So human, too human - 壁を取り外す時〜セザール賞と"BPM"

今回は基本お祝いの話なんですが、ちょっとだけマジメに始めさせてください。

「私達の思考や慣習を作り続けるものに、人間は如何に依存して生きているか」

いきなりカタいことを書いたからと、読むのを止めるのだけはどうかカンベンしてね。。

国によって物語も異なれば、取り巻く文化もそれぞれです。個人ともなればなおのこと。

しかし、いわゆる第2次大戦後、それも1970年代末期から進んでいたポストモダンの潮流が進む中で個人主義が日本でも更に進み、


大家族→核家族→親子→個人→更に…?


と解釈における構造的解体が進んだ中、そんな個人レベルまで細分化された物語を「どのように繋ぎ直すか」、あるいは「大きな物語が提示する一種の不可能性の中で、いかに緩やかな形で根底を定義、あるいは再定義し得るのか」といった課題について、多くの方々がそれぞれ様々な領域で取り組んでいます(あるいはそんなこと、という方もいるでしょう)。

80年代末期にはベルリンの壁があのような形で崩壊し、それが一種のアイコンともなって旧東欧諸国の民主化に留まらず、それまでの枠組みの崩壊→再定義作業が一気に進みました。

日本はその面、経済面における「バブル崩壊」がナパーム弾のように方方に着弾したような重さがどこか長い間看板となってしまったが故に独特の歩みを進んだとも言えますが、敢えて良く言えば、日本に関して言えば今こそ日本文化が持つ「変容の旨さ」を活かせる時代に差し掛かっているようにも思えますし、仮に悲観する方がいるとすれば、もっともっと、肯定的になっていいと思います。

こうした、人間が育んできた文化や国という構造において、何らの依存構造は当然、強度の差異はあれど、必ず存在します。

ちょうど様々な概念の解体の時期にあった90年代。余談ですが、90年代後半は「トラウマ」がキーワードとして映画にも影響を及ぼし、ミレニアム前後にはウォシャウスキー姉妹による作品、つまりボードリヤールが担保する概念「シミュラークル」が、局地的ではあったにせよ、一種のブームになるある意味ユニークな時代でもあって。今から思えば史上なかなかユニークな、20世紀的ポストモダンの最終章を示す「トンネル」のような10年ではあった気もします。


いやはやさて…いい加減に閑話休題。


そんな90年代にフランスをはじめとして各国で起こった、HIV、エイズへの偏見に立ち向かう運動。フランスにおいてそんな人たちを巡り、彼らが結成したグループ「Act Up」を描いた、もはやノンフィクションとも言える映画

『BPM(原題:120 battements par minute)』。

"BPM"とは音楽で日常使われる言葉"Beat Per Minute = 1分間に刻むビート"の事を言います"。つまり1分間に120回刻むビート。これ、結構早い?と思いそうですが、例えば音楽のバラードだと80 BPMとした場合、結構ゆるやかです(ざっくりとしていてゴメンね)。そして体感的にもっとも落ち着きさを保ちつつ、かつ健康的に明るい気分になれる曲の一般的速さ、とも言われ、また健康的な歩くスピードの一つの尺、とも言われるスピードが、おおよそこの120 BPMです。機会があれば、メトロノームを使って体感してみてくださいね。

このタイトル、本当に良く考えたなあ、と膝を叩いてしまいます。タイトルに関する経緯は諸説読んだため、ここで断定はしません。とはいえ抜群。単に"Simplicity is bliss"、ではありません。

疾患としてのHIVが持つ難しさ、治癒性は現在もさほど変わっていませんが、それでもその疾患及び感染した(特に不本意に)方々に対する偏見は、若干ではありますが緩和されたようには思います。

しかし今、今だからこそこの作品。そしてこのメッセージ。

人間はどうしても不安になる要素からは離れていたい。そして安心感を求めます(冒険が好き!という方もいるかもしれませんが)。これを一種の"Dependency"と呼んでもいい。

"Seeing and knowing, are two different things(見る、見えるという事と知る事は異なる)"と言われるように、本や映画といった、確固たる前提が固定して存在するもの、何かを見聞きする際にそうしたフィルターを経由してしまうと、どうしても「他者の物語」として終始してしまいます。誤解を恐れずに言えばノンフィクション作品もそう。決して批判ではありません。これは仕方がありません。

これに対して、伝える側も伝えられる側も出来うる事は、限られています。

This can be worked out only

if we "try", and
if we "care."

この極めてシンプルなそれぞれの意志にかかっています。

カナダの元首相ピアソンはかつて、こう言いました。
"Misunderstading arising from ignorance breeds fear, and fear remains the greatest enemy of peace."

また、アメリカの作家E. B. Whiteは、皮肉を込めてこう言いました。
"Prejudice is a great time saver. You can form opinions without having to get the facts."

そうした人間が内包する脆さ、危うさを全て製作者のルチアーニ、そして監督のロバン・カンピヨ、そしてキャスト以下皆がよく理解していたからこそ、この作品『BPM』をこの素晴らしい形で今回結実させることができたのだと思うのです。

ただ声高に叫べばいいものでもない。かといってただただ生々しさのみを追求すればいいものでもない。

この作品で描かれている人物たちは、どんな装飾も必要なく、魂から力強く「生きている」。
特殊効果もない。ムードもない。しかし、そこにはただただ純粋なそれぞれの人生、そしてそれらが発する有言無言の言葉がある。

パンキッシュだなんて言わない。ただただ人間としての命、権利、そしてそれらを元に得られるべきの、この次の瞬間からも続くべきと信じる歩幅=BPMを真っ直ぐに信じ、その為に戦い続ける。

人間は移ろい、忘れる(能力がある)。だからこそ思い出す能力もある。そして更につなげる能力もある。昨夜のセザール賞授賞式で監督は、当時から現在を見て、逆戻りしようとしている、と語りました。だからこそありのままで、どんな人びとも幸せに生きる姿を求めるものとして、明日への望みのため、この作品を作り上げた。この作品を評価した方々はきっと、そんな根底のメッセージと、人間が持つフラジールな面がコンパスのように人間の内面を常に揺さぶり続けるある種のアンビバレンスをどこかで感じたことがあるからこそ、共感したのではないかと思わざるを得ません。

『BPM』。ある種の"Declaration of independence"を目指した、"Revolutionary War"のドキュメンタリーでもあるかもしれない。けれどこの作品が提示してくれていることは、決してHIVといった特定の問題だけでなく、人間が、人間が恣意的に作ったものによる何かによって、命や愛、そうした根源的なものを「無関心」という不本意なナイフによって不本意な涙という血をこれから流す者が1人でも少なくなるよう紡がれた、極めてまっすぐなまでの作品だったように感じます。最初に書いたように、社会そのものが既に人間による恣意的な産物で、人間が日々無意識に依存するプラットフォームですから。

時のレーガン大統領が、当時の西ベルリンのブランデンブルグ門で今から31年前の1987年、当時のソヴィエト連邦ゴルバチョフ書記長に向けて、高度な政治性はあったと思いますが、こう言いました。

「Tear, down, this, wall!」

そして数年前、日本のとある作家はスピーチでこう言いました。

「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」

上記の発言にかかる対象の国はそれぞれ異なりますし、背景も異なります。恐らく思想すら異なるのかもしれません。しかし、その根底に息づく人びとの根本は、皆同じ。それぞれのHOMEや物語は、それぞれが抱きしめる物語。

昨年から話題の『BPM』でしたが、ここでセザール賞によって昨夜改めて評価されました。おめでとうございます。そして、特殊効果もいらない、下手なエスプリもいらない、拵えたスクリプトという嘘もいらない、人間の心と心の交差を知りたい、そんな方には、そして、

この世界に生きる世界で私達を分かつ何かが、私達の無意識が担保する無関心さが分かつものが、もしもそれを切り開くことによって、誰かの血が流れ出るのではなく、誰かの血が通う助けになるのであれば、それを願う人びとの多さこそ、今回の作品への評価に繋がったのだと、心から信じたい。

この『BPM』、心からお奨めします。"I"の中にほんのもう少しだけでも"We"の視線が入ったならきっと、笑顔が増えてゆく。上記にほんの、ほんの少しばかりでも共感してくださる方がいれば、是非、ご覧になってみてください。そしてまだ少しでも”?”な方、是非、"Tear down that wall!"、そして、よろしければ是非、ご覧になってみてください。

『BPM』日本公式サイト

この春、『BPM』は日本にもやって来ます。ファントム・フィルムさん、ありがとうございます。素晴らしい作品は国を問わず、どんどん日本に紹介してください!これからも応援しています。

なんだか松岡修造的体温の文章になったか?(と松岡さんファンが申しております)

また新しい1日、1週間が始まります。皆様に素敵な明日が訪れますように。

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