見出し画像

(2019.11.4)その土地で生きることの意味。

2019年11月4日にFacebookで投稿した記事を写真やタイトル等ちょっとだけ整えて転載しています。大学の教授が活動されている福島県飯舘村に久しぶりに訪問した時の話です。

ー*ー*ーここから転載ー*ー*ー

赤や黄色に色づいた木々や、朝晩の「ピーン」とした空気に、あぁもう直ぐ冬だな〜と。黄色の菜の花畑がすごくきれいだったものの人気がなくてどこか寂しげだったというのが前回の記憶。今回は、きれいに咲いた庭先の花や収穫後の田んぼから人を感じたし、実際犬の散歩をしてる人や農作業してる人も見かけた。8年前の原発事故で計画的避難区域に指定され、村を離れることになってしまった人たちは、2年前の避難指示解除後、少しずつではあるが村に戻ってきているようだった。除染のために剥ぎ取った土が入った仮置き場のフレコンバックの山も、少しずつ減っているそう。
※後で調べてみたら、もともと6000人近くいた村民のうち、前回訪問時は690人今回は1182人が帰還しているとのこと。

画像1

1年半前に暗渠排水設置のお手伝いをした場所。もともと田んぼだったところを牧草地にして牛の放牧してる。

までい

今回は所属する学科の溝口勝先生が実施する、飯舘村における農業再生と風評被害払拭のための教育研究プログラム「までい大学」に参加。そば打ち体験(東大の農業サークル「東大むら塾」が飯舘村で種から育てたそば粉で!)や、村内見学、事例報告・意見交換会をしてきた。

「までい」は、「手間隙を惜しまず」「丁寧に」「心をこめて」「時間をかけて」「じっくりと」という意味の方言。食でいうと「スローフード(↔︎ファストフード)」の「スロー」に近い感じなのかな。すてきな言葉だなと思う。

画像2

そば粉と水を混ぜてそぼろ状に。

画像3

つやつやですごくきれい。

土地への思い入れと長い時間軸

比曽地区でトルコギキョウを栽培する菅野啓一さんと再会。啓一さんは、村のみんなが帰ってきてほしいと、強く思っている。先祖から受け継いでいるこの土地をまもっていきたい。ここで逃げたというのは先祖に申し訳ないし、次の世代にも格好がつかない。補償金だっていつまで続くかわからない。打ち切られたらお金は減る一方。線量のことなど心配する気持ちもわからなくはない。でも俺は、帰ってきてチャレンジしようよ、と思うんだ。何度も何度もおっしゃっていた。

国の除染対象外となってしまった民家を取り巻く居久根(屋敷林)の線量が高いままでは、村民は帰ってこないと自ら除染に取り組み、風評のつきまとう米は諦め比曽の寒冷な気候をいかした花の栽培を始め、若い人が村のために頑張っている姿を見せることで村民も帰ってきてくれるのではないかとむら塾メンバーに協力するなど、村の人が一人でも多く帰ってきてくれることを願って、ご自身のできることに人生をかけている。

土地への思い入れみたいなものは転勤族だった私にはあまりない感覚。故郷はないとも言えるしあるいは全部故郷とも言える。それくらいフラットな感じ。そしてそこに時間軸はない。私が過ごした数年間という切り取られた時間のみがあって、それが先祖や次の世代という流れの中の一部であるとは考えたこともなかった。流れの感覚というのはすごく大事な気がした。この感覚がないと、何か新しいものを始める時に誰かを傷つけてしまうことがあると思ったから。

画像4

啓一さんのトルコギキョウ

風評

風評というのはすごく難しい。科学的に正しいと言われても、その言葉は科学を理解できない人にとってはそれは何の意味もなさない。科学を理解していたとしても、誰が言うかで信じる、信じない、の話になってしまうこともある。遺伝子組み換え作物、農薬、水素水、反ワクチン、血液クレンジング…科学を知っていれば絶対におかしいと判断できるのに信じている人が沢山いる話や、いろんな人がいろんなことを言いすぎて何が正しくて何が間違っているのかよくわからない話は沢山ある。それは誰かを騙そうとしているのではなくて、むしろ守ろうとして引き起こされたものもある。最近こんな記事を読んだことや、水素肥料というなんだかよくわからないものに出会ったことで、科学というものについて考えている。

「藁をもすがる患者家族に科学が理解できるのか」
『選べるなら、今、死にたい』~血液クレンジングが蘇らせること~

「科学は重要だが、それだけでは人の心は絶対に動かせない。・・・人の心を動かすのは、戦略的で多量な情報発信によるイメージ作りや世論作りだ。科学者もこの事実に学ぶ必要がある。」
【レポート】「科学を無視した世界規模の風評発生メカニズムを解く」―緊急セミナー「ラウンドアップ問題を考える」より

研究者として飯舘村で除染やモニタリングシステムなどを研究しながら、ごちゃごちゃ言わずに一回足を運べといろんな学生を呼び、発信を続ける溝口先生は、もしかしたらこのことをよく心得ているのかもしれない。すでに村に戻りいろんなことにチャレンジしている人たちも。飯舘は元気だぞ、頑張ってるぞって姿によって、再び村の人たちが戻ってきてくれるのを期待して。

おわりに

今回は弘前大、佐賀大、京大の学生も来ていて、学年もバラバラで、話しながらいろんなことを考えた。4年生になった自分、東大生としての自分、都市に住む自分を客観的に見つめるいい機会にもなった。

都市と地方、行政と住民、そこに上下はない。でもお金や権力や情報を持っている人たちに、ほんの少しでも驕りがあれば、それはいずれ増幅されてどうしようもない分断や対立を引き起こしてしまう、というのはハッとさせられる言葉だった。私はとても恵まれた環境で育った人間だけど、どこまでも謙虚で感謝を忘れず、知って学び続ける人でありたいなと思った。

すてきな機会をくださった先生方や飯舘村のみなさん、一緒に2日間を過ごした学生のみなさんに感謝しています。ありがとうございました。
啓一さんの記事溝口先生のHP、よかったら覗いてみてください。

ー*ー*ーここまで転載ー*ー*ー

1年半前に初めて飯舘村を訪問した時のnoteもよかったら読んでみてください〜


いただいたサポートは本を買ったりいろんな人と出会って自分の世界を広げていくために使おうと思います〜!