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病室の窓から、世界はどこまでも広がっていく

入院から一週間が経ちました。娘の手術は無事に終わり、尽力してくださった先生方に感謝しているところです。

今回は傷口がお尻のすぐ上あたりで、術後すぐは、やはりそこが痛むのか、あまり動こうとせず、ベッドに自ら横になっていた次女。

二日目を迎える頃からゴロゴロしはじめて、そうなると行動力がみるみる回復。今やもう「しゃんぽ、いこー」といって、病室を出ようとするぐらい元気になっています。そして私のガミガミも復活wwだって椅子から立ち上がろうとするんだもん。

とはいえ、まだまだ自由にどこにでも行けるわけではもちろんなく。屋上庭園には出れるけど、病院の敷地外には出てはだめだし、ここ一週間、せいぜい半径数十メートルのなかをうろうろする日々です。

病院にいると、入ってくる情報量が圧倒的に減ります。スマホがあるからかろうじて世間のニュースは目にしますが、その電源切ろうものならなおのこと。(テレビも見れますが、カード式なのでケチってあまりつけてない)

やることも知ることも減ると、必然、いま目に入ってくるものを、深く見ることになります。見るしかなくなる、ともいえますね。他にすることないからね。

すると、普段気にもしないことが気になってきます。情報源のひとつは、「窓」です。今日は風が強そうやなぁ、とか、空の色が昨日より薄いな、とかは、窓の外を眺めていたら気づけます。

そしてそして、もうひとつの情報源は、他でもない「娘」。これまで気づいてなかった彼女の成長に、驚かされることがこの入院中、いくつかありました。いつの間にか、丸が描けるようになっていたりね。

マルの数々


そこにすでにあったのに、見ることができていなかった。そんなものごとの多さに驚きます。そう考えていくと、行動範囲の狭い今の方が、心は自由で感性も高まっている気がするのです。

行動範囲の狭さは何も、心の自由度を制限するものではない。むしろ、多すぎる情報こそが、心を狭くしているのかも、なんてそんなことを感じている入院一週間の今日この頃。

退院しても、心広くありたいww

ふと窓を開けると、風に秋を感じました。夏の風には、密度がある気がするんですよね。熱くて痛くて、身体がこう「ぎゅーっと」押さえつけられる感じ。

でも今日の風は少し優しかったです。首まで絞めたシャツのボタンを、ひとつだけ外してくれるようなゆるさがある。

風一つに、光一つに何を見るか。それって別に、どこにいたって何をしてたってできるよね。

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