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つぎはぎ細工(8)

 乾いた空気に、白い息が溶け込む。かじかんだ手を吐く息で温める。明日は雪が降ればいいのに、と昨日の夜は思っていたが、今は絶対に思わない。ただでさえ寒いのに、雪が降ったら私は凍死寸前に陥る。
 今日はライブの日。二曲とも練習に練習を重ね、何とか間に合わせた。
 三日前まであったテストの最終日に、クラスであおいのお別れ会が開かれた。言葉を送って、色紙を渡して、あおいが言葉を返す、という簡単なものだったが、あおいは終始、笑顔だった。ただ、泣かなかった。皆の前だから我慢したのか、本当に笑みしかこぼれなかったのか、真意の程は分からない。
 だから今日は泣かせる。ライブで感動を与えて、周りがひくぐらい大泣きさせてやる。私たちにそんな力があるとは思えないが、それでも思いは伝わるだろう。
 学校に着いて、体育館でリハーサルをした。授業前に教室に戻って、昼休みまでいつも通り過ごした。今日はあまり緊張していない。強い決意が、胸の中であぐらを掻いているからだろう。
 昼食の時間を終えると、私たちは誰よりも先に体育館に向かった。途中で綾に「頑張ってね」と言われた。私は力強い目付きで頷いた、はず。
 舞台裏でセッティングとかチューニングとかしていると、体育館が少しずつ騒がしくなってきた。今はこのライブは恒例と化していて、全校生徒のうち見に来る人の割合は、選挙に投票に行く人のそれよりも高い。
 私たちは浜中、杉内、小笠原、私の順で舞台に上がった。同時に歓声が上がった。まるで人気グループみたいだが、中にはテンションの高い男子グループがふざけて叫んだものもある。それでもいい。見に来てくれただけで十分だ。
 杉内がマイクを握る。
「こんにちは、つぎはぎ細工です。寒い中、ありがとうございます。じゃあ、早速ですけど、始めちゃいます。BUMP OF CHICKENでプラネタリウム」
 まずは『プラネタリウム』から。ギターの前奏から、緩やかなメロディーで始まる。
 内容はまずまずだった。私は弾きながら、目であおいの姿を探した。あおいは綾、未姫などいつものメンバーと聴いていた。泣きそうな気配はない。でも、これで泣かせようとは思っていない。狙い目は二曲目だから。
『プラネタリウム』がノーミスで終わった。杉内の声は今日も安定している。頼りになるなあ。
 次に入る前に、私が杉内に近付いて、マイクを手に取った。予想以上に高い所にあって、杉内君って背高い、なんて思った。私が低いだけか。
「次の曲は、今学期限りで転校してしまう私の親友に送ります」
 女子は「親友」という言葉が好きだ、とよく言われる。一概にそうとは言えないが、少なくとも私は好きだ。仲のいい友達だったら、誰でも親友と呼ぶ。
 まして付き合いの長い、あおいだ。彼女を呼ばずして、誰を呼ぶ。
「遠く離れても、私たちはずっと友達だよ。寂しくなったら、この曲を思い出して、新天地でも元気でね。同じくBUMP OF CHICKENで車輪の唄」
 マイクを杉内に返して、元の立ち位置に戻った。浜中がドラムスティックを三回鳴らし、それを合図に前奏に入った。
 さっきとは打って変わって、軽快なテンポ。田舎を走る電車みたいな音が心地いい。
「約束だよ。必ず、いつの日かまた会おう」
 サビで歌われた歌詞が耳に響いた。約束だよ。私たち、必ずまた会おうね。
 あおいを見てみると、彼女は遠目でも分かるぐらい泣いていた。そして体育座りで丸くなって、顔を隠した。
 計画は成功した。『車輪の唄』も最後までミスなく終えられた。


 その日の夜、あおいからメールが来た。
「恥じかかせないでよ、もう。人前であんなに泣いたの初めてなんだから。……でも、ありがとう。嬉しかったよ」
 私たちの演奏でも、人に感動を与える事ができた。転校と身内というアドバンテージがあるが、それだけ私たちバンドが成長した証拠だ。
 次の日の終業式であおいは全校生徒の前で挨拶をし、笑顔で去っていった。
「上手くいったね」
 綾があおいの遠ざかる後ろ姿を見据えながら言った。
「ありがとう。綾のおかげだよ」
 私は何も、と言う綾を遮って、続けた。
「私、転校のこと甘くみてた。知らない人たちがいる所に飛び込んでいくのって、すごく勇気がいる。かけがえのない仲間たちと別れるのって、すごく寂しい。一般論で知っているつもりだったけど、正確には分かっていなかった。綾に言われなかったら気付かなかったと思う。だから、ありがとう」
 綾は、「大げさな」と笑った。
「私はただ、もっと良い別れ方をしたかったから、せめてあおいには、と思っただけよ」
 綾はいつだって優しい。しかもそれを何でもない事のように言う。
 何となく校舎の方を向いて、校旗を見上げてみた。風にたなびいて、後ろの夕焼け空とお似合いだった。あおいは、もうこの風景を見る事はないかもしれない。見上げた空は遠く離れても共有できるけど、その空と重なる物を共有する事はできない。
 次にこの風景を見る時、あおいをどんな風に懐古するだろう。


 冬休みに入った。
 部活は三学期までなしになった。理由は、寒いから。それに冬休みはそんなに長くない。家族とのんびりするのもあり、友達と遊ぶのもあり、それぞれの自由に過ごせる期間として、冬休みを設定した。
 私は暇になった。だから用もないのに綾の家に行った。くだらない事を話して、たまに宿題を教えてもらったりした。宿題には習字もあり、私は「挑戦」と拙い字で書いた。誰かとかぶりそう。綾は「知音」と書いた。「何て読むの?」って聞いたら、「ちーん」とお坊さんの真似をした。二人で笑った。
「ちいん、だよ。自分の心を良く分かっている人のこと、すなわち親友の意味」
 そんな言葉があったのか。綾は物知りだ。
 イブは日中、綾と過ごして、夜は家族と過ごした。「杉内とデートしたら?」と綾は冗談交じりに言ったけど、そんな勇気ない。転校する以上に勇気が必要だ。
 第一、杉内君とそんな仲にまで発展していない。頑張って話す回数を増やそうと試みるが、以前とあまり変わらない。
 それでも彼を意識するのは楽しい。授業中に仕草を見つめている時は、刺激的だ。振り返って目が合ったら、頭の中はパニックを起こしてしまうだろう。かれを見つめている時は、頬が自然と紅く染まるのが自分でも分かる。
 そんなこんなで、大晦日の前日を迎えた。明日は一年最後の日。その日ぐらい、杉内君と過ごしてみたい。
「ねえ、紗希」
 今日も綾の家にお邪魔していた。綾が持っているマンガを読んでいたら、綾が話しかけてきた。何だろう。悪戯っぽい笑みを浮かべている。

「明日、大晦日じゃん」
「そうだけど」
「人集めて、忘年会しない?」
 忘年会。どうしてもサラリーマンがビールを飲んで、酔っぱらっている姿を想像してしまう。でも、クリスマスパーティーの遅くなったバージョンと考えれば、悪くない。
「いいね。やろうよ。誰、誘う?」
「未姫とまっさんと」
 まっさんとは、未姫と一番仲が良い松田歩のことだ。
「あと軽音部の男子」
 私はやっと綾の悪戯っぽい笑みの真意に気が付いた。ようするに私と杉内が会えるように仕組みたいのだ。
 でも、もし実現するなら、これほど喜ばしいことはない。
「……だめ?」
 反応のない私の顔を綾が覗き込んだ。
「ううん、いいと思うよ」
 まだ参加できると決まった訳じゃない。家族と過ごすのかもしれないし、男子で集まって何かするのかもしれない。
 ただ、未姫を誘う事に不安を感じた。まだ、あの日に彼女が言った言葉が脳裏に焼き付いている。
 もし、私と紗希の好きな人が同じで、私が取ったりしたら、どうする?
 だけど、これこそまだ決まった訳じゃない。たとえそうだとしても、私は負けない。
  女子二人は綾が誘う事にして、軽音部の男子三人は私が誘う事にした。携帯電話を手にとって、浜中からかけた。
 浜中は快諾してくれた。次に電話した小笠原も快諾。
 最後は杉内。やはり緊張してしまう。頭の中で何度も会話のシュミレーションを繰り返した。
 明日、岩永綾の家で忘年会するけど、来ない? 小笠原君と浜中君も来るよ。何か予定があるなら、そっち優先していいから。
 断られるパターンもOKしてくれるパターンも想像した。よし。私は携帯の呼び出しを押した。


 綾は朝から部屋の掃除と料理の準備をしていた。私は使えないなりに手伝った。綾のおかげで杉内と大晦日を過ごせるようになったのだから、今日は言いなりになって働く。
 電話の結果、杉内も来てくれる事になった。私は楽しみで昨日から心臓が小躍りし、夜はなかなか寝付けなかった。

 しかし、誤算もあった。お喋りな小笠原が言った事で、もう二人の男子も来る事に。一学期の頭に軽音部創設をかけたライブで敗れた方のバンドでギターだった森山と、スポーツ万能、成績優秀、学年一のイケメンと言われている与田武司。
 森山は未姫のことが好きで、この事実はみんな知っている。知らないのは本人だけ。
 未姫が来ると聞いて参加したくなり、でも一人で行くのは微妙だから、普段から仲の良い与田を誘ったのだろう。容易に想像できる。
 与田は同学年からも後輩からも人気がある。見た目が良く、クールな性格だが、さり気ない気配り上手、笑顔も爽やか、未姫の男子バージョンと言える存在だ。
 それだけに、未姫と与田の関係はどうなのだろう、と考える。お似合いなのに、噂にもなった事がない。未姫はどんな人が好きなのだろう。
「紗希、時間、七時からでいい?」
 綾がやや早口にそう言う。ずっと右に行ったり、左に行ったりと、大奥で奉公する女中のような働きぶりだ。綾は、目の前にいる私の親友は、どんな人が好きなのかな。恋愛の話はたまにするけど、綾が想いを寄せている人はおろか、どんなタイプが好きかすらちゃんと聞いた事はない。でも、私も杉内が最初の好きになった人だから、これから誰かを好きになるかもしれない。
 中学生の恋なんて、大人になって振り返れば、幼かったなあ、とか、甘いよなあ、って思うのだろう。でも、好きになっているこの瞬間は、胸の内が暖かい感情に包まれていて、不思議と幸せを感じている。
「いいよ。軽音部には、私がメールしとくよ」


 日が暮れてきた。冬は夜の時間が夏よりも長い。当たり前と思って過ごしているが、赤道直下の国は四季がないから、一年中、夜の長さが変わる事はないそうだ。四季がない生活なんて、つまらなさそうだ。桜も咲かず、雪も降らず、日本人の伝統文化はほとんどが通用しなくなる。ずっと暑いから、「プール開き」なんていう言葉は存在しない。まあ、いいや。
 午後六時半、約束の時刻まであと三十分。部屋の片付けも買い出しも済み、綾はご飯の準備を始めていた。綾は料理が得意で、家庭科の時間は彼女の独壇場になってしまう。私はいると邪魔だから、テレビを見ながらおとなしくしていた。テレビでは、千葉県沖のサンゴが成長を続けている、原因は海水温上昇だ、とニュースで報じていた。

 呼び鈴が鳴った。私はテレビを消して、玄関に向かった。
 最初に来たのは、まっさんこと松田歩だった。
「やっほー、紗希。早いね」
 白地のマフラー、赤と黒が斜めに入り混じった柄のセーターを着ていた。ボーイッシュな髪型と、快活な口調がよく合っている。
「まっさんこそ、早いじゃん」
 彼女がまっさんと呼ばれるようになった所以は、本人を含めて誰も知らない。小学校の入りたてから呼ばれていたらしく、それ以来ずっと定着している。
「まーね。私、約束の時間に絶対、遅れない人だから」
 まっさんは、いつも陽気だ。裏表もないし、テンションの波も数センチぐらい。未姫と仲が良いのも、この性格が理由の一つだろう。
 まっさんが来てから十五分後、浜中が来た。襟が二枚重ねになっているポロシャツ、その上にカーディガンをはおり、下はジーパンだった。この時期にしては、ちょっと薄手。「寒くないの?」と聞いたら、「寒い」と正直に答えた。
 綾は料理の準備ができたのか、台所から出てきて、浜中やまっさんと言葉を交わし始めた。
 四人で話している内に、七時を過ぎた。時間通りに来たのは、二人だけだった。
 十分後、森山と与田が現れた。
「竹早さんはまだ来てないの?」
 森山は入るなりそう言って、いないと知ると、無表情のまま座って、与田とボソボソ話し始めた。
 その五分後、森山が待ちに待った未姫が小笠原と共に現れた。
「わりぃ、昼寝してたら、寝坊した」
「ごめん、電車の乗り換え間違えちゃって」
 それぞれ言い訳して、適当な場所に腰を下ろした。
「え、な、何で――二人が一緒に?」
 森山が動揺を隠せない面持ちで言った。付き合っているのかと、不安になったらしい。
「え? 下で偶然、会っただけだよ」
 森山の気持ちを知らない未姫は、何でもないように答えた。森山は安心したのか、息を小さく漏らした。その隣で与田は笑っている。
「あと一人だね」
 綾が呟いて、チラッと私の方を見た。私は曖昧に笑った。まだ来てないのは、杉内だけ。用事ができて、来られなくなったのかも。それなら、連絡ぐらいするか。ただ、時間にルーズなだけかも。付き合ったら、待ち合わせに苦労しそうだ。って、どうした私? 付き合ったらって、何考えているの?

 七時半、三十分遅れで杉内がようやく来た。良かった。
「おら、杉内。ちゃんと時間通り来いよ」
 小笠原が怒鳴ったが、「人のこと言えないだろ」と浜中にはたかれた。
「杉内、そういう時、何て言うんだ?」
 浜中は親みたいな事を言った。杉内も合わせて、「ごめんなさい」と子どもみたいに頭を下げた。
「いいから、早くこっち来て。乾杯しよう」
 まっさんがコップ片手に言った。
 杉内が私と浜中の間に座った。頬が熱くなる。
「乾杯!」
 そのまま、まっさんが音頭をとって、ジュースを飲み干した。
 綾が作った料理は好評だった。
 未姫はまっさんとそれを食べながら、二人で話していた。
 小笠原は、森山と与田の話に入っていった。話しつつも、森山は未姫に話しかける機会を狙っていた。
 綾は浜中と話していた。この二人に面識があったとは、知らなかった。
 気付けば、残っているのは私と杉内だけ。これは大チャンス。今いかないで、いついく。
「おいしいね」
 私はできるだけ笑顔で話しかけてみた。上手く笑えているかな?
「ああ、岩永すごいな。相川は何か作んなかったの?」
 私はちょっと後悔した。料理の話じゃ、私ができない事を言うしかない。
「何も。私、不器用だから」
「ふーん」
 杉内はコップの中を覗くように呟いた。その横顔からは、どう思ったか読み取れない。ポーカーフェイス、という言葉があるが、彼はまさにポーカーフェイス。
 杉内はテレビの下のゲーム置き場を見た。プレーステーションとそのゲームディスクが何個か置かれていた。私と綾は、たまにやる。
「何かゲームしようぜ」
 私の方を向いて言った。意外と顔が近くて、ドキッとした。
「ゲーム? そうだね、皆でやるんだったら、桃鉄とかマリオパーティーとかあるけど」
 私はできるだけ平静を装って答えた。コンマ一秒ぐらい、杉内と視線を合わした。
「いや、野球がいいな」
 するとどっかから紙とペンを持ってきて、トーナメントを書き始めた。九人いるのに、八人のトーナメントを。
 その様子に気付いた皆が、杉内の周りに集まってきた。
「じゃあ、おれ、クジ作る」
 与田が機転を利かして、クジを作り始めた。
「私、持ち主だから、優勝者と対決って事でいいよ」
 綾はトーナメントが八人用だと気付いて、そう言った。杉内は言われてから分かったのか、「わりぃ、自分カウントし忘れてた」と謝った。
 クジの結果、左から小笠原、森山、未姫、与田、私、浜中、まっさん、杉内の順で並んだ。私の一回戦は、浜中だ。
 一回戦第一試合、小笠原が圧勝した。森山は、「おれ、これやんの初めてだし」と言い訳した。そう言う割に、やり方は知っていた。
 一回戦第二試合、与田が未姫相手に手加減していたら、そのまま負けてしまった。与田は言い訳しなかったけど。
 一回戦第三試合、私は浜中の前になす術もなく敗れた。杉内とやりたかったのに。しかも、「私とよくやったのに」と綾に笑われた。どうせ私は、不器用ですよ。
 一回戦第四試合、杉内がまっさんに勝った。
 準決勝第一試合、小笠原は手加減せずに未姫に勝った。森山が何度か邪魔したけど。
 準決勝第二試合、浜中と杉内は接戦の末、杉内が勝利した。
 決勝は杉内と小笠原の顔合わせになった。そういえば、軽音部の男子は強い。この二人も接戦になり、杉内が制した。やりたいと言い出しただけある。
 でも、綾はそれ以上に強かった。優勝者の杉内に圧勝し、誰もが驚いた。私より強いのは知っていたけど、こんなに強かったとは。いつもは手加減していたのか。
 ゲームが終わると年越しそばが出てきた。これを食べなきゃ、一年が終わる気がしない。
 お喋りしながら、その合間に紅白歌合戦を見て、やがて新年を迎えた。
「明けましておめでとう!」
 今度は年が明けた事に乾杯した。気分がハイになっているからなのか、疲れを感じない。でも、明日に響きそうだ。
 それぞれ家路につく前に、皆で初詣に行く事になった。家族と毎年、行くけど、こんなに大勢で行くのは初めてだ。
 近くのお寺に九人で行って、一年の無事を祈った。ついでに恋愛成就もお願いした。杉内はどんなお願いをしているのかな。
 初詣を終え、深夜一時前に帰宅した。中身が濃くて、楽しい大晦日だった。

 帰ってから疲れがドッと出て、ベッドに直行した。初夢、見られたらいいな。でも、今日見た夢って、厳密には初夢と言わない事を思い出した。そして、ぼんやりと考えている内に眠った。

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