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火災報知器と生活音

ピッ、、、ピッ、、、ピッ、、、

クリスマスの朝、火災報知器が鳴った。

周りを見ても煙は見えないし、火種も作ってはいない。

よく聞くと一定間隔で何かの”声”を発している。

“電池切れです”

えー、クリスマスにかよー。

クリスマスだからと言って特別な予定はなかったし、電池が切れれば鳴るという決して理不尽なことではないのだけど、

世界的に見ても”特別な日”の予定が”火災報知器の電池の入れ替え”なんてことにはしたくなかったので、電池入れ替えの依頼電話はしないで、そのままにしておいた。

その日は外に出ていたので支障はなかったけど、帰ってきてから後悔することとなった。

とてもうるさい。

声はいつの間にか消えていたけど、音は止まっていなかった。

クリスマスの夜は、聖なる夜とは呼べないような、俗なる夜となってしまった。

そんな不快な音は年末の実家に帰るまで続き、寝れない夜が続いた結果、家族に相当疲れていると心配されてしまった。

早く電池を入れ替えろと思うかもしれないが、業者に電話しても繋がらなかった。

年末年始は”一人暮らし”に関することは全て忘れて生活をしていたため、火災報知器のことは関東に戻る頃には忘れていた。

ため息と悲しさと一緒に、今年も”一人暮らし”のドアを開けた。

何かが鳴っていると気づいたのはその3日後くらいで、やっと火災報知器のことをそこで思い出した。

気づけば、その音は生活音に溶け込んでいた。

意識をすれば鳴っていると思うくらいで、洗濯機や冷蔵庫の音に何も不快感を持たないような感覚に似ている。

慣れというのは本当に恐ろしい。

仮に24時間ライブをしている場所があったとして、そこに寝泊まりしたら、それがいつかは生活音の一部にだってなる気がする。

火災報知器が生活音に溶け込んでしまったのなら、このまま時間が経って電池の寿命が切れてくれるのを待ってもいいと思った。

電池を変えるのにわざわざお金を払いたくない。

音に意識をすると、一定の間隔で時計の針の音と一致する瞬間がある。

不快感がいつの間にか心地のいい音になってきた。

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