人とアート
きのう、たまたま友人に誘われて京セラ美術館の嵯峨美術短大の卒業制作展に行ってきた。
、、、めちゃくちゃ面白かった。色々面白かった。
日記がわりに書き残しておこうと思う。
誰かとみる楽しみ
普段は一人でいくことも多いのだけど、この前はたまたま友人と二人でいったので、いろんな感想を言い合えたことがとても面白かった。
ぞれぞれの作品をみながら、好きなものや見ている視点が全然違っていて、当たり前なんだけどそれがとても面白かった(語彙力もうちょっとほしい…)たまに意見が一致するのもまたよかった。
だれかとの違いを発見するとき、
個性を出そうとしなくても、みんなひとりひとりそのままの自分でいさえすれば自然とそれが個性なんだ
ってすごく実感する
作者の意図と受け取り方
はじめてみたときに
「なんじゃこりゃ!?」という作品があった。
どんなに見てもよくわからない。
次の作品に行こう。そうしようとしたとき
友人が「〜は〜を表しているんじゃない?」と呟く
その瞬間からいきなり色づいていく「なんじゃこりゃ作品」
そこから体感が、感情が、感覚がじわじわきた。
こうかもしれない、ああかもしれない
無だった作品から有が生まれていく
それは作品がというよりもわたしたちの内的世界の話なのかもしれない
私たちが勝手に解釈しているだけだけど、
なんとなく芸術はそれでもいい気がした。(もちろん作者の意図をみてから作品を鑑賞するのも大好き!)
もうひとつ面白かったことがある。
友人がある作品に対するテーマの話をしていたとき、作者の意図を読むとテーマが全然違うといったことがあった。
発信する側の伝えたいことと受け手の受け取り方が一致するとは限らない。
芸術ではそこも面白いと思うけど、これがコミュニケーションとか人間関係だったらもしかしたら大変なことになるのかな?
そんなことを思った。
みんなもがいてる
すべての作品がそうというわけではないけれど、日常の悲しかったこと、悔しかったことを発想の転換で楽しいアート(芸術)に変えているのも印象的だった。
あとはひとの内側を垣間見た瞬間が多かった。
わたしは悲しいとき、怒りがわいたとき、こわいとき、まだまだたくさんの感情があるけど、その感情たちが身体中を煮えくりわたってどうにかなりそうって思うときがある。
その感情たちをどう扱えばよいのか、どう処理すればよいのかわかならいままずっとずっと一緒に居続ける。だから苦しいとわかってはいるのだけど、こんなにずっと生きているのに、いまだにその付き合い方がうまくない苦笑。
作品たちをみて、あ、同じだと思った。
作品からその人のなんともいえない感情が流れてきた。
たぶんだけど、その人も自分の中にあるこのどうすればよいかわからない何かを、でもどうにかしたくて、どうにか外に表現したかったのではないかな。
勝手にそう思った。
醜い(と思ってしまう)感情が綺麗に花咲く瞬間
だからわたしはとっても芸術が好き
デジタルすげぇ!!!
最後のはもうなんていうか、時代が進んでいてびっくりした。
パソコンの動画とワンセットの作品が多くて、ただただ驚いた!!(わたし、、、時代遅れてる、、、!?)
あとVR体験ができるものもあって、それもすごく楽しかった!!!
これからヴァーチャルの世界がどんどん拡大されていくのだろうと思う。
さいごに
締めを考えようとおもったけど、思いつきませんでした笑。
ただただ、楽しかったです!
良い刺激たくさんいただきました!
その友人に感謝。
本日もお読みいただきありがとうございました!