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自分を愛すことと甘やかすことは紙一重

自分のことを大切にしようと決めてから、
私はたくさん自分に寛大に優しくしようとしてきました。
私は別の記事でも書いたように、0か100思考の人間だったため、とても自分に厳しかったからです。

自分を否定し、努力を否定し、湧き上がってくる辛い・やめたいなどのネガティヴな感情を否定してきた結果は悲惨なものでした。

しかし、自己否定は良くないと気づいてからも、私はしばらく止めることができませんでした。
その理由は、自分を甘やかして怠惰な人間になる、と思ったからでした。

甘やかすことと自分を許して愛することの違いがしっかりと認識できなかった私は自分に優しくする一歩が踏み出せませんでした。

結論として、最初からうまく甘やかさずして自分に寛大なることはできなかったです。

たくさんの本を読み、周りの人と話しながら
少なくとも今のやり方は間違っているということが事実として感情的にも納得ができ始めました。

そこで、自分の心の声をとてもよく聞くことにしたのですが、私はそこで愕然としました。
それまで「しなければ」や「将来のために不安だからやらないと」ということで自分を責めながら動いていた私には自分の本心がわからなくなっていました。

(ここでは本題から脱線するので割愛しますが、ここから私は自分の心に正直になるために
文字にしてみたり、ネットで他の人が書いているしたいことを参考にしてみたりと奮闘する日々が始まります。)

そして、今では自分の体が疲れてることや心がしんどいことをすぐに気づいて対処できるようになりました。
自分を逃したり休めたりできるようになり、本当によかったです。

ところがここ最近、あることで悩むようになりました。
自分に寛大になった結果、私は自分が疲れないようにと先回りし、少し無理をして頑張ることをやめました。
そうしてみたら今度は一踏ん張りして頑張ることを無意識に自分で止めてしまっていたのです。

なんとなくそれに気づいた最初の頃は、「でもそれで昔のように厳しすぎる人間に戻ったら怖い」と今のままでいることにしていました。
しかし、段々と日常の中に変化や刺激、もっと言えば成長がなくなってきてしまいました。

私は自分を追い詰めて体調を崩した時、ジェットコースターのような人生ではなく、穏やかで平坦な人生を望みました。
でも、それがだんだん自分の可能性を狭め、能動的に何かを楽しめる自分ではなくなってきていたのでした。

つまり、私は初期のころに心配していた、自分に寛大になった結果の怠惰な人間になっていっていたのです。

では、私は後悔しているでしょうか。
いいえ、していません。
自分を否定せず、許して大事にしていく考えは
持てて本当によかったですし、自分の本心や体の声を聞くきっかけになりました。
そして、今は怠惰になりつつありますが、もう2度と自分を否定するやり方でなく、自分の気持ちとの兼ね合いを考えながら頑張れる方法を見つけられるでしょう。

寛大になった結果、一度振り切って甘やかし過ぎたのかもしれません。
でも、これから少しずついい塩梅を見つけていきます。
振り切ってみて、良いバランスを見つけるというのも決して悪い方法ではないと思っています。

今回は自分を甘やかすことと愛することについて書いてみました。
私はいくつか自己肯定をしてほしいとの記事を書きましたが、私自身も陥った甘やかしているのではないか、という疑問についても伝えたいと思い、文章にしてみました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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