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”休日”は明日のことを考えない

明日から仕事だよと愚痴をこぼしていた地元の友達。

あの時は、理解する気もなく適当に同情していたけど、今となれば毎週日曜日の流行語大賞となっている。

そんな愚痴をこぼしてしまう日は大抵休めるわけもなく、実質”休日”として機能しているのは1日に過ぎない。

せっかちな人間にとっては休日は2日間では足りないのかもしれない。

次の日のことを考えるだけで心が休まない。

例えば、小学生の頃の夏休みは大体1ヶ月くらい設けられている。

でも残り1週間を切ったタイミングで、学校生活という決して居心地がいいとは言えない空間が、イメージとなって頭に住み着くようになる。

夏休みの思い出を振り返ってなんとかかき消そうとするけど、時間の流れには逆らえない。

だから実質”夏休み”として満喫できるのは、せいぜい3週間くらいだろう。

大学生活も”休み”みたいなものだった。

自分のやりたいことをやりたい時間にやりたいまま生きることは、例えるならば夏休みの自由研究みたいなもので、気疲れすることもなかった。

勉強すること自体が苦ではないと教えてくれるのは、あの4年間だけだった。

いや3年間だけだった。

大学生活の最後の1年間は、”社会の大人たち”にスケジュールを勝手に決められ、自由とは少し離れた時間になった。

残り半年を切ったタイミングで、無駄な緊張感を持って毎日を過ごすようになった。

あの頃、毎日大学の同期と夜散歩をしていたのは、その緊張感を少しでも和らげるためだったのかもしれない。

まあそんなことは一瞬だけの効力に過ぎず、残り1週間を切ったタイミングで何度も嗚咽した。

4月から社会人となる人にとっては、今の時期が一番心が休まずに喉の奥あたりに気持ち悪さがつっかえているのかもしれない。

でもそんなこと考えている時間が、意味のないものだと向暑はるは1年前の自分に言う。

時間には逆らえないのなら、最後の最後まで”学生”として楽しんでほしい。

4月のことは4月になってから考えれば、意外になんとかなるもんである。

ほら、毎週愚痴を言っている向暑はるも、なんだかんだ1年経っても楽しく生きている。

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