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【100記事達成】本当に求めているものは何だろうか。

こんばんは、近藤です。

ついに100記事目!やったー!!!

記念すべき100記事目前のところで、何を書こうかと無限に迷走しておりました。

何を書いたって自由なのに、いつまでも正解を探していることに気づき、「今私が思うままに書こう」と決めて、ぽちぽちと文字を打っている今です。
(今日に限ってパソコンを忘れる)


ここ数日、ふらふらと生きていました。

なぜ私は生きていて、なぜ今挑戦していて、本当はどういう人生にしたいのか。
ずっと考えているけれど、ここ数日は本当にずうううっと考えていました。

動き出すときは、夢や理想や願望を描いて、こういう人生にするんだと決めました。その時の想いは紛れもなく事実。

ポジティブな理想は前回の記事のとおり、沢山あります。
(たくさんのいいねをいただけて感謝でいっぱいです!)


ただ、新たな挑戦を始めてしばらく経った今、「こんなに頑張らなくてもいいんじゃない」と、ふと頭によぎることがあります。

「努力しない」という選択肢が、初めて現れた感覚。
私は果たして何のためにここまで頑張るのだろうか。


私の大好きな、「よつばと!」という漫画があります。

"普通という奇跡。"

普通の毎日が、よつばにとっては全部きらきらしていて、全部がうれしくて、たのしくて、しあわせで。

私もそういう人生にしたいよなぁ、と。


幸せには、贅沢な暮らしも、高い服も必要なくて。
(あるに越したことはないけれど)

ただ一つ、きらきらした感情をずっと持っていたいなと。

例えば。
自由に絵を描いて大好きな友達と語り合う時間とか。
人と深く深く関係を築いて、本当の想いを知る瞬間とか。
高校の頃の文化祭みたいに、みんなで何か一つのものを作り上げることとか。
夏の夜を大事な人と過ごす時間とか。
自分が大事にしているものを一緒に大事にしてくれる人の側にいることとか。
相手の大事なものを一緒に大事にすることとか。

私がこれまで「幸せだ」と感じる瞬間は、何かに夢中になっているときだし、いつでも誰かが側にいて、同じ感情を持っていた気がします。

誰かと一緒に喜び合ったり、悲しみ合ったり、悔しがったり、感情を共にできることが、今の私が願う幸せなのかもしれない。仕事でも、プライベートでも、そういう人生がいい。

キラキラと全力で人生を楽しんでいる自分を親に見せたいし、将来できるであろう子供にも見せたい。


そのために、やっぱり、やっぱり、私は自分に自信をつける必要がある。

幸せやわくわくやキラキラした感情は、心の安定の上に成り立つものだと思うから。そのためにはやっぱり自分を変える努力が必要。


「依存したくない」「強くなりたい」が原動力で動いてきたけれど、今は違う気がします。

心の弱さも受け入れられるようになりたい。

自分そのものを受け入れて、好きでいて、自分への自信で自分を満たして、握りしめている正しさを捨てて、自由になって。そうして初めて、よつばみたいに人生すべてが面白くなるんだろうなと思います。


そして、最終的には、この世に生きている人みんなが、「ありのままでいいんだ」って思えるような、一人一人が生き生きと自己表現ができるような、そんな世界にしたい。


結局最後までまとまらないな!
引き続きnoteを描く中でいろんな感情や考えをシェアできたらなと思います。

綴る言葉からも、わくわくやキラキラが伝わるようになったらいいな。

そんなわけで、引き続きよろしくお願いいたします。
いつもお読みいただき本当にありがとうございます☺️

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