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アルコールで生まれる勇気を知った時、私は少し弱くなった①


「お酒が入っているharoちゃんって、いつもと違っていいね」と男友達からLINEが来た。昨晩酔っぱらって電話を掛けた男の子からだった。以前好だった男の人には、「酒乱がアクセントになる」と褒め(?)られた。

いつからだろう、異性との関わりに『アルコール』が手放せなくなってしまったのは。

かくいうこのnoteでさえ、缶チューハイ片手に打っているので、救いようがない。もう異性との交流以前、私の人生にアルコールは必要不可欠だ。

もうシラフで告白なんてできないとおもう。というか、第一に素直になることすらできない。甘えるとか無理です。ピエン。馬鹿か。


アルコールで生まれる勇気を知った時、私は少し弱くなった。と思う。


大学1年生の冬から2年生の春にかけて半年間片思いをしていた男がいた。無口で大人で、どこか達観した人。同級生なのに同級生には見えなくて、なかなか声を掛けれなかった。そんな彼はサークルの飲み会で、巨峰酒をロックで飲んで、ギターを上手に弾く長い指でくるくると氷を混ぜていた。じっとその長い指を眺めていたら、お酒を欲しがっていると思われて、「いる?」なんて言われたりもした。びっくりドッキリ間接キッス(笑)トキメキサプラーイズ!なんちゃって。巨峰酒レベルに甘酸っぱい思い出だ。

ちなみにその男には、飲みに誘ったら謎に水族館に誘われ、デートをした帰りに告白してものの数分で振られた(未だに謎である)。そして、その後のサークルの飲み会で、散々性格の悪い男の先輩にいじられ、酒を飲まされた挙句、アルコールに身を任せ盛大に告白をかました結果、何故か付き合うことになった。

アルコールの勢いというものの効力を初めて体感した20の初夏である。その日、散々に飲まされた麦酒のように苦く、けど、どこか若々しくて、爽快感すらあって、私はあの日を忘れることはできない。

しかしまぁ、恋愛なんて長くは続かない。段々刺激的な日々は少なくなり、いわば炭酸が抜けていくものだし、麦酒の炭酸が抜けると、くそほど不味いように、抜けきったそれはただ苦い液体で飲み干すのもやっとだった。大好きだった彼との最後は、きっぱりとした最後じゃなくて、ありがちなどうしようもない関係に落ち着いて終わっただけだった。最初のころの爽快感なんて一切なく、ただただにが苦しい後味が舌に残るようだった。


次に付き合ったのは、カルアミルクのようなかわいらしい男の子だった。鞄を両手で持ち、自宅が舞浜駅が最寄で、毎日ディズニーのパレードのラストの花火を部屋から見上げてると言っていたエピソードに相応しい、メルヘンな男だった。「お酒はカルアミルクが好き。それよりオレンジジュースが好き」とよく話してくれた。そんな彼が同級生と酔って山手線ゲームをした、というので、非常に親近感を感じたが、テーマを聞いてその感情は3秒後に消え失せた。山手線ゲームのテーマ『歴代総理大臣を順番に』(ちなみに伊藤博文から安倍晋三まで余裕の完走だったらしい)きもい。ちなみにその男は東京大学在学で、私の2倍の偏差値を持つ男だった。あまーくて、弱そうに見えて実は度数が高い、カルアミルクのような男である、やっぱり。


その恋が終わったあと怒涛の就職活動が始まった。東京オリンピック前ということで、売り手市場なんて言われていたが知ったこっちゃない。毎日来るお祈りメールやどうしようもない不安に押しつぶされる中で、顔面がかわいいだけの2個年下の男の子と仲良くなった。花を見て癒されたいな~みたいな感覚で仲良くして、それ以上は何の責任も取りたくないなあ、と純真無垢そうなその顔を見て思った。お酒をよく飲む私に合わせて頑張って飲むくせに、ほぼほぼの割合でバレないように吐いていたのを私は知っている。こいつ、いつか死んだらどうしよう、と最低だが自分勝手に怯えていた。このときに、やっぱり飲める男がいいな、と再確認したのだ。そんな彼にはコカコーラか、飲むヨーグルトが似合うと思う。ソフドリ少年よ、元気でやっているか。


かくいう私も、ここまで(ソフドリ男)までは、一人酒なんてめったにしなかったのだ。実は。

この後から今日までの半年間でアルコールの摂取量というのは、きれいな放物線を描き右肩上がりに増えていった。飲む酒の種類も変わった。話せば長くなるので、②でお会いしたい。

それでは本日も、乾杯。

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