てくる。
大輝は、
「んー、好きだからね。」とまた頭を触る。
そこから暫く話をして、大輝が切り出す。
「さて、行きますか。」
「うん。」
私の車に乗り込み、エンジンをかける。
「お願いします。」
「はい。」
楽しみだった時間が終わってしまう……。
もうすこし話していたいな。と欲が覗く。
大輝の実家に向かって走り始めたその時、
「池に行ってみる?」と大輝が言った。
「うん、行こうか。」
感情をあまり出さないように、落ち着いて返事をした。
嬉しい……もっと大輝と一緒にいれる、と期待が高まった。
*
池に着いた。そこは全く人気がない林に囲まれた草地で、蛇が出そうなほど、鬱蒼としていた。
車を停車し、降りると、
大輝は、水を得た魚のように、目を輝かせていた。
「懐かしいー!久々に来たなぁ!行こう。」
「ん……。」
池に来るのは賛成だったけれど、やっぱり怖い……。変な人来ないかな……?
ここ、理科の自然体験学習で来慣れてはいるけど、いつも昼間だもんなぁ。涼し気な公園でいいところなんだけど…。
闇の恐怖が私を襲う。
そんな私の様子を見て、大輝が手を差し伸べる。
私は手を合わせ、池の水際まで歩いた。
「ほら。」
大輝がいうその景色の中に、魚は見えない。いや、大輝には見えているのかもしれない。
だけど、今、手の熱っぽさや闇の不安感だけでも精一杯なのに、他の情報は受け取れない。
大輝が、反応が薄い私の顔を覗きこむ。
「どうしたの?」
「な…なんでも、大丈夫。──そういえば、ここ、ホタル見えるんだよ? 1ヶ月くらい前、理科の先生たちで見に来たんだ。奥の方で見えたよ。でも今、いるかはわからないけど……。」
「いいじゃん!見に行こうよ!」
「えー……。うん、じゃあ、行ってみる?」
手を繋いだまま、深い闇に向かって歩き始める。
先日の夜は、私を合わせて10名くらいの先生たちで、長袖長ズボン、長靴という装備で見に来たから、あまり感じなかったけれど……。
大輝、あなたはサンダル!そして私もスカート。
ヤマビルや、ヘビからの防御力は皆無に近い……。怪我をさせるわけにはいかない。
只今、ポイズンリムーバーや血清というアイテムが手元にあるわけもない。
状況を分析し、重心を後ろにかけてブレーキを効かせながら、私を引いて先を歩く大輝に声をかける。
「やっぱりやめよう! あれから一ヶ月だし、ここから見えないんじゃ、もうきっといないよ。」
「え?なんで?いるなら、もう見えるはずなの?」
「うん、そうそう。きっといないし、怖いよ。」
私は大輝の好奇心に対して雑に返した。
大輝に見せてあげたいという思いより、怖さと、身の安全を守りたい思いが勝った。
大輝は、
少しふてくされた表情で、
「この意気地なし!」
と冗談交じりに言った。
また歩いて車の方へ戻った。
「ごめんね。来年見に来よう?ごめんね……。」
もしかしたら、少しはホタルが見えたかもしれないけど、怖くて止めてしまった……。
私が申し訳なさそうに肩を落とすと、
「──じゃあ、お仕置き。」
と言って、私の背中を車に寄せ、大輝が目の前に立った。
車と私と大輝の隙間がなくなり、強く抱きしめられる。
時が止まった。
あ……。これ……ずっと、ずっと欲しかった。
あの夜から忘れられず、何度も求めていた温かさに、やっと出会えた気がした。
思わず、私も大輝の背中に腕を回す。自分の手が大輝の背中の感触を捉え、耳がピッタリと大輝の胸の鼓動を捉えた。Tシャツから、ほんのり大輝の匂いを感じる。
この一瞬を、私自身へと刻み込もうとする様に、大輝に対する想いの丈を知った──。
大輝の柔らかな唇が、私の首筋に軽く触れた。胸鎖乳突筋から鎖骨へと、ふわふわとした感触が動く。唇なのか、舌なのか、その由来は見えないが、分かるのは気持ちよさだけ。
少し身体が離れ、大輝が、私の頬から唇へと、かすかに触れながら指をなぞった。
「キス、していい……?」
その問いかけに、言葉が返せない。
「いや?」
首を横に振る。
「──また大輝に会いたいから……しない。
彼女さんも、悲しむと思うから。」
私の口は、そうっぽい言葉を紡いだ。
「いいやつだな。
──もし、結婚とかしてなかったら、してた??」
「ん……、ん?わからない」
「あ、いま"うん"って言ったよね?」
「あはは。」
大輝が、もう一度私のことを抱きしめる。
「──わかった。いい思い出にする。」
大輝が私の腰に手を回し、驚いた表情をする。
「え?葵、細くない?」
「え?そう?」
「うん、ほらっ。」
抱き上げられ、足が宙に浮く。
「わ!ちょっとー!」
ジタバタすると、地面に着いた。
そして、ホッとしたのもつかの間、
大輝は私の膝下に右腕を入れ、よっ、とお姫様抱っこで持ち上げ、くるくると回った。
「すご、めっちゃ軽いー!」
必死に大輝の首にしがみつき、
「やめて、重いよー!」と懇願する。
腰を痛めたらどうしよう、重くて恥ずかしい、と頭がいっぱいだった。
やっと降ろして貰えて、大輝と私は笑い合った。
きっと、お互いに、この歳でこんなことしてるなんて、って思っていたに違いない。
非日常のこの空間が、心地よさに埋め尽くされていた。
その時、パキッパキッパキッっと、タイヤが小石を踏む音が聞こえてきた。
少し離れた所から、車が入ってくる様子であった。
知り合いじゃないよね?
何て言い訳すれば…?友達と蛍を見に来た、とか?
蒸し暑さの中に、変な冷たさを感じながら、脳が動く。
「行こうか。」
車を走らせ、家路に着く。
大輝の手が、運転する私の左腿に触れている。
どういう意味なんだろう……。
私は気にしないふりをして車を走らせた。
大輝を送り終え、自分の家に到着する。
もうとっくに日付けは超えていた。賢人と子どもたちは二階で寝ており、部屋は真っ暗だった。
リビングの明かりのスイッチを押し、お風呂場へと向かう。
ゆったりと湯船に浸かりながら、考えることは、1つ。先ほどの大輝との時間。
私だけを見てくれて、私だけに言葉をくれて、私だけに触れてくれる。
大輝との時間が、何よりも至福な、一時だ……。
抱きしめ合った感触を思い出そうと、自分自身を抱きしめてみる。
もう、身体が大輝を欲している。
大輝といると、とっても嬉しい……。「今」を身体いっぱいに感じられる。
「キスしたい」って、私のこと、好きでいてくれてるってことかな。求めてくれたのが嬉しい、嬉しい……。
その夜から、毎日のように大輝を感じた。
あの夜の出来事を、一つ一つ、丁寧になぞっていく。気持ちが高ぶり、身体が反応する。
なぜかわからないけれど、それを思い出す行為は、育児や、仕事の多忙感を一気に吹き飛ばしてくれる力があった。どんな状況下でも、胸がドクドクと波打ち、頭がぼうっとなって、一瞬であの日の私に戻れた。
恋をしている時って、何でこんなに高揚感を感じるんだろう。ずっとこのことを考えていたい。ずっとずっと──。
私は、このループを、溺れるように楽しんだ。
次会える時までにもっと綺麗になりたいと思い、いいなと思うインフルエンサーを真似るようになっていった。
メイクをする時、たまに大学時代の男友達から言われた言葉を思い出す。
「葵のこと、俺は可愛いと思うよ。ただ、俺、周りから『B専』って呼ばれてるけどね。」
その時のことがチラつくたび、ムッとした気持ちが蘇り、「最後の一言が余計だよなー。」とポロッと言葉に出る。
こんなことも思い出す。
私の幼少期。家族旅行で写真を撮る時、
カメラを構えたお母さんから
「無愛想、もっと笑えよ。」
と吐き捨てるように言われたこと。
たしかに、小さい頃の私の写真は、ほとんどが無表情で、笑っているものは……ほぼ無かった。
結婚式の時、写真を選ぶときに、それらしいのピックアップするの、大変だったな……。
こんな暗い奴だったんだ、って友達の前で見せたくなかったし。
その時よりは……笑えているよね?
昔は、真顔の時に口角が下がっていたけれど、今は上がって見える。
"いい出会いをしてきたんだね"
大輝の優しい声が響く。
その大輝に、最高の自分を見てもらいたい。
ふぅー。鏡を見て、息を長く吐く。「もっと可愛くて、もっとスタイルもよかったらなあ。」
ま、じーっとしてても……ね!
私は、自分の目を大きく見せるメイクや肌を綺麗に見せるメイク、自分を映えさせる服について探究した。
元々、ハマったことに対して、深掘りすることに夢中になる性格が功を奏して、少しずつ、自分の求めるアイテムを揃えながら上達していった。
恋愛漫画でよくある、「好き」の力でどんどん変わっていく主人公の女の子、まさにそんな気分だった。
結婚していなければ、それはきれいな心であろう。
しかし、私は既婚者。愛すべき家族がいる。
それにも関わらず──。
もっと愛されたい──。
その情慾が、私を支配していた。
*
私はだんだん、大輝とのメッセージのやりとりに違和感を感じるようになっていった。
あの日、私の唇を求めてくれたのに、
決して「好き」、とは言ってくれないことに。
連絡も更に少なくなり、
2日に1回、3日に1回……と減っていき、ついには、会ってから2週間余りでパッタリと止んだ。
そうだよね。当たり前だよ。
大輝は今の生活が充実している証拠だし、私だって、今の生活を壊したいわけじゃない。
これ以上気持ちが大きくなりませんように、そう頭では考えながらも、走り出した心は止められるはずもなかった──。
*
3ヶ月後の10月初旬。
2時30分頃、突然大輝からメッセージが来た。
「今、会える?」
「うん! どうしたの?めちゃくちゃ聞きたいことありすぎ!」
たまたま着信音で起きた私は、寝ている家族を起こさないように、ドキドキしながら身支度を整え、大輝の実家へと向かった。
まだ闇が深く、肌寒い。
それでも、私の心は浮き立ち、ハンドルを握る手は若干汗ばんでいた。
到着し、メッセージを送る。
「ついたよ!」
しかし、大輝からの返信はない。
寝ちゃったのかな……疲れてるんだよね、きっと思いながら、コンビニにいって温かなお茶を2本買う。
30分経っても、1時間経っても、連絡が来ない。
私は、思い出の海へと移動し、朝日を拝みながら、記憶の中のあの日をなぞった。
結局、返信が来たのは5時頃だった。
「寝ちゃってた、ごめん!」
とメッセージが来た。
「大丈夫、疲れてるのかなと思ったから、連絡しなかったんだ。」
「6:30には出発しないといけないんだ、ごめんね」
「じゃあ、3分くらい会える?^^」
「急いで準備する!」
私は、冷めないように、とタオルで包んでおいたペットボトルのお茶と、軽食を渡せればそれでいいかな、と自分に言い聞かせながら、車を移動させた。
大輝に会えるだけで嬉しい、その思いでいっぱいだった。
大輝を拾って、近くの人気が無い公園の駐車場まで車を動かした。
通りからは見えない垣根の影に、2人並んで腰を下ろす。
そこで、今日は夜中まで男友達3人と飲んでいたこと、これから仕事の打ち合わせがあること、を聞いた。
「時間があったら、葵とゆっくりしたかったのにな。」
その言葉を聞いて、
「私も。」
と答える。
大輝は嬉しそうに、私の肩を抱く。
「じゃあ、ちょっと別のところで休んでいく?」
大輝は、暗ににおわせた言葉を紡いだ。
「え……それは。」
と私は俯いた。
それより、もっともっと、メッセージのやり取りしたいよ。
もっと大輝のことを知りたいよ。
いつもずっと、私ばっかり"待ってる"──。
もっと欲しい。苦しい。
その想いが私の腹の中でとぐろを巻き、言葉になって現れた。
「あっちに戻ったら、忘れるんでしょう?」
「忘れないよ。」
「忘れるよ……。」
「どうして?返信が遅いから?」
無言でコクリと頷く。
「ねえ、電話は……?」
「電話はできない。」
わかっている、わがままだってことくらい……。
大輝には大輝の生活がある。
私には私の生活が。
でも、思われていたい。大輝の中に、私がいてほしい。思っちゃいけないのに、その願望が膨らんで、思わず口にしてしまったことに少し後悔する。
膝を抱えてうずくまり、呟く。
「苦しい……。」
「私、自分のこと、どんどん嫌いになっちゃってる……。」
大輝は言った。
「誰にも話せないもんね……?」
「じゃぁ……俺と、2人で業を背負おう。」
そうしてみたら、楽になれるんだろうか──。
想像しようとしたけれど、その先の未来が描けなかった。
母親、妻、教師……。
そんな役割を脱ぎ捨て、一人の女性、「葵」として見てもらえる。愛でてもらえる。一時でも。
それが幸せ、となるのかどうか
私にはわからなくて、頭がフリーズした。
私は、
「ギューってしたい……。」
と、大輝を求め、2人で温もりを分け合った。
私には、これだけで嬉しい……
うん、嬉しかったはず……
でも、大輝には、物足りないんだろうし、
私も……私ももっと大輝の心が欲しい。
もっと私のことを考えて欲しいよ……。
結局、私達はそのまま車に戻り、大輝を駅へ送ることにした。
"葵と重なりたかったのに"、そういう大輝の言葉を聞いて、求められている甘美な甘さを感じながらも、気付いてしまった──。
「私は、この人を苦しめている」、と。
私は、大輝の求めるものを渡してあげられない。それは、きっと、この先も──。
大輝から、甘いメッセージが来る。
私は、「夢の中ならいいよ。」と曖昧に応える。
女となる夢も見た。
見たあとに、甘さと共に、ザラザラとした罪悪感も感じた。
こんな夢も見た。
大輝と一緒にお菓子を食べる夢。
気になって"夢診断"のサイトを見ると、「甘え」と書いてあった。
「甘えてるよね……。大輝に。」
私は頭で分かっていた。
「大輝から離れた方がいい」
「私は、曖昧な態度で大輝を傷つけている」
「私は、家族を裏切っている」
「子どもたちが可哀想」
「こんな私なんて、嫌い」
「これを続けていて、誰が幸せになれるんだろう」
その一方で、
「離れたくない」
「もっと私を求めて」
「本当は、大輝が欲しい」
「このまま曖昧な態度を取れば、一緒にいられるんじゃないか」
「恋愛は、甘美だ」
その心が私を掴んで離さなかった。
毎日、この思いが私の中で堂々巡りをする。
特に辛いのは、夜だ。
身体が、火照っている時に、
賢人を求めるが、ぐっすり寝てしまっていて、相手をしてくれない。近づいても、手を払われ、背中を向けてしまう。
「私ばっかり求めている」「賢人からは求めてくれない」「寂しい」その思いが私を容赦なく傷つける。
そんな時、餌を求める鯉のように、欲に任せて大輝の面影を探す。
大輝の顔を思い出そうとするが、なんだか顔がよく思い出せない。おかしいな、なんでだろう……と思ったが、考えるのをやめた。
第3話 感性
https://note.com/haru_s2/n/nd5c28ec62b71?sub_rt=share_b
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