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アルコールで生まれる勇気を知った時、私は少し弱くなった②

こんばんは、haroです。

このnoteを読む前に前回分『アルコールで生まれる勇気を知った時、私は少し弱くなった① https://note.com/haroharoaho/n/n8dbc5ba8774c 』を参照していただけるとありがたいです。一応今回は続きです。


今日は全国的に雨が酷いらしいですね。

こんな日はすぐに家に帰って、映画を見ながらお酒を飲んで、ゆっくり過ごすのが個人的ベスト。

と、こんな風に時間を溶かしていると、必ずと言ってしまえるほど、思い出す一人の人というものがいる。ので、今回はその方の記憶を。


その人との記憶を脳から引きずり出すとき、いやおうなしに鼻を衝く独特なお酒の匂いが付随する気がする。彼はよく酒を飲んだ。記憶にある彼の8割は酔っているし、多分私も酔っていた。あまり鮮明でない思い出たちはきっとその所為である。

それくらいには彼は、アルコール中毒というか、アルコール漬け、というか。いや、アルコール自体なんじゃないか。その白い首か、薄い腹かに刃物を突き立てた日には、鮮血ではなく、酒が噴き出す。ぴゅーっと。多分。飛び出るのは、ビールでもサワーでも果実酒でもなくて、琥珀色の(茶色だと色気がないので、あくまで琥珀色)。

そう、ウイスキーである。

前回のnoteの最後に書いたノンアル少年との縁が切れてから数か月後に仲良くなった少し年上の男性は、無類のウイスキー好きだった。最初に連れて行ってくれたバーには壁一面に見たこともないウイスキーの瓶が並んでいたし、チープな居酒屋でも絶対ハイボールを片手に煙草を吸っていた。

ちなみに私は過去に大学生のノリで作ったコークハイ(コーラ:ウイスキー=1:1)で人生初の嘔吐をかました記憶で、匂いからして嫌悪だったのだが、ここで断っては女が廃る!!という謎信念で、お勧めしてくれた銘柄をストレートで口にし、居酒屋でも一緒にハイボールを飲んだ。22歳になっていた私にとってハイボールは慣れれば割と好きな味だったし、それなりに酔えるとこと、太りにくいということで、大変ハマった。気づけば彼がいない飲み会でも、一人での宅のみでもハイボールばかり飲んでいた。

炭酸で割らずとも、ウイスキー自体も銘柄での違いとか、水を垂らすごとに変わる味といった奥深さに魅了され、調べた。調べまくった。村上春樹の『もし僕らのことばがウイスキーであったなら』というウイスキーのエッセイ的なのまで手を出すくらいには。

そんなウイスキーと共に私を魅了した彼との縁は案外すぐに切られた。ゆっくり味わうことが醍醐味とされるウイスキーと違って、ゆっくりと味あわせてはくれないのね。はい。

少し長くなった。一番最近の記憶なので致し方ない。決して左手のウイスキーの所為で酔って書きすぎた訳じゃないんだからね!


あ、そういえば。つい先日サークルの追いコン飲み会で前回のnoteで最初に登場した男に久々に会った。大学2年の3月に別れ、気まずすぎて話をしないまま最後の飲み会で、悪のくじ引きにより隣の席になるという。厄年か?しかしまあ、3次会で2人ともかなり酔いが回っていたたため、案外ブランクを感じさせないトークであった気がする。

「ハイボール苦手だったじゃん」

ポツリ、と彼が言った。気がした、ことにした。聞き流した。そっちこそ、葡萄酒じゃないじゃん。煙草はアメスピでもメビウスでもないじゃん。

言いたいことが沢山あった。アルコールで生まれる勇気をもう知っている私たちにとって、聞くことは容易かった。それでも私たちは、あえて聞かない、触れないでいる勇気すら知るくらいには大人になったんだと思った。

これ以上の思考を停止させようと、ジョッキを手に取り、口に流し込んだ。


「まっっっっっっず!!!!!!!!!!」

勢いよく飲み切ったそれは、自分のハイボールではなく、元恋人のもの。これ何?と怪訝そうに彼を見ると、申し訳なさそうに彼は口を開いた。

「・・・ビールのデカビタ割り・・・」

馬鹿か。



haro


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