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訳者あとがきにかえて:「『氷の木の森』 愛する人の唯一の存在になること、その闘い」カン・バンファ

氷の木の森

その華やかで美しい旋律は、凄惨な死を引き寄せる。
音楽の都で出会った孤高の天才バイオリニストと、純真無垢なピアニスト。
相反する彼らを待ち受ける悲しき運命とは……。
音楽×ミステリ×ファンタジーの傑作、待望の邦訳。


すべての音楽家の故郷であり聖地であるエダン。
この平和な都市のはずれで惨たらしい殺人が起きた。
その中心にいたのは孤高の天才バイオリニスト、アナトーゼ・バイエル。
そして、数多の音楽家を魅了し、
その命を奪ってきた罪深きバイオリン〈黎明(れいめい)〉。
稀代の音楽家と伝説の名器、
導かれた者しかたどり着けない『氷の木の森』。
数奇な運命がもたらすのは世にも美しい旋律か、残酷な死の呪いか――

世代を超えて愛される韓国ファンタジーの名作!

 ……というのが本書の内容紹介ですが、せっかくのnote。こちらでは私が感じた個人的な胸きゅんポイントを少しばかりお話したいと思います。
何より私がときめいたのは、ゴヨとバイエルの「ブロマンス」です。物語の中に、ゴヨのバイエルに対する恋心は出てこないし、バイエルにもレアンヌという想い人がいます。ですが、私にはどうしてもこの二人がつかず離れずの距離を保ちながら、イチャイチャしてばかりいるように思えて仕方ありません。

 まずは、バイエルのキャラクター。出だしから、自分の演奏を聴きに来た客たちに向かって「貴様らの耳はただの飾りか」と言い放ちます。あっぱれ! つわものを予感させるひとことをバッチリ決めてくれました。もちろん、人々をして「神の領域」と言わしめるほどのバイエルです。相当の自信がなければ人様に向かってこんな口はきけないでしょう。こういう人をご主人様気質、あるいは小悪魔的というのでしょうか。散々けんかしたあとに「拗ねてるんだろ?」とふっと笑ってみたり、「こんなことあなたにしか話せない」的な態度でゴヨをたらしこみます。

 一方ゴヨは音楽院でバイエルと出会い、その天才性に驚きます。やがてその驚きは嫉妬に変わり、最後には尊敬となる。ピアノにおいては自分だけの世界をもっており、周りからもその実力を認められているゴヨですが、バイエルの音楽に終始圧倒され、身のほど知らずと自分を責めながらも彼を追いかけ続けます。預言者のキセや母親からも言われますが、この人は本当に「泣き虫」です。回数こそ数えていませんが、箸が転んでも泣く、と言っていいくらいよく泣きます。なかでもゴヨが最も衝撃を受けるのは、やはりバイエルに突き放されたときでしょう。ときどき作品中の登場人物も「泣くな!」と叱ってくれますが、もっと強く叱り飛ばしたくなるのは、読んでいるこちらがバイエルのドSぶりに影響されているせいでしょうか。
 
 そしていよいよ、この二人のブロマンスです。バイエルは「本当の意味で自分の音楽を聴いてくれる人、唯一の聴衆に出会うためだけに演奏している」という悩みをゴヨだけに打ち明け(バイエルの大親友であるトリスタンさえも知らない、というところがポイント)、その日からゴヨは「自分こそが彼の唯一の聴衆になりたい」と意気込みます。もちろんその希望はことごとく打ち砕かれるのですが、バイエルはゴヨにやさしくしては撥ねつけてを繰り返し、いかにも飴と鞭をもってゴヨの心を揺さぶります。そしてゴヨも、そのたびに、まんまと、物の見事に、揺さぶられます。まるで自分から揺さぶられに行っているようです。渾身の力で弾いた演奏にバイエルから「悪くない」という評価をもらい、浮かれてもう数曲弾いてしまうかわいいゴヨです。そして次の場面では、「これだからきみが嫌いなんだ!」と目の前で扉を閉められ、「なぜ自分を受け入れてくれたと過信していたのか」と悲しみに耐えるいじましいゴヨです。
 その後、キヨル伯爵の登場で、ゴヨの心は打ちのめされます。それまでは誰の評価も気にしなかったバイエルが、キヨル伯爵こそ自分の唯一の聴衆だと信じ、彼に認められようと頑張るからです。ゴヨはバイエルの音楽を理解するためならとプライドまで捨てますが、どうにも力不足です。やがて「拗ねる」の絶頂に至ると、自分からバイエルに別れを告げてしまいますが、二人の関係はいかに……! 続きはどうぞ本編でお楽しみください。

 こんな二人ですから、紆余曲折を経て仲むつまじくじゃれ合っているシーンが出てくると、読んでいるこっちは思わず顔がゆるんでしまいます。例えば、和解を提案してもなかなか機嫌を直さないゴヨ。バイエルは彼を残して出ていきますが、外から「決闘だ!」と叫ぶ声が聞こえます。窓から外をのぞいたゴヨは、バイエルの手にバイオリンが握られているのを見ると、笑みを浮かべていそいそと階段を駆け下りていく……。また、バイエルは、コンクールで自分のために馬鹿な判断をしたゴヨを追いかけていき、雪玉を投げつけます。お互いの腹の内を明かすうち、思いがけない言葉を聞いたゴヨの顔を見て、バイエルは「おい、うちの犬じゃあるまいし、どうして飼い主に捨てられたような顔をしてるんだよ」とからかい、その後二人は雪合戦を始める……。二人の愛らしい姿ときらめく瞬間にぜひお立ち会いください。

 本書には、欲望は醜い、というようなお話も出てきます。そして、この物語の中で、ゴヨはおおかた「純粋」、バイエルは(自称)「穢れ」の象徴としても語られます。でも、ブロマンスだけで見れば、「いや、バイエルに対するゴヨの執着、半端ないよね」とつい突っこんでしまいたくなります。(案の定、ゴヨはのちに、バイエルの音楽を慕う“殺人鬼”と心理的にシンクロしてしまいます。)また、バイエルに「遠い存在でいてほしい、孤高の存在でいてほしい」と願う気持ちも、バイエルからすれば、いやいや、大きなお世話だろ、とでも言いたくなりますが、そこはご愛嬌。二人のこれでもかというほどの“純粋な欲望”をとくと味わってください。

 その他の愛すべき人物についても少しだけ触れたいと思います。
 トリスタンは、会えば誰もがまたたく間に好きになる人物です。持ち前の話術と親しみやすい雰囲気に、イケメンときています。「いまは人より自分のことを考えろ」といつも相手の心に寄り添ってくれるトリスタンですが、ゴヨとバイエルの二人がけんかしては元さやに納まる、を繰り返しているあいだ、彼自身の問題はほったらかしにされます。バイエルとゴヨのブロマンスに夢中になっているこちらも、共犯者になった気がして胸が痛いところです。どうかトリスタン版外伝で少しでも報われてほしい、そんな気になるのは私だけでしょうか。
 
 また、近衛隊長のケイザーも読めば読むほど好きになります。ゴヨとケイザーの距離が縮まっていく様子は読んでいてほほ笑ましく、外伝ではケイザーのキャラクターが遺伝であることもわかります。
 同じく外伝では、バイエルとトリスタンの生い立ちと友情、バイエルの天才性がいかにして育まれたかや、生きるため、音楽のためにどのように闘ってきたかが描かれ、「唯一の聴衆」を見つけることがバイエルにとってどれほど大事なことかが改めてわかります。
 胸を打ち抜かれる台詞、キャラの立った登場人物、まぶしいほど輝いているシーンがもりだくさんで、初めて読んだときは本を閉じるのが惜しくなりました。一方で、新たな外伝を生み出す可能性をぞんぶんに秘めた作品でもあります。スピンオフバージョンも出てくれないか、おちゃめな部分だけを集めた四コマ漫画も作ってくれないか……あ、欲望が丸出しですね。

 2022年 心の中に雪の降る日 カン・バンファ


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