毒親という言葉について思うこと

私は虐待を受けて育った。

さらには、
重度障害者の妹の介護も押し付けられ。

自分の時間なんて、
全くなかった。

これはもう、
今から30年ほど前の話。

育児放棄された私は、
心にぽっかり穴が空いた。

そして、
その穴を埋めるかのように非行に走る。

過去の自分を客観視しても、
とても可哀想な人生だと思う。

私の母は、
今でいう毒親という言葉がぴったりな存在だ。

しかしだ。

私は母のことを毒親だとは思っていない。

そりゃ、
子どものころは最低なクソババァだと思っていたのだが。

母が自殺をし、
私も大人になり子どもを持ち。

虐待をしながらも育ててくれたことには、
いくらか感謝をしている。

そこで、
毒親の定義について考えるが、
これは他人が決めることではない。

毒親という言葉を使い、
他人を批判することは間違っている。

この言葉を使っていいのは、
毒親の子どもだけでいいと私は思う。

子どもが毒親だと思えば、
その親は猛毒を放つ毒親なのだ。

世の中には、
多くの親がいる。

自分とは考え方も違い、
生活や行動、さらには子どもに対する接し方が違う親もいるだろう。

そういった親たちを、
いつからか色眼鏡で見ていないだろうか?

傍目から見ても明らかに虐待をしている場合を除き、
赤の他人がよその親を毒親認定することは批判に過ぎない。

連日報道される虐待死などの記事を読むと、
私もその親について批判をしたくはなる。

しかし、
その子どもにとっては大好きな親だったと考えると、
簡単に批判していいものではないと躊躇する。

私も虐待を受け育ったものの、
赤の他人から親を悪く言われると気分が悪いものだ。

どれだけ酷い仕打ちを受けても、
子どもは親が好きな生き物。

それは、
辛い経験の中に小さな喜びが日常にあったからであろう。

私もそうだ。

たまに母が遊んでくれると、
とても嬉しかった。

いつも怒鳴られ殴られていた私は、
ちょっとした母とのコミュニケーションがとても幸せだったのだ。


毒親という言葉は、
これからますます使われていくのだろう。

簡単によその親を批判できるのだから、
便利な言葉だ。

繰り返すが、
この言葉を使うことで誹謗中傷が正当化されるのは全く別の問題であると思う。

赤の他人に対して使わないよう配慮し、
仮に毒親だと思う人がいたとしても心にしまっておける人間になりたいものだ。

親を批判することは、
その子どもにとって辛い現実。

虐待を受けた私だが、
もし他人が私の親を毒親だと言ったら、
間違いなく不快だ。

言葉は凶器にも武器にもなるが、
愛を与える優しい魔法もある。

世界が優しい魔法で、
潤って欲しい。


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