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バスケ物語 ep.9

 二学期がやって来た。
 夏の大会は終わった。次は十一月の秋の大会。
 その前に学校では行事がある。九月下旬にある文化祭だ。西桜の一文字を取って「桜蘭祭」と言われる。
 皆はりきってクラスの出し物や部活の出し物の準備に励んだ。
 宮尾のクラスでは縁日を教室の中で開くことになっていて、ヨーヨー釣り、線引き、輪投げ、射的などを放課後、製作していた。
 宮尾はこの行事が嫌いで、表面上は黙って働いているが、本当は思いっ切りバスケがしたい、という鬱憤が溜まっていた。こんなくだらない作業、時間の無駄じゃないか。
 ちなみにバスケ部は一般客相手に三対三の勝負をする。開催する二日間、フルタイムで行う。部員でローテーションし、午前と午後をそれぞれ二つに分ける。ローテーションは次の通り。


 一日目 午前(先)佐々井・持田・矢部
       (後)宮尾・香村・長島
     午後(先)佐々井・平岡・長谷部 
       (後)村瀬・持田・長島
 二日目 午前(先)宮尾・平岡・長谷部
       (後)村瀬・矢部・香村
     午後(先)宮尾・岩田・持田
       (後)佐々井・岩田・長島

 初心者から他校のバスケ部員まで実力差に開きがあるので、手加減が難しい。


「桜蘭祭」の準備が進んでいた。
 体育祭同様、部活が朝になり、放課後は準備時間なため、宮尾もおとなしく教室にいるが、積極的に作業しているかと言ったら、そうではない。
 見かねた尾崎が世話を焼いた。
「宮尾、おればええわけやないで。ちょっと手伝ってえな」
 宮尾もいつもなら尾崎の近くにいるのも厭わないが、合宿のことが引っかかっていた。平岡は見た。尾崎も見ただろう。だとしたら、何をどんな風にどのタイミングで言われるか分からない。
 それでも暇を持て余し過ぎていた。宮尾は立ち上がって、尾崎の横に立って、教室の装飾作りを手伝った。

 黙々と作業が続いていた。尾崎は以前と変わらない。ただ、静かなだけ。
 宮尾は別に何も煩わしいことはありませんよ、という顔を作っているが、心中穏やかじゃなかった。
「なあ、宮尾」
 だから尾崎が重い口を開いた時、宮尾は驚いて「えっ」と情けない声を上げそうになった。
「変なこと聞いてもええ?」
 尾崎が宮尾の横顔を真っ直ぐに見つめている。宮尾は見つめ返せない。
「変なこと? 何だよ、何でも言ってみろよ」
 宮尾は無意識にとぼけた振りをした。
「――きもだめしの時、クルミと――キスしてたやろ」
 周囲を意識して、小さな声ではあったが、はっきりした口調だった。物怖じの欠片もない。ずっと話す機会を窺がっていたのかもしれない。
 宮尾が黙っていると、尾崎は続けた。
「宮尾は、クルミのこと好きなん?」
「分かんね」
 否定はしなかった。ただ、肯定もしなかった。無難な言葉を選んだと、自分で自分を褒めた。
「クルミは好きやで、きっと」
 でも、これには何も返せなかった。尾崎の目が、獲物を狙っている鷹のように宮尾から離れなかったから。
 尾崎にいつも星野のことで後ろめたさを感じるのは、尾崎に想いを抱かれているかもしれないからだ。本人からそんな話、聞いたこともないし、態度からそれを読み取るのは難しい。でも、これだけ一緒にいて、何もないはずがない。
 もしその仮説が正しければ、尾崎を傷付けている恐れがある。密かに、ゆっくりと。
 宮尾自身、尾崎に何の感情も抱いていないかと聞かれたら、すぐには答えられない。「分かんね」としか言えないだろう。胸の奥の複雑な感情を言葉にしても、伝わるのは飾り付けをされた言葉だけ。どうせ自分の都合の良いようにしてしまう。
 宮尾は最後まで尾崎の視線を見つめ返すことができなかった。
                               
「桜蘭祭」の二日目。
 宮尾は午前の最初から三対三が入っていた。同じ時間の平岡と長谷部を呼んで、体育館に向かった。
 やっぱりバスケットボールに触れられるのは嬉しいもので、宮尾は着いてすぐにドリブルしたり、シュートしたり動き回った。「おい、やる前から疲れちまうぞ」と平岡に言われるまで。
「おはよーさん、宮尾」
 そこに意外な来訪者が現れた。睡蓮の二年生レギュラー、金子涼。後ろに二人、ただ者じゃなさそうなやつらが並んでいた。
「遊びに来たで」
 合宿中に来たり、今回もぶらりと現れたり、随分身軽なやつだ。
「そちらさん二人は、お友達?」
 金子は後ろをちらっと見た。「ああ」
「睡蓮の準レギュラーや。おれと同級生の」
 睡蓮の準レギュラーじゃ、その実力は他校なら普通にスタメンだろう。侮れないし、確かにただ者じゃない。
「ごたくはええから、はよう始めようや」


 チャレンジャーボールからスタート。金子が運んでくる。三対三はコートの半分しか使用しない。カウンターとか奇襲はないが、個々の実力がもろに反映される。
 宮尾が前に立った。腰を低くして、片手を上げる。
 金子のドリブルのキレは、佐々井を上回る。しっかり動きについていこうとしたつもりが、いつの間にか背後に回られていた。信じられないほど速い。それに本気だ。
 あっさり先制された。
 宮尾は平岡と長谷部に目配せをした。「おれたちも本気でいこう」と伝えた。伝わったようで、二人の目に静かな闘志が宿った。二人も金子のプレーを見て思う所があったようだ。
 平岡から長谷部、宮尾と台形の外側でボールを回し、平岡が上手くスクリーン(人でついたてを作って、生じたスペースを利用すること)して、長谷部が攻め上がった。
 だが、金子に読まれていた。長谷部は止まった。
 ところが、後ろを見ないでボールを投げた。そこには宮尾が待ち構えていた。スリーポイントラインの少し後ろで。
 ボールはリングにかすりもしないで、心地良いネットの音を演出した。
「へえ、やるやん」
 金子に言わしめた。連係も、最後のシュートも思い通りにいった。
                               
「よくスリー決めたな」
 帰り際、平岡にそう言われた。金子たちとの試合は、あの後すぐに終わった。金子にもう一度入れられたが、一度にとどめた。
「これで一矢報いることが――できた?」
「できたっしょ」
 長谷部が頷いた。
「秋の大会、楽しみだな」
 平岡の台詞は、三人全員の気持ちだった。


「桜蘭祭」は大盛況で幕を下ろした。


     十二


 学校は平凡な毎日に戻った。ほとんどの人が多かれ少なかれ寂しさを覚えていた。例外は、宮尾みたいなバスケバカ。バスケを当たり前にできる毎日が、行事期間中の学生だけが体験できる特別な、輝きを帯びた毎日よりもずっといいのだ。
「――おい、レイジ。起きろ」
 目を開けると、天井の代わりに空が広がっていた。肩に触れている腕の先を追うと、自分を起こしている平岡がいた。起き上がると、尾崎と星野の姿も目に入った。ああ、そうだ、思い出した。
 朝休み、気分的に屋上に行きたくなった宮尾と尾崎は、星野を誘って、途中で平岡を拾って、ここに至った。何気ない話に興じていた。すると、宮尾がいつの間にか眠っていて、初めは放っておいたが、それを平岡が起こした。
「あれ、もう時間?」  
「まだ。それより、今日、転入生が来るらしいぞ」
 それで起こしたのか、と宮尾は少し肩透かしをくらった気がした。
 転入生といえば、星野もそうだ。四月に来たから、もう半年ほどになる。あっという間だった。色んなことがあった。
「二年生なの?」
「そうやで」
 尾崎が答えた。「クラスは人数的に、Cやろな」
「じゃあ、おれと同じじゃん」
 平岡が嬉しそうに言った。
「男子か女子か分かんねーの?」
「知らんわ」
 尾崎が肩を吊り上げた。
 星野は黙ってやりとりを聞いていた。頭の中で、ここに来た日のことを思い返しているのだろうか。
「ってかさ」
 宮尾が思い出したように言った。「そもそも、何で知ってんの?」
 平岡と星野が尾崎を見た。情報の出所は、尾崎のようだ。
「そら、職員室の雰囲気を肌で感じて、推理したんや」
「ああ」
 宮尾は納得したように笑った。「盗み聞きってやつか」
 尾崎は正解、と言う代わりに満面の笑顔になった。


 平岡はC組の教室に戻った。教室は転入生が来ることも知らないようで、小声でお喋りをしている女子グループ、宿題を写している男子、といつもと変わらない光景だった。
 やがてチャイムの音で、それぞれの席についた。同時に先生が入ってきて、日直の号令とともに立ち上がって礼をする。
「今日はこのクラスに転入生が一人、加わります」
 生徒が席に座ると、先生は開口一番にそう言った。
 教室は絵に描いたようにどよめいた。え、マジ、かっこいいかな。微妙なタイミングだな。おっしゃ、空いてるのおれの後ろじゃん、かわいい娘、カモン。その中で平岡は澄ました顔で続きを待っていた。早く、どんなやつなのか見たい。
 先生が入ってくる時に閉めたドアを開けて、転入生を導いた。
 入ってきた瞬間、男子が息を呑むのが分かった。ふわっとした肩にかかるぐらいの髪、パッチリした目、自分でやったのか、他の女子よりも短めのスカートから現れている白い足、星野に続いてまたも美少女が転入してきた。
「三浦マコトです。親の仕事の都合で来ました。分からないことがたくさんあるので、教えてくれると嬉しいです。よろしくお願いします」
 拍手が起こった。拍手に包まれながら、後ろのほうの自分の席に向かった。
 星野と違って、口調ははきはきしていて、明るい性格を窺がわせた。


 三浦の隣は持田だった。
「あのさあ」
 三浦は持田に話しかけた。
「君、バスケ部?」
「そうだけど」
 持田はいきなり話しかけられて緊張していたが、表に出さないように努めた。
「ホント? じゃあさ、佐々井先輩ってバスケ部にいるよね?」
「いるけど、どうして――」
 知ってるの? と続けようとして、「ううん、それだけ。ありがとう」と遮られた。言葉とともに眩い笑顔を作った。
 持田は心を奪われてしまった。


 放課後、部活の時間。宮尾は一番乗りで、シュート練習を始めた。この時間までの授業中、バスケがしたくてうずうずしていたのだ。
 次に来たのは横目で女子の制服だと分かったが、尾崎か星野だろうと思って、練習を止めなかった。するとその制服が近付いてきて、話しかけてきた。
「あの、バスケ部の方ですかあ?」
「はい、そうだけど」
 初めて見る顔だった。これが転入生か、と宮尾は朝の話と目の前の女子を符合させた。
「私、今日、転入してきた三浦マコトっていいます」
「マコト? 男みたいな名前だな」
「はい、よく言われます。真実の真に、楽器の琴です」
「なるほど。それで?」
「バスケ部のマネージャーになりたいんです」
 マネージャーがまた増えるとは、宮尾は驚いた。去年の終わりには尾崎一人で、来年大丈夫かよと心配していたが、気がついたら三人目か。
「分かった。じゃあ、部長が来るまで待っててくれる?」
「オーケーです!」
「ところで入部届けはある?」
「はい! もう書いてきてます」
 ずいぶんと用意が早い。やる気があるのかもしれない。
「そういえば、お名前をまだ聞いてなかった。お名前は?」
「宮尾レイジ。二年」
「ああ、あなたが宮尾でしたか。夏の大会で見ましたよ」
 夏の大会といえば、睡蓮にボロ負けした試合だ。宮尾はあんまり良い気持ちじゃなかった。
 そこに尾崎と星野、そして村瀬が来た。「あれ部長ね」と指し示すと、三浦は物怖じせずに村瀬の正面に立った。
「先輩、二年の三浦マコトです。バスケ部に入部したいです」
 そう言って、入部届けを差し出した。
 村瀬はたじろぎを少し見せて、それを受け取った。
「へえ、また微妙な時期に――転入生? なるほど、それで。おれは部長の村瀬だ。よろしく」
「よろしくでーす」
 頭を下げると、尾崎と星野の方を向いた。
「三浦マコトです。一緒に頑張りましょう」
 彼女の名前は今日で覚えられそうだ、と宮尾は思った。このやりとりの中で何回も出ているから。
「尾崎サエです。よろしゅう」
「おー、関西弁。サエちゃん、よろしくね」
「……星野クルミです。よろしく」
 星野は明るさを振りまく三浦に圧倒されているようだ。
「クルミちゃん、よろしく」
 バスケ部がにぎやかになりそうだ。


 異性と並んで歩くのは難しい。歩幅が違うし、こっちが合わせているつもりでも、向こうも合わせようとしていた、なんてことはよくある。宮尾のように並んで歩く異性が限られている人でも知っていることだから、きっと多くの人が知っているのだろう。
「あの転入生」
 帰り道、尾崎と並んで歩き、互いに思いついたことを脈絡もなく話していた。
「佐々井先輩のファンらしいで」
「ファン?」
「あんまし好きっていう感じやあらへんかった」
 宮尾はふうんとも、ほうともつかない相槌を打った。
 宮尾を知っていたのもそうだが、三浦は西桜バスケ部のことをよく知っている。夏の大会を見たのだと言っていたが、そこで佐々井の「ファン」になったのか、それ以前からだったのか、いずれにせよ彼女はバスケに関わりを持つほど興味を抱いていることが窺がえる。その大小は別として。
「そういや、今日、先輩いなかったな」
「講習やないの? 受験生なんやし」
 補習の間違いじゃないのか、と言い返そうとしてやめた。確か、佐々井は性格のわりに勉強はできる方だった。
「私らも高校生活の半分、もう過ごしたんやなあ」
 語尾のなあ、に古典の授業でならった詠嘆を感じた。まさにこれが詠嘆だ。時の移ろいの儚さを嘆いている。
「目の前のことを一つひとつやっていくしかないな」
「そやね。そしたら、次は練習試合やな」
 秋の大会前の調整試合に、夏の都大会準優勝校、寒椿高校が予定されている。

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