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(2018.5.2)初めまして、飯舘村。

2018年5月2日にFacebookで投稿した記事を写真やタイトル等ちょっとだけ整えて転載しています。大学の教授に福島県の飯舘村に連れていっていただいた時の話です。

ー*ー*ーここから転載ー*ー*ー

4/28.29で飯舘村に行ってきました。生まれて初めての東北で、もちろん震災後初めてでした。菜の花畑や満開の桜がたくさん目に入ってきてすごく素敵で、村のいたるところに汚染土が入ったフレコンバックがあることを除いては、本当に普通の村のように感じました。

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奥の緑のシートがかけられているのがフレコンバックの山

まずは知ることから

飯舘村行くことになったきっかけは、去年の秋学期に受けた土壌圏の科学という授業の溝口 勝先生でした。福島第一原発での汚染水対策として、人工凍土による陸側遮水壁を建設していることについての講義でした。レポート課題が、飯舘村での農地除染や再生についての資料を読み、あなた自身ができそうな被災地の農地再生を考えるというものでした。震災当時中学生だった私は京都に住んでいて、報道で知ることはどこか遠い世界の話のようでした。新聞が大好きだったけれど、原発事故に関する記事はなんだか難しくて次第に読まなくなっていました。

そんな私にまず必要なことは、まず被災地を知ること、自分ごととして捉えるために被災地に実際に行くことだと思いました。今回、先生が飯舘村での暗渠排水の整備工事に誘ってくださり、行ってきました。暗渠設置工事は、NPO法人ふくしま再生の会の方と一緒に行いました。深さ1mくらいの穴をスコップで掘って結構きつかったけど楽しかった。それ以外にも、先生が村のいろんなところに連れて行ってくださいました。

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穴を掘って素焼きの土管を設置

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土管の上に疎水材として粗朶を被せて埋めた

本当の復興

一番印象に残っているのは、菅野啓一さん宅にお邪魔した時のことでした。ちょうどGWということで、3人の娘さん家族が集まってBBQをしていました。毎年GWに集まってBBQをしていたけれど震災で避難し、2017年の3月末に避難指示区域が解除されて、今年7年ぶりに集まったとのことでした。めっちゃにぎやかでみなさん本当に楽しそうだったなあ。よーこんな遠いとこきたなあって歓迎してくださって、いろいろごちそうになったし、震災の話もしてくださった。啓一さんのことが書かれている本も頂いた。

国は除染作業が完了したとして避難指示区域を解除したけれど、国の除染は家屋とその周囲、農地の汚染土はぎ取りに留まり、民家を取り巻く居久根(屋敷林)には放射性物質が残っていて線量は高いまま。国は頼れないと自ら除染。土壌の状態から田んぼでの米作りは諦めて、トルコキキョウを栽培。

娘さんの一人が私たちに話してくださった。「なんでそこまでして村に帰るのか、って声はたくさんあって、私自身もよくわからなかったけれど、父を応援しようと思った。この本に天明の飢饉の末に生き抜いた先祖の農家だとあってなんとなく理由がわかった気がした。」

実際に帰村して住んでいる人は、事故前の1割にも満たない。原発に近い長泥地区では依然として避難指示が解除されていないし、その予定もない。紛争や災害でめちゃくちゃになってしまった時、前と全く同じように戻すことはできないけれど、新しくつくることはできる。でも長い間なくなることのない放射性物質はそれすらも困難にする。ふくしま再生の会の菅野 宗夫さんが、飯舘村の酒米で作ったお酒に関して紹介してくださったときにおっしゃっていた。「日本はもので溢れているから、たとえ数値的に安全だとしても、わざわざ福島のものを買う理由がない。買うだけの付加価値や物語がないと。」

原発事故は本当にたくさんのものを奪ってしまったんだと思った。

どこに住むか、何を買うかは個人の自由だから、村に戻ろうよとも言えないし、村のものを買おうよとも言えない。だけど、また村で新しい一歩を踏み出して頑張っている人たちのことを応援したいし、いろんな人に知ってほしいし、もし誤った知識を持っている人がいたら訂正したい。

啓一さんはこうして連休に家族で集まれるのが本当の復興だとおっしゃっていた。当たり前だったことは当たり前じゃなくって、幸せなことで、そんな幸せが戻ってくること、新しい幸せをつくっていくことが、復興って言葉の意味なのかなあ。

想像力を働かせる

今回行ってすごくよかった。今まで単なる言葉でしか捉えられなかった、被災地、復興、原発事故、除染、などの言葉の背景に報道だけでは知らなかった事実や、出会った人の思いとかいろんなことが浮かんでくる。

「想像力は思いやり、優しさ、尊敬(尊重の意味)につながる。想像力を働かせるのは知ることから始まる。知るのは頭と心で。」
っていうのは私が普段から大事にしていることで、改めて心に刻んだ。

行政にも行政の立場があるんだろうけれど、現場を理解しないままの形だけの除染や、避難指示解除は、一体誰のため何のためなのか。組織が県や国など大きくなればなるほど、現場との距離は離れるし、意思疎通も難しくなる。だけど、目的は見失っちゃいけない。将来、どんな形で途上国の支援や開発に携わるにしても、絶対忘れないでいようと思った。

溝口先生は用事がない週末は飯舘村に行っていらっしゃるらしいので、また行きたいと思います。興味持った方いらっしゃればぜひ一緒に行きましょう。

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