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カンボジアに暮らすことで幸福になれると僕が思う理由

カンボジアへの想いは自然と出てくる

昨日、こちらの記事を書いたらいろんな方から反応をもらった。
反応をもらうと嬉しいものだ。

毎日noteを書くのはそれなりに、大変だけど、でもこういう反響をもらえるときもあるので、嬉しい。


やはりカンボジアのことを書いていると筆が進む。

シェムリアップの街に住み、シェムリアップで働き、シェムリアップに家族のような存在や親友もできた僕にとっては、もはや生まれ育った岐阜と同じかそれ以上の愛着がこの街にはある。

いつも、「あの街ではなくこの街、」「行くではなく戻る」、という動詞になるのは、その方が自分的にしっくりくるからで、それがまだ今後も続くのか、今後は変わるのかは分からない。

ただ、今は、しっくりくるのでそうさせてもらっている。


タイトル通り、カンボジアに暮らしたら幸せになれると思う。

結論そういうことだ。


なんでか?はこのあと書いていきます。

実際に暮らしている人に聞いたら、多分ほとんどの人が同感してくれるんじゃないかって僕は思っている。

あ、ちなみにここで言うカンボジアはシェムリアップのことで、ブログのタイトル上分かりやすくカンボジアにしたけど、シェムリアップと言う文脈で読んでください。

僕自身もシェムリアップでしか暮らしたことがないので、どのみちシェムリアップのことしか書けないけれども。


ものは持っていないけれども、そこに幸せがある

結構陳腐な言い方になるけど、本当にその通り。

生活水準は低いです。当然だけど。

よくある大学生の考え方だけど(自分もその一人だったので、別に悪く受け取らないで欲しいです)、「貧しいカンボジアを助けないと」みたいな目で見ている人がいるなら、とりあえずやめた方がいいです。

カンボジアは日本人が何かを教えに行くとか、助けに行く場所ではなく、僕らが幸せのあり方を学ばせてもらうところです。

まずこれが僕のそもそものスタンスです。

自分自身カンボジアの経験があったから、日本に戻ってきて両親と何年ぶりくらいかにいい関係を築けたし、今フルタイムで勤務している保育スタートアップで家族コミュニケーションのプラットフォームをつくっている。

なんども言うけど、カンボジアは学ばせてもらうところ

言うなら、カンボジアそのものが学校みたいなもの


でも、学校って日本のでっかい箱のことを言うのではなく、学ぶことができる人生の学校だと思っている。

素朴な幸せがそこにはあるし、明日をよくしていこうと言う前向きな空気がある。

もちろん僕が見ているカンボジアも一部かもしれないし、中には悲壮にくれている人だって当然いることはいるだろうと思う。

でも、少なからず僕は学校を現地の責任者として運営してきて、彼らのポジティブネスに触れてきたし、村に行っても、いつでも歓迎してくれる。


お金がないなら、ある人が助けてあげるし、誰かが困っていたらご近所同士で助け合う。

おそらく日本が昭和時代にあったんではないかと勝手に思っている、助け合いの精神が自然と溢れている。

それがカンボジア。

中には、レンジローバーに乗っている人も見かけるが(なぜか街中はレンジローバーが多い。中国人かな?)、一般庶民はお金はないけど毎日を楽しんでいるような人間だ。

日々、幸せになるようにプログラミングされているかのような彼らの楽観的な性格は本当に日本人が学ぶべきもの。

今の若いカンボジアの世代の子達は、西欧文化の影響を受け始めていることは否めないけど、純朴な日々の生活を幸せにしていこうと言うベクトルはみんな持っている。

人と比べてどうとかあまり考えなくていい環境にあると思う。

もちろん人にもよるが。

将来きっと何かをカンボジアで興すのだろうと言う予感

僕のカンボジア人の少し先輩の世代の友人は、海外のNGO勤務を経て自分たちで起業したりしている人も少なくないし、僕らの世代はまさにこれからそう言うステージに入ってくる仲間たちなので、彼らと一緒に何か面白いことができないかと言うことは視野に入っている。

今は僕自身は平日の夜&週末はKamilaにかなりコミットしているので時間はないけど、将来的には僕はカンボジアの自分の友人と何かプロジェクトをする気がしている。

今のところそんな話は全くないけど、なんとなくそんな気がしている。

なんとなくそんな気がしていることはだいたい自分の場合は、現実になっていて、カンボジアに行くことや、海外生活をしながら海外を巡ること、なんとなくフィリピン人と縁がありそうだと思っていたら本当に縁があったりと、イメージできると言うことはだいたい起こることだと思っている。

なので、きっと10年先いや、ひょっとしたらもっと近い未来で、カンボジアの友人と何かを興しているかもしれない。

ひょっとしたらそんなに遠くない未来かもしれない。


これから超少子高齢化社会に入って行くけれども、日本はカンボジアから学ぶことが本当に多い。

ここまで読んでいただいて、「いやいやカンボジアでしょ?」と思う方がいらしたら、それはその方の意見なので否定はしないですが、おそらくこれからの日本の時代の変化についていけないと思う。

残念だけれども。







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